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第1話

  「じゃあ、お願いします」  三谷優人(みたにゆうと)はタクシーの運転手に声をかけ、後部座席のドアから離れた。  ドアがバタンと自動で閉じ、タクシーが動き始めたのを見て、優人は深く溜息を吐く。飲み会でぐでんぐでんに酔っぱらった上司と、やっと離れられたことからくる安堵の溜息だ。  人の世話を焼きたくなってしまう優人には嫌な役どころばかりが回ってくる。自覚はしているというのに、どうしても困っている人を放って置けないのだった。  桜の下で行われていた宴会が雨に降られ、急遽お開きになり今に至るのだが、優人の姿は酷いものだった。絡まれてヨレヨレになっていたスーツは、上司を運んだ所為でまともに傘も差せず、ずぶぬれとは言わないが雨に濡れ、余計にだらしのないものと化していた。 「三谷ー、部長帰った?」 「はい、タクシーに無事、」 「な、おまえ二次会来ない?」  金曜日の夜、――あと一時間で土曜日になってしまうほどの時間なのだが、まだ飲み足りないメンバーが酒の弱い優人を誘った。割り勘するには頭数が多い方がいいからだ。 「いや、俺はここで」 「あー? ノリ悪いな、三谷ぃ」 「はぁ、もう呑めませんから…、」  と優人が言い終わる前に、そこにいたメンバーたちは話題を変え、早々に優人を置いて二次会の会場へと向かって行った。どうせ行ったとしても、先輩の自慢話だけであることは予想が付く。上司がいなくなった今は先輩の独壇場だ。優人は内心あっさりと帰路に就けたことに安堵しつつ、先輩らの後姿を見送った。  優人はスーツに張り付いた桜の花弁を水滴と共に払って傘を差しなおし、街灯を反射させて煌めくアスファルトの上を歩き始めた。急に降ってきた雨に慌ただしくブルーシートなどを片づける団体を傍目にゆっくりと歩を進める。傘の端から覗く、堪能する間もなく散ってしまった桜を眺めながら。     その優人の目の前を傘もささずにふらりと青年が通り過ぎた。  少し幼さを含んだ華のある顔には、その空間にいる人すべてを小馬鹿にするかのような嘲笑がうっすらと浮かび、雨に濡れる姿と相まって、存在の不安定さを感じさせる。  優人は気づけばその青年の肩を掴んでいた。世話焼きの本能だったのだろうか。桜のように儚く散ってしまいそうな空気を纏っていたその青年を放って置けなかったのだ。  しかし、その青年の第一声は、そんな優人を突き放すようなものだった。 「アンタ、なに?」  冷めた視線と刺々しい声色が優人を刺す。  青年からすれば、優人は不審極まりない人物であり、当然と言えば当然なのだが、優人はそんなものにはへこたれないお節介精神を持ち合わせていた。 「君、ずぶぬれじゃないか。傘は? 傘は持ってないの?」 「はぁ?」 「これ使うといい。俺の家すぐ傍だから心配しないで」 「マジ、なに?」  傘の柄を差し出す優人を何やら可哀想な目で見ていた青年は、何かを思いついたように目を細めた。 「なぁ、アンタの家連れて行ってよ。近いんだろ?」 「え?」 「俺、今日鍵失くしてさぁ、部屋に入れなくて困ってたんだよな」  その青年は全くと言うほど困った様子ではなかったのだが、優人の庇護欲をくすぐるには十分すぎる言い訳だった。 「狭いけど、一泊くらいなら問題ないと思うし、うちにおいで。うん、それが良い」 「ホント? じゃ、よろしくな、おにいさん?」  どこか艶やかに微笑む青年の美しさに優人はしばらく釘付けになっていたが、はた、と気付いて頭を振ると、青年を傘の中に招いた。     「チョロいな」  と呟いた青年の声は優人の耳には入らず、雨の音に消えた。

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