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第1話

雨だ。 七音(なおと)がふと目を向けたガラスの向こうで、若葉が雨粒に弾かれて揺れている。 こうして雨音が聞こえない環境も、七年という歳月が過ぎるうちに慣れてしまった。 鬱蒼と生い茂る木々に囲まれて、校舎と住居を兼ねた寮がぽつりと建っている。そこで暮らしているのは、七音と同じく十七歳の少年が五十名余り。他に教務官と事務員が合わせて八名だ。 四階建ての建物は下層が教室と教務官室、中層に食堂、そして上層が居住区となっていた。建物の中央は吹き抜けになっており、バスケットボールのコートが二面取れる程度の中庭がある。 特殊な学生寮のようだが、通常の寮と違う明確な点がひとつあった。 七音たち生徒はこの建物から出ることを禁じられている。規則としてだけでなく、物理的にも出られないよう措置が施されていた。 外に繋がる扉は一つ。鍵は何重にも掛けられており、その全てを突破することは困難だろう。嵌め殺しの窓は強化ガラスで、弾丸であっても貫くことはできない。万一割れることがあっても防犯装置が作動し、即座に教官たちが駆けつけるシステムだ。 そのうえ、七音たちはこの建物がどこに存在しているのかも知らない。建物を取り囲む森がどこまで続いているのかも。 決死の思いで建物から出たところで望む自由が得られるかどうかも分からない。だからこの閉ざされた空間から出られない窮屈さも受け入れざるを得なかった。 七音がここに連れてこられたのは七年前。十歳になった者が必ず受けることを定められているバース検査の結果を受け取った日だ。 郵送で届くと聞いていた検査結果を、七音のところに直接届けたのはバース管理局の局員だった。 「××七音さん。あなたはバース検査の結果、オメガと認定されました。今後バース管理局の管理下に置かれることとなります。移送は三十分後。私物は一切持って行くことができませんので、こちらの用意した服に着替えておいてください」 質問を差し挟む余地もなく、ましてや拒否など出来やしない。オメガを匿ったり逃がしたりすることが重罪とされている以上、七音も家族も言われた通りにするしかなかった。 そうして家族やそれまでの生活との慌ただしい別れを経て、七音はここにやってきた。 ──番が迎えにくるその日まで、ここから出られない。 それがここに着いて初めに教務官から言われたことだ。 同じ状況で寮に連れてこられたオメガの少年たちと過ごすうち、家族や友達と会えない淋しさには慣れた。息の詰まるほどの窮屈さにも、退屈にも。 だが七音は自分が自分ではなく、アルファのために存在するオメガなのだと意識を作り変えられることは、どうしても受け入れることができずにいる。 ──オメガはアルファのために生き、優勢種をより多く生むことが責務……か。 アルファは人類の二パーセントほどしか存在していない、あらゆる面に於いて優れた才能を持つ優勢種だ。生まれながらに持つ能力がその他の人類とはかけ離れている。アルファはアルファの血統にしか生まれない。遠い祖先にアルファを持つベータの血統から生まれることもあるというが、ごくごく稀なことだった。 大抵の人類はベータという凡庸な能力しか持たない種だ。七音の両親もベータであり、七音もベータだと信じていた。だがバース検査によりオメガ種であると判定されてしまった。 オメガ種は血統に関わらず生まれるが、その数はごく少ない。発情期を持ち、男女問わず妊娠可能だというのが一番の特徴だが、バース管理局により特別管理されるのはそれが理由ではない。 アルファと番ったオメガは、高確率でアルファを産むことができるのだ。優勢種が増えれば、世界はより発展する。人類の発展に寄与するため、オメガは強制的にアルファと番わされるのだ。 そこに七音の意思など関係ない。とっくに決められた番は、七音の発情期が訪れるのをどこかで待っている。そして発情の知らせを聞いて迎えに来るのだ。 外の世界に出られても、その後は番のアルファに縛られて生きる。それがオメガというバースに生まれたものの宿命だった。 「あ、雨だ」 ぼんやりと窓の外を見やっている七音に気づいた一咲(いさき)が隣に並ぶ。一咲は七音が寮の中で一番親しくしている相手だ。七音は一咲の明るくてのんびりした性格が大好きだった。 男でありながらも子を産む特性を持つオメガだからだろうか。七音も一咲も成長期を迎えた男にしては小柄で華奢だ。 目じりに向かって上がる切れ長の瞳をした七音に対して一咲はこぼれそうなほどの大きな瞳をしている。七音は癖のない真っすぐな黒髪だが、髪を染めることもパーマをかけることも許されていないのに、一咲はゆるやかなウエーブを描いた髪をしていた。 寮で一番の美しさを誇る一咲なら、どんなアルファでも愛しく思ってくれるはずだ。だが凡庸な七音はどうだろう。いざ番になったとき、相手のアルファに邪険にされるのは辛い。 例えそうなったとして、オメガに選択肢はない。アルファが必要だと思えば、子どもを産むために生殖活動を行うだろう。 「来週また月が満ちたら誰かいなくなるのかな」 「七音?」 七音の呟きが聞き取れなかったのだろうか。一咲がくりっとした瞳を向けて首を傾げる。 「なんでもない」 そう言うと一咲は「そう?」と言ってまた窓の外に目を向けた。 七音が気にしているのは発情期だ。必ずしも月の満ち欠けと一致するわけではないが、満月の夜に発情期を迎える者が多い。先月も四人発情を迎え、その晩のうちにこの寮を出た。 彼らがどこに行き、どんなアルファと番になったかは知らない。もう二度と会えない可能性のほうが高かった。 七年間この閉鎖的な空間で共に過ごすうち、家族のように親密になっても、来た時と同様、オメガの意思など関係なくそれぞれの人生は分けられる。 ──一咲だって明日にはいなくなってるかもしれない。 どうしてオメガに生まれたのだろう。 考えても仕方ないことを胸にしまい、七音もまた外の世界に想いを馳せた。

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