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ほのぼの夏風邪編 4 優しいバニラ
次に目を開けると郁が隣で分厚い染色カラーの見本を眺めてた。すごい大きい本で、僕はもてあましてしまうほど。それを膝に抱えて読んでいる横顔をしばらく観察していた。
鼻筋通ってて、やっぱり美形だなぁとか。反物の品評会に郁をモデルで出演させたら、話題沸騰で大変なことになるから絶対にダメ、とか。そんなことを考えていた。
それと――。
「勉強熱心……」
「! 文!」
優しい人だなぁって。
「起きたのか。どう? 具合。吐き気とか。頭痛は?」
「ふふ、なんだかすごい重い病気みたい。もう平気だよ」
「……文」
起き上がろうとすると、郁が慌てて手を添えてくれた。本当にすごい大変な病気でもしてしまったみたいに大事にしてくれるから、思いきり甘えてその手を掴んだ。
「汗、すげぇな……今、身体拭く」
「え、いいよ。自分でやる。汗臭いよ」
「いいから」
本当に優しい人だ。
「ちょっと待ってろ。タオル用意するから」
「……ありがと」
郁が部屋を出てから、しばらくしてあったかいタオルを持ってきてくれた。
「ほら、脱ぐの手伝う」
「いいってば」
「いいから、我儘言うな」
「えー……?」
それって我儘なの?
だってくすぐったい。なんだかさ、大事にされてる感じがものすごくて、ちょっとしたことでも、ニヤニヤしてしまいそうなんだもの。それにさ……。
「ほら、手を挙げて」
「ふふ」
「なんだよ」
それにやっぱりこそばゆいよ。
「だって、エッチなことするわけじゃないのに、服脱がしてもらうのって、変な感じ」
「! なっ、文、お前、何言って」
「ふふふ」
だって、手を挙げろとかさ、抱いてもらう時には言われないし、こんなふうにずぼっなんて引っこ抜くように服を剥ぎ取られることもないから、すごくすごく変。
「ほら、ちゃんとしてろよ」
「はーい」
タオルケットごと膝を抱えるように背中を向けた。温かいタオルが背中を撫でると、自然と吐息が零れてしまう。気持ち良くて、拭ってもらえた後、スースーした感じも心地良くて、頭痛にしかめっ面ばかりしていた眉間から力がふわりと抜けていく。
「……はぁ、気持ちイイ、さっぱりした。ありがとね。郁、前は自分で……郁?」
振り返ると、郁が真っ赤になってた。
「郁?」
「いや、自分でつけたんだけど、こんなとこにもつけてんだって、思って」
脇腹のところ、それからうなじ、肩、背中から、点々とまだ赤い印が残ってる?
「キスマーク?」
「っ」
「一昨日抱いてもらった時のだ。ふふふ」
膝を抱えたまま、ちらりと覗くように郁を伺うと、目を逸らされてしまった。
「あっ、そうだ、アイス、食う? それとも、おじやとか? あんま食欲が」
「アイス、食べたいかも」
「わかった。持ってくる」
立ち上がった郁の耳が赤かった。部屋を出る郁が少し俯いていて、なんだかぎこちなくて、ドキドキした。
前はもっとすごいんだよ? だから、自分で拭くって言ったの。ちょっと照れ臭くて。郁のキスが残ってる場所全部、気持ちイイって喘いだ箇所だから、こんなふうに煌々と灯りのついた、日常の空気が漂う部屋の中で見るのはちょっと、ね。
「自分でつけたくせに……」
そう、そっと小さく呟いて、アイスを持って来てくれる優しい彼を待っていた。
「アイス、おいしー」
「そっか? ならよかった」
冷たくて、まだ熱がほんのり残ってる気がする口の中がすっきりした。
「パートさんに教わったんだ。夏風邪ん時はアイスがいいって。なんか高いやつのほうがいいっていうからさ」
一番高いのを買ってきてくれたんだ。
ちゃんと牛乳で作ったアイスのほうが栄養があるってことなんだけど、パートさんはまるで子どもにでも教えるみたいにそう言ったんだろう。古くから、ここで働いてくれてる人だから、もちろん郁のことはよく知っている。子どもの頃から今、同じ仕事営むようになった大人の郁まで全部。
「ありがとね。郁」
「……別に」
「仕事、あったんでしょ?」
「文が一番大事なんだから」
そういうの、普通にしれっと言っちゃうんだ。こっちは戸惑ってしまうのに、今日は晴れるんだってさ、みたいに普通のこととして、とてつもないことを呟く。
「もう、しんどくねぇ?」
「うん……」
「そっか、マジ焦った」
うん。ごめんね。倒れるとか一瞬何事かと思うよね。
「けど、もう良くなってきたんなら、よかった」
口元を緩めて、目を細め、ふわりと大人っぽく微笑んだ郁が大きな手で、頬を撫でてくれた。少し硬い大きな手に自然と擦り寄る猫みたいに頭を傾けてしまう。
「……」
気持ちイイ手。
優しい人。
「……」
大事にされてるのがすごく伝わるこの手にとても安心してしまう。でも、ドキドキもしてしまうんだ。この大きな手にたくさん、僕は――。
「大昔さ、俺が夏風邪引いたんだ」
「……」
「ここに来た次の年だったかな。中学ん時。暑い日だったから、そのせいかと思ったら風邪でさ」
覚えてたんだ。僕も覚えてたよ?
