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第12話

  そして、青年にいわれた通り、湯殿に向かおうと踵を返した。 漸くその気になったというか、その気にせざる得ない状況にさせられた灰白の狼人(カルマ)の姿をみ、青年は満足そうに頷き彼の背中を軽く押す。 「───ほれほれ、お前さんらが湯浴みしとる間にココは綺麗に片しておいてやるから安心せい」 しかも、恩着せがましい素振りで喋るモノだから腹立たしいことこの上ない。 だが、羞恥という部分をこの数刻で養った灰白の狼人(カルマ)は複雑な気分だった。 「──ったく、お前っていう和郎(わろ)は。──な、噛ませ犬は性じゃなかろうが?」 内観したにも関わらず、そうがなるのは彼の粗行の悪さの所為だ。 一方、青年はまったく気にした素振りもみせず、淡々と返す。 「そうじゃのう。じゃがのう、棚から牡丹餅と思えば、当て馬も存外乙なモノじゃぞい?」 まぁ、吟味には欠けるがといういかにも彼らしいいい廻しに、灰白の狼人(カルマ)は茫然自失した感を覚えていた。 強がりなのか、元々こういう気性なのか解らないが、自己評価が低いことは確かである。 「なんというか───、お前、ぞんがい大概よな?」 灰白の狼人(カルマ)はそうボヤき、首だけで後ろに振り返って青年に苦い顔を向ける。 「かっかっかっ、そういうでない。俺にだってのう、俺の事情っていうモノがあるんじゃ。今はタダ、時間が惜しい」 愉快そうにそういうが、畢竟(ひっきょう)目許はまったく嗤っていなかった。 欠けた陰の重さでいっても、夢現の童(辰星に憑依していた)の時の方が軽そうにみえる。 青年の持つソレは、どうやら深いところに闇を潜ませているようで、受ける疎外感が半端ではないようである。 だから、今更だが、灰白の狼人(カルマ)は良心の呵責に駆られた。 「なんというか、悪かったな。コレからは、こうならないように気をつける───」 今の今まで悪いなどと梅雨とも思っていなかった性癖だが、ついに心の底から謝罪の言葉がでる。 ああ、黒灰の狼人(ヒョニ)にも謝っていたがアレは無理やりいわされたモノで、反省からでたモノではない。 突拍子もない謝罪に驚くが、青年はニマニマと細目で応じる。 「なんじゃ、今更かのう。──ま、解ればよい。コレからはちゃんと相手のことも考えて行動するんじゃぞ」 「相解った、今後はそう致そう」 素直に聞き入れる灰白の狼人(カルマ)は、猫が擦り寄ってくる仕草で彼の胸板に頬を押しつけてきている(辰星)に顔を向け直し、お前にも悪いことをしたと謝る。 「コレはまさに、雨降って地固まるといったところじゃのう」 「………ん? 雨、降って地固まる?」 灰白の狼人(カルマ)は首を捻らす。そして。 「散々掻き廻して、ソレか?」 元鞘に戻ったワケでもあるまいしと、ひとりごちる。 「何、言葉の文じゃよ。そう気にするでない。さてと、あの馬鹿(・・)のことは待たせておけばよいから、ゆっくり身体を温めてこい」 青年はそういって手を降り、ふたりを快く送り出す。 「──えっ、待たせてよいのかよ?」 灰白の狼人(カルマ)は身体ごと振り返り、目を瞬かせた。 どうやらコレからくるシャムスは、相当気難しいヤツだと思っていたようだ。 「ああん、何をいっておるんじゃ。散々待たしておるのはアヤツの方じゃぞ」 つい今しがたまで温厚そうな顔で喋っていた青年が、物凄い剣幕でがなった。 「いっ刻やふた刻がいに待たせばよかろうが───」 ソレからわやわやとその背中から不穏な陰を吐きだし、更には。 「何ならいっそう、朝旦(ちょうたん)まで帰ってこんでもよいぞえ」 などと彼にしたら随分と毒々しい言葉を撒き散らすモノだから、灰白の狼人(カルマ)はたぢたぢだ。 「さ、左様か………」 「そうじゃそうじゃよ。あの馬鹿(・・)はよいんじゃ。あの馬鹿(・・)はのう。じゃがのう───、小童がいっとった御家老の方がのう…………」 青年はそう喋っているうちにどんどん不穏な陰と毒々しい言葉が消えゆき、遂にはそわそわと視線を矢鱈彼方此方に泳がしだす。 そのことから。 「なるほど、お前がその御家老に頭が上がらんということはよく解ったが、その者までくるってことは………」 ないんじゃないのか?と喋り切る前に灰白の狼人(カルマ)は青年の事情っていうモノを賢察してしまう。 そう、シャムスというヤツよりも御家老というヤツの方が灰白の狼人(カルマ)の性癖をよしとせず、会わせたくないのだと。 つまるところ、御家老はシャムスというヤツと一緒にココへきて、この青年をしかと困らせるというところだ。 青年は青年で灰白の狼人(カルマ)が語尾までいい切らなかったことから、彼が察したのだと解ったらしく顔を青ざめさせる。 「………というか、ソイツまで待たせてもよいのか?」 灰白の狼人(カルマ)もバツの悪い顔で、おずおずと青年にそう訊ねる。 まだ良心の呵責が効いているのか、彼の体裁を大層気にした様子だった。 「──え、あ、ま、その、何じゃ、ソレに関しては恐らく大丈夫じゃろうが、───お前さんは会おうという気があるのかえ?」 