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第8話 揺れる心
その日、俺は結局泊まることになり、翌朝また弁当を持たされた。しかも一緒に大学に向かうことになるし。
でも、気まずい雰囲気だと思っているのは俺だけのようで、賢司はいつも通りだった。会話も普段通り。次第に前みたいに話すことができるようになっていったから、少しホッとした。
「じゃあ、俺はあっちの教室だから。…あ、晴翔」
「ん?何だよ」
「授業、寝るなよ」
「ね、寝ないっての!何だよ、お前は俺の親かっ」
「はは、それだけ元気なら大丈夫だな。じゃ、またな」
「…おう」
にこやかに手を振られ、調子が狂う。
大学にいるときは結構普通なんだけどな…。
教室に入り、学生証を機械にかざす。いつもの定位置に座ると、机にふっと影ができた。
「隣、いいか?」
「あ、はい。どう…、…、…せっ、先輩?!」
「おはよ、晴翔」
「お、おはようございます!」
「朝から元気だなー」
「え、あ、…はは…」
苦笑しながら内側に寄る。
先輩もこの講義を受けてたなんて知らなかった。そういえば学年とっぱらった授業だったな、これ。
「あのさ、晴翔」
「な、なんですか?」
「週末空いてる?」
「え。ええと…まぁ、はい?」
「お、良かった。じゃあさ、これ行かないか?」
先輩が机の上に置いたのは、映画のチケットだった。しかも俺が見たかったやつ。っていうか、俺、今もしかして映画に誘われてるのだろうか。
「俺と、先輩で?」
「そう。晴翔と俺で」
「いや、その、悪いですよ」
「悪くないよ。貰いものだし、気にしないで大丈夫。一緒に行く人探してたんだ」
「他の人でもいいんじゃ…先輩なら一緒に行きたい人、たくさんいると思いますよ」
「あー…うん、ごめん、俺の言い方が遠回し過ぎたな」
「へ」
「…晴翔と行きたい。晴翔に俺のこと、もっと知って欲しいんだ」
「…っ」
好きな人が、顔を寄せてきて小声でそんなことを言って、それで赤面しない奴がこの世にいるんだろうか。
「あ、の…その…」
「とりあえずお試しでさ、一緒に出掛けてみないか?」
「…っ、でも」
「な?」
穏やかな見た目に反して、先輩は意外と押しが強いみたいだ。本当は断らなきゃいけないはずなのに、一回だけなら、なんて思ってしまう自分もいる。
「せ、先輩、あの俺…」
「晴翔」
「え?…えっ?!賢司?!」
近くから聞こえてきた声に反応して顔を上げると、そこにはさっき廊下で別れたばかりの賢司が立っていた。
「忘れ物。筆記用具なしでどうやって受けるつもりだ?」
「え、あ、ほんとだ。つーか、何で賢司が」
「俺の鞄に入ってた。間違えて入れたんだろ」
賢司はちらりと先輩を見ると、いつもみたいに人好きのする顔で笑った。
「話してる最中にすいません」
「いや、大丈夫だ。君は…」
「1年の久永です。晴翔の、」
「俺の親友です!すっげーいい奴で!」
「…。いい奴じゃないけど。まぁ、そうです。中学からの親友です」
「そうなんだ。俺は2年の眞木(まき)だ」
賢司はにこにこしながら、机に置いてあるチケットに目を向ける。一瞬冷えた目をしたのは、きっと見間違いじゃない。
「…映画、これ晴翔が見たがってたやつだな」
「あ、ああ、その…そう、だな」
「先輩と行くのか?」
「え、あ、…ええと」
「今、ちょうど晴翔を誘ってたところだ」
「へぇ…」
付き合ってるわけでもないのに、浮気現場を見られた気分になる。いや、でも、おかしい。何でこんなに賢司の顔色を伺わないといけないんだ。
確かに賢司と俺は番だし、好きだって言われてるけど、俺が好きなのは先輩で…それを賢司も分かってて…つーか賢司が無理矢理、番なんかにするから…
「良かったな。楽しんでこいよ、晴翔」
「…え」
「じゃあな」
「あ、ちょ、待っ」
賢司は笑顔を崩さないまま教室を出ていった。
「な、なんだよ、あいつ」
「晴翔、行ってくれるか?」
「え、あ、その…、……はい」
「やった!ありがとな」
「は、はは…」
無邪気な笑顔も素敵だな、なんて考えながら、俺は賢司の行動と考えがさっぱり分からなくて混乱していた。
絶対止めると思ってた。
背を押されるなんて思わなかった。
俺が先輩と行っても、いいんだ。
「晴翔?」
「…あ。ええと、その、楽しみです!」
「そうか。俺も楽しみだ」
いや、いいはずだ。
だって俺が好きなのは先輩なんだから。
ちらりと脳裏に浮かんだ疑問を掻き消すように、俺はチケットを手にとって先輩に笑いかけた。
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