「すげぇ嬉しかった」
「えー? 風邪が?」
「ちげーよ。文が隣にいることが」
「……」
「目を開けると必ず文がいて、声をかけて撫でてくれる。優しくて、あったかくて、文が隣にいると思うと痛いのとか、苦しいのとかが柔らかくなって消えていったんだ」
まだ、この田舎に不慣れで不安だろうって思ってた。看病なんてしたことなくて不安だった。大丈夫かな、早く良くなりますように。そう願ってたのに。
「文がいてくれるんなら、しばらく高熱でもいいかなぁ、なんてけっこうマジで思ったんだ」
「もう、そんなの」
「嬉しかったんだよ」
「っ」
「文のこと独り占めできたって。それに、あの時、言ってくれたの、すげぇ嬉しかった、から」
「?」
それは、幼い郁の胸を躍らせた。
「ずっと一緒にいるからって」
「……」
「そう言ってくれたのがさ、すげぇ、嬉しかった」
それは、今、僕の胸を躍らせた。
「……熱、もうない、かもな。俺、掌じゃわかんねー。文はわかるんだよな。すげぇ」
額に掌で触れて、頬に触れて、わからないけれどとにかくさっきよりは熱くないと笑ってる。前髪をかきあげられたままだから、額も何もかも丸見えで気恥ずかしかった。
「魔法の手みてぇって思った」
「……」
「撫でてもらうだけで、風邪が良くなった気がしたっけ」
僕の手を取り握って、愛しそうに目を細めた後、慌てたように頬を赤くした。
「アイス、もっと食う?」
ドキドキしたのに。
「まだ、半分残ってるよ?」
「あー、バニラだけじゃあれかなって、チョコも、ある、けど」
「……郁」
ドキドキしてたのに。
「しないの?」
したくないの?
「はっ! おまっ、病み上がりで」
「だって……」
してくれそうな感じだったのに。抱いてくれそう。
「っ」
「したいのに」
郁だって、したいって思ったのに。
「か、風邪、ちゃんと治さないとだろっ」
「けち」
「あのなぁっ」
「けち」
「おまっ」
アイスは冷たくて、熱いのを冷ましてくれるから。
「じゃあ、治ったら」
郁も、どうぞ。
大きな塊を口移してで食べさせてあげた。でも大きすぎて、口元から零れてしまって、指で慌てて拭って、その分は僕が食べてしまおう。
「たくさん、してね?」
ずっと一緒にいるんだから、また明日、また明後日、明々後日、たくさん抱いてもらおう。
「あんま」
「煽ります。たくさん、煽って」
たくさん、ずっと。
「抱いてもらうんだもん」
アイスをちょうど半分こ。もう一度キスをして、見つめ合って、お互いに笑っていた。まるで我慢比べでもしているみたいに、笑って、困って、早く元気になりたいなぁって、元気になれって、笑って。
そして、部屋にはあったかい、優しい、抱き合ってすごす時と同じくらいの甘い愛しさが溢れていた。
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