逆に、そう心配され、灰白の狼人(カルマ)は意図不明な顔をする。 「──ハァ? 俺が、か?」 数度瞬きをするが、意図が読めない。かといって、青年に聞くのもとちらっと横目でみると、彼まで鳩が豆鉄砲を喰らった間抜けな顔をしていた。 「へ?」 「ああ───、否、俺、もっと何かを察しなかったらいけなかったか?」 「あ、別に今のままで十分じゃと思うんじゃが?」 慌てて住まいを正す青年に素直に会いとうないといえれば、よかったが。 「ああ、そっか、そっか、そうか──。否、─────で、ソイツはそんなにヤバいヤツなのか?」 御家老という未知の重圧に臆し、その者のことを聞いてしまう。 「ま、そうじゃのう。ヤバいといえばヤバいじゃろうな──」 俺でも手におえんからのうと小さくボヤかれたら、返す言葉がない。 「………………えっと、悪いが。少々、考えさせてはくれんか?」 コレ以上何かを聞けば聞いた分、手にあまりそうで灰白の狼人(カルマ)は話を切る。 ソレに、急を要するといわれた手前、今は早急に動いた方がよさそうだ。 「すまんが、そうしてくれ。──なんにせよ、先ずは湯浴みにいってまいれ」 青年もそう切って、再び背を押した。 「そ、そうだな」 灰白の狼人(カルマ)は返事もそこそこに踵を返すと、渡り殿に繋がる廊下をとたとたと歩きだす。 さて、冷たい床板を踏み締める足取りが心ばかし軽いのは、当然、腕の中にいる(辰星)がいる所為だ。確かに青年のことも彼がいう御家老のことも気がかりだが、今は(辰星)のことに集中したい。 なんせ、いっ刻もあれば浴槽で好き放題抱ける上、泥酔した(辰星)は従順でコレはもう灰白の狼人(カルマ)の天下というモノ。 そう、コレまでいろいろと邪魔が入って彼の息子(男根)はお預け状態なのだ。ココで、この好機を逃すともうコレ以上の帳尻が合いそうな状況はない。 ハスハスと荒息を立てる灰白の狼人(カルマ)は湯殿に向う渡り殿を曲がったところで、一気にその足取り加速させた。 「おうおう、事態を掌握していないっていうのはよいもんじゃのう」 そういって妻戸からひょっこりと顔をだしたのは、灰白の狼人(カルマ)にそっくりな灰白の狼だった。彼との違いを上げれば、左片目に刀傷があるくらいだろう。 「───ルカス、お前さんはまったく………」 ヒヤヒヤさせるでないと、青年は灰白の狼(ルカス)の額を小突く。 そして、灰白の狼人(カルマ)が滑って転んだ際に落とした式札が、光ったときは肝が冷えたわいと愚痴った。 余談であるが、狼人のほわほわの毛皮は収納力が非常に高いが、狼の姿のときよりかは毛が短く、稀にこのように落とすときがある。 「コレ、いっとくがな。ソレは、俺が悪いワケじゃないぞ」 小突かれた額を押さえ、後ろに振り返る灰白の狼(ルカス)は、びしょ濡れの床の上で伸びている赤褐の狼をじとりとみる。 灰白の狼(ルカス)は、この期に及んであの式札を異空門の媒体にするとは思っていなかったようだ。 「だがのう、お前さん、あの馬鹿(・・)が規格外のうつけで、相当な方向音痴だと知っておろう?」 「そうじゃがな、アレは相当規格外過ぎるじゃろうが!」 予想の範疇に収まらないうつけは面倒み切れんと灰白の狼(ルカス)はいうが、方向音痴だからこそ予測不能だと思わんのか?と青年は溜息を吐く。 確かにそういわれればそうだが、納得はいかない。 老輩の姿で赤褐の狼のことを監査していた灰白の狼(ルカス)は、渋い顔をする。 「のう、我が王(・・・)我が兄(・・・)が接触しななんだだけでもよしとしてくれんか?」 「ま、高龗(たかおかみ)に比べればまだ可愛いモノじゃからのう──」 あの氏神馬鹿(・・)は死んでも治らんじゃろうしと、青年は大仰に肩を落とす。 実のところ、彼は灰白の狼人(カルマ)(辰星)の前に現れるつもりはなかったのだ。 何処ぞの氏神(・・)がのうのうと灰白の狼人(カルマ)の前に現れ、好き勝手した所為で未だ(辰星)赤褐の狼(シャムス)が合流していないのだ。 だからといって、赤褐の狼(シャムス)灰白の狼人(カルマ)が接触してもことが大きくなるばかりで悪循環になってしまうのだ。 「コレコレ、龍星(りゅうせい)や。そう怒るでないぞえ。氏神としては氏子の行末を案じるモノじゃろう?」 突如、室内から声がする。 灰白の狼(ルカス)が振り返れば、灰白の狼人(カルマ)が滑って転んだときに落とした式札がぽんと高い音を立てて()の姿になった。 そして、わざわざ灰白の狼人(カルマ)が抱き殺したというか、抱き潰した()の成りで現れる。 「どの口がいっておるんじゃ! 俺もお前さんの氏子じゃろうが───」 そうがなられても仕方がない。青年(龍星)の本来の姿を使って、灰白の狼人(カルマ)に抱かれたのだ。 こめかみに血管のひとつやふたつ、浮きでても致し方がない。 「ああ、確かにアレはな───。氏子の行末云々というよりも惚れた腫れたの領域じゃったからな」 そして、灰白の狼(ルカス)のひとことで更なる怒りが舞い降りようとは、青年(龍星)以外の誰もが解り兼ねぬことだった。  

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