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第39話 白い綿毛

 ロールケーキにするべきか、それとも海苔巻きセットにするべきか。 「うーん……」  でも、海苔巻きセットをご家族分っていうのはなぁ。朝、炊飯をタイマーセットしてきたって言ってたよね? パートさん。それに晩御飯の兼ね合いもあるし、一人二人分もらったって、微妙なところかもしれないよね。  やっぱり、ロールケーキ?  あぁ、でも、クリスマスで、それぞれのおうちでケーキ食べたかな。それでまた、年末納めの手土産がロールケーキじゃ。  でも、海苔巻きも……。 「う、うーん……」 「どっちも食べたらいいじゃないっすか」 「!」 「……ちは」  いきなり隣に並んだ人に声をかけられて、びっくりした。 「ぁ……成田、さん」  普段なら元気に挨拶する彼が言いにくそうに苦笑いを零した。  クリスマスから数日しか経ってない。告白をしてくれた日から、まだ、数日しか。そして、僕が成田さんの好意を――。 「こ、れは、僕が食べるんじゃなくて、その今日で年末の仕事納めだから、パートさんに手土産って思って」 「あぁ、なるほど」  毎年、ちょっと悩んでしまうんだ。一年間お疲れ様でしたっていうお土産だから。 「優しいっすね。毎年、そうやって選んであげてるんだ」 「……いえ。そんな」  うちなんて毎年同じですよ。商店街の饅頭屋でおいなりのセット。そういって、ここから少し歩いたところにあるお饅頭屋さんを指差した。  成田さんのところは従業員もう少し多いよね。十人くらいいた気がする。そのくらいの人数がいれば毎年同じにしておいたほうがいいだろうけど、うちは二人だけだから。 「優しいっす……」 「……」 「そういうとこが、好き、になったんです」 「……」  なんと、答えたらいいのかわからなかった。 「あの、成田さん……」 「諦めません」 「……」 「無理に諦めたりはしないつもりです」  成田さんはまたいつもはしない苦笑いをして、足元に溜め息を一つ落っことした。 「なんで、もしも、今、その、してる恋愛がしんどくなったら、俺んとこ、来てください。いつでも大歓迎なんで。マジっすよ?」 「……」 「そんで、泣きそうなことがあったら、俺は遠慮なく、襲いかかっちゃうんで。虎視眈々とってやつです」  そして、顔を上げた彼はその溜め息と一緒に苦笑いになってしまいそうな気持ちも足元に落っことしたみたいに、笑った。 「なんで、是非、お待ちしてます!」 「……成田さん」 「あ、やべ、俺も昼飯買ったらすぐに配達だった。あ! それから!」  笑って、僕は痩せてるから、両方食べるくらいでちょうどいいと思うって、駆け足しながら手を振ってくれた。  良いお年を、っていう挨拶と、笑顔と、大きな手をブンブン振って。 「……優しいのは、成田さんでしょう?」  慌しい年末の買い物客に紛れるように、いなくなってしまった大きな背中に、丁寧にお辞儀をして、良いお年を、と僕も挨拶をした。  こんなに人が住んでるの? って驚くほど、普段は閑散とした田舎の神社が初詣だけは大混雑だ。 「うぅ……さびぃ。文、寒くねぇの?」 「平気。っていうか、染めの仕事してる人間にはこのくらいの寒さなんてたいしたことじゃないよ」  背中を丸めて、肩を小さくさせながら真っ白な吐息を吐くばかりの郁にそう言うと、背筋をしゃんと伸ばして、今日薄着で失敗したって強がっていた。  そんなに薄着だっけ? ダウンコート、少し着膨れてない? 「郁、そんなんでうちでやってけるの?」 「やってけるっつうの」  何気ない会話。けれど、やってけると迷うことなく言い切る郁に、僕は少しだけ嬉しくなってしまう。にやけてしまわないようにとマフラーの中に顔を埋めてながら、隠れて口元をほころばせる。 「文、さっき、お参りしながらなんで笑ってたんだよ」 「え? 見てたの?」 「チラッとな」  やだ、変ににやけてなかっただろうか。  あの時は、郁が風邪を引きませんように。専門学校でしっかり勉強してきますように。あとは、あとは――。  そう神社の初詣で神頼みをしながら、郁のことばかりだなぁって、手を合わせながら笑ってしまったんだ。 「色々」 「……ふーん」 「郁は?」 「俺? 俺は、卒業したら、無事、やれますように」 「なっ何っ」  何を、神様に頼んでるんだよ。慌てて、大きな声をあげると、郁が楽しそうに笑って、笑った拍子に真っ白になった吐息がふわふわ立ち込める。 「何って、すげぇ重要なことじゃん。あと少しなんだし」  もう切ないだけにするのはやめようって約束をした。このもどかしさも、切なさも、辛抱も、全部、今だけのことなのだから、満喫してしまおうって、郁が笑ったんだ。クリスマスの日、手を繋ぎながら、そう二人で笑った。 「あと、文に悪い虫がつきませんように。成田の息子が早く諦めますように。文が俺以外なんて目に入りませんように」  だから、郁はよく笑う。屈託なく笑って、早くその日が来ないかと、遠足当日を待ちわびる子どもみたいに、春を待っている。僕を抱く日を、楽しみに待っている。 「あ、あと」 「もう、まだあるの?」  頼みすぎじゃない? 「俺のオカズ妄想の文がすごいエロいんで、もう少し、文の色気が減りますように」  風邪引きませんようにって頼んだけれど、風邪引かないかもしれない。 「もう! 郁は何バカなことを」 「大事なことだから! っつうか、文が色気ありすぎるから、成田の息子が嵌ったわけだし」 「はまっ」 「告白したのは成田だけだけど、でも、他にもいると思うんだよ。うっかり、俺のバイト先の店長とかさ」 「なっ」 「ありえる。マジで。それから」 「郁っ!」 「ちょ、文、耳っ」  耳くらい掴んで引っ張っるよ。ねぇ、バカなことばかり言ってると、神様が呆れてしまう。  でも、僕は郁のことばかり、郁は僕のことばかりを、ひとつじゃなくていくつも頼んだから、すでに呆れてるかもしれないけれど。 「成田さんでしょっ! うちの取引先なんだからっ」  仕事でこれから付き合いのある方なんだから、失礼のないように。耳を引っ張って、その耳から届くように唇を寄せた。 「全く……」 「……なぁ、文」 「?」  もう切ないばかりにしないって、二人で約束をした。 「今、キスしてもいい?」 「は、はぁ?」 「だって、俺の就職先、ちゃんと文のとこなんだなぁって思ったら、たまらなくなった」  だから、今のこのもどかしさすら、笑顔で受け止めることにした。 「キスしてもいい?」 「だっ!」  ほら、たくさん笑うから、たくさん白い綿毛のような吐息が零れていく。 「ダメっ!」  僕の珍しい大きな声も形になったかのように、白い綿毛が広がった。

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