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ほのぼの夏風邪編 3 些細な音

『ったく、マジで心臓止まるかと思っただろ』  すごく、ものすごく怒られてしまった。  あんなに怒る郁はちょっと珍しくて、高熱に倒れながらも、とてもドキドキしてしまった。  まさか倒れるくらいにひどい風邪だなんて思わなかった。暑さがきいたのかな。急にぐらっとしてしまったんだ。倒れた、というか、倒れそうになったところを郁が受け止めてくれた。そこからはあんまり覚えてない。一瞬で視界が閉ざされちゃって、気が付いたら、怒った顔の郁の腕の中だった。 「……」  目を覚ましたら、僕らの部屋で寝てた。  風邪はどうなんだろう。寝てる分には頭と身体の節々の痛みはあまりないけれど。あと吐き気がすごくて。お腹は大丈夫。喉は少し渇いたかな。あとちょっとだけ熱にだるいけれど。そのくらい――。  僕の布団だけが敷いてある。並んで敷いてる郁のはまだタンスの中だから、なんだか部屋がやたらと広く感じられた。  いつもはこっちを向くと、郁が寝てるのに。  背中をさすってくれた。大きな手が冷たくて気持ち良かった。  なんか、申し訳ないな。情けないところをたくさん見せてしまった。熱のせいもあって、気分が落ち込んできてしまう。 「……」  下にいるのかな。郁は。  倒れたのは、成田さんが帰った直後だったから、二時とか三時くらいのはず。郁は外回りでいくつか話を聞いてくれそうなところがあったから、回ってくるって言ってたから、そんな早い時間には帰ってこないはずなのに。  迷惑、かけちゃった。  吐く時とか苦しすぎて「大丈夫だから」っていう暇さえなかった。  あーあ、もう、ホントさ。  起き上がろうと頭を上げたら、あまりに重くて驚いてしまった。頭がぐらぐらして、痛くて重くて、起きようとした途端に、むしろ布団にのめりこむように沈み込んでしまう。  頭痛にきゅっと顔をしかめて、波のある痛みを堪えてやり過ごそうとした時、部屋の扉が開いた。 「文? 起きた? 水、持ってきた」 「ぁ……」 「何? トイレ? 吐きそうか?」 「う、ぅん」  咄嗟に頭を振って答えたけれど、その自分で振った頭の痛みにまた堪えきれなくて、きゅっとその場で布団に顔を突っ伏してしまいそうになった。 「吐きそうなら、洗面器持ってきたから、吐いちまえ」  声が上手に出せなくて、喉奥でつっかえてしまう。郁は布団の横に座り、支えるように片手を添えてくれた。  背中をさすってくれる手がとても優しくて、その手に、ほぅ、と安堵の溜め息が自然と零れてしまう。 「へ、き、頭が痛いだけだから」 「平気じゃないだろ」  身じろぐと、起き上がるのを手伝ってくれる。その腕に甘えて寄りかかると、ふわりと、ゆっくり、頭を揺らさないようにそっと手を添えてくれた。 「なんか夏風邪って腹に来るってパートさんに教わった。だから、消化にいいもんとか、あと、アイスも」 「あの、ごめんね、郁」 「いいんだよ」  情けないって言おうとした僕ごと包み込むように笑って、抱き締めてくれる。温かい手はどこまでも優しくて、大きくて。 「吐きそうだったら、洗面所置いとくから。もしも服、汚れたら、呼んで。ぼろっちぃ家だから、上から呼ばれば聞こえる。水、とりあえず飲んで。汗かいた?」 「あ、ううん、へ、き」 「じゃあ、あとで身体拭くからさ。寝てて。夕飯はなんか消化のいいもんな」  てきぱきと、僕の枕元に洗面器と水を置いてくれる。ペットボトルだと億劫だろうからって、水筒を用意してくれていた。 「水飲んだら寝てて」 「……う、ん」  スクッと立ち上がった郁が、微笑んで、そして、灯りを消して部屋を後にした。  真っ暗、というほど真っ暗ではないけれど、視界が急にほとんど見えなくなると音がより鮮明に耳に届く。  ほら、トントントンって、階段を下りる音がする。 「ぼろっちぃって……言われちゃった」  でも、たしかに古い木造のうちだからさ。  郁がお米を研いでる音が聞こえた。それから、キッチンというほどお洒落じゃない台所を歩き回ってる音がする。水を入れて、今度は何か包丁で切ってる音。それから、冷蔵庫を開ける音もする。  たしかにこれなら、小さな声で名前を呼んでも聞こえるかもしれない。  優しい音がずっと聞こえてる。  あったかい音がずっとしてる。  なんだかとてもテキパキしててる。手がさ、しっかりしてたなぁ。大きな手だった。つい、思いきり寄りかかりながら起き上がってしまった。重たくなかったかな。 「……おじや、が、いいなぁ」  梅干のっけて、葱も入れて、卵は多めのほうが嬉しいんだけど。 「ふふ」  げんきんなものだ。なんだかお腹が空いてきた気がする。  もう部屋が真っ暗なのに寂しくなかった。下で聞こえるたくさんの音が忙しそうで、ひとりぼっちどころか、楽しい感じ。  そして、気が付くと頭痛も消えていた。あんなに痛くて、布団から起き上がることもできなかったのに。頭がめり込んでしまいそうなほどに重かったのに。郁の立てる小さなあったかい音に耳を済ませようと、枕から頭をどかす時もちっとも痛くなかった。  そして、頭と背中がくすぐったい。撫でてくれたところ。そこがじんわりと温かい。  あの大きな手に撫でてもらって、痛いのを全てとってもらえたのかもしれない。  ――トントン、カチャカチャ……。  また小さな音がした。  小さな音に耳を済ませていたら、いつの間にかあんなに痛くてたまらなかったはずの頭は急いでこの音を頼りに映像を作り出す。看病に四苦八苦する郁の姿を再生することに忙しくて、痛くしている暇がないらしい。  ほら、何か落っことした。小さく「あっ!」なんて言ったのが聞こえる。「あ~ぁ」って残念そうにしている。  目を閉じて、そんな郁を想像しながら微笑んで、微笑んだまま、眠りに落ちていた。

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