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月夜の兎（オメガバース）（藍白・著）
『プロローグ』
「はっ、あっ……う」
口からは熱い吐息が漏れ出してくる。四つん這いになり、尻を高く上げ、氷雨は意味のない言葉を連ねていく。
「……」
無言が痛い。何か言って欲しい。でも請うてもそれを叶えてくれるはずもなくって。
尻を揉まれ、双丘を割り開き、熱いものが宛がわれる。
「ふぅっ、うっ、っ……っ」
ぐっと押し入れられ、氷雨は息を飲み込んだ。吐き出すことも出来ずに、何度か息を吸った。
「……」
無言のまま、震える背を撫でられる。その刺激に意識が分散し、その間に熱が挿入ってくる。ナカの肉を擦られ、ぞくぞくと、その刺激にも震える。腰を掴まれたまま、熱がナカを這っていく。
「……っ、ぁっ……っ」
圧迫される腹の苦しさに、上手く息が出来なくて。するとまた背を撫でられる。その温もりが心地よくて、そのまま身を任せるように崩れる。でもそれをしっかりと掴まれ崩れることが出来ずに感じ入る。
「……」
「んあっ、はっ、あぁ」
ナカを擦られ穿っていく刺激に、氷雨はただただ感じ入っていた。
意味もなく性器からは、とろとろと白濁が漏れ出ている。自分を支えていられなくって、腕が崩れる。尻だけ高く掴まれたまま、氷雨は啼いた。
「んんっ、ふっ……ぅ」
ぱちゅぱちゅと肉のぶつかる音が聞こえてくる。男の漏れ出る息づかいと、その音のみが、この空間に響いていた。
「あっ、あ、あっ」
最奥の扉をこじ開けるように、男のそれが穿っていく。
「そ、こっ、あ、やめっ、ひっ、ぃっ」
そこは何度穿かれても怖くって。いやだと首を振って訴える。そんなことは視界にも入らないかのように、男はそのまま、がつがつと貪っていく。
互いの匂いに溢れ止まらない。どのくらいの時間が流れているのか最早わからない。
寝床の布は、互いの放った白濁により、ぐっしょりと濡れている。
「怖、いっ、もっ、やめ、てっ」
何度懇願しただろう。吐き出すものもなく、絶え間なく押し寄せる波のような快感に震える。
それでも男は黙ったまま、震える裸体を掴んだまま、何度も何度も最奥を突き上げていた。
『月夜の兎』
それはさながら闇夜に浮かぶ月の兎。
「氷雨様」
「はい」
「お支度が調いました」
「はい」
いつもの時間に、いつものように呼ばれ立ち上がる。身にまとっている着物が重い。ずるずると引きずりながら歩いていると、いつものように行成に窘められる。
「氷雨様、胸をお張りください」
「はい」
そう言われても重いものは重くって、どうしても引きずってしまう。なんとか言われたように胸を張るが、やはり上手くはいかなかった。ふっと息の零れる音を聞き、自身も思わずため息を吐いた。
湯浴みに向かう。いつもの場所でいつものように、一枚また一枚と着物を脱いでいく。
「氷雨様、手伝いましょう」
「一人で出来ます」
「ふっ……そうですか」
嘲笑われた様に感じるが、これもまたいつものこと。出来るだけ気にしないように努めながら、氷雨は重い着物を脱いでいった。
「……」
「……」
肌襦袢を身にまとったまま、ゆっくりとつま先を湯に沈めていく。いつものように温かい。そのまま身を沈めていく。
「湯加減はいかがですか」
「はい、ちょうどよいです」
「それはよかったです」
「……」
いつもと変わらぬ会話。そして視線。
氷雨は一度目を瞑り、静かに湯に浸った。
行成の視線だ。気付けば彼が、いつも自分を見ていることに気がついた。それは、幼き頃に感じたものではなく。
ちゃぽんと音を立てながら、氷雨は湯をすくい、顔につける。はっと息を吐き出して、瞑っていた目を開けた。
ああ、また見ている。
自意識過剰という範囲を超えていると思う。でもそんなことは言えなくって。氷雨は視線が絡まぬように、行成の存在を感じないように努めた。
「……」
「……」
行成は、氷雨の付き人だ。まだ幼かった頃に行成は氷雨のそばについた。行成がそばにいるのが当たり前だった。
でも最近は、いや、もう半年ほどになるが、いつもそばにいることに違和感を感じるようになっていた。
この世界には男女という性別の他に、第二性と呼ばれるものが存在する。
全ての者の頂点に君臨するものが甲種。全てのことに秀でており、帝を中心とした朝廷を司る者たちは皆、甲種である。
それを支える種が、丙種だ。丙種は所謂一般の男女に当たる存在だ。
そして乙種。乙種は男女を問わず、子を孕む種であった。どれだけ優秀な甲種を孕むかによって、乙種の価値は決まってくる。
氷雨は乙種だ。生まれたときから乙種である印が刻まれていた。それはうなじにあり、甲種がここを噛むことにより番が成立する。成立した番は、互いに求め合うと言われていた。
出していた手を戻し、再び、ちゃぽんと水音を立てながら、湯から手の平を出し見つめる。そのまま自身のうなじに触れ、細くため息を吐き出した。
「……」
「……」
発情すればこの先読みの力も失せるだろう。
さすれば私の存在価値もなくなるだろう。
氷雨は先読みの力を持っていた。それは乙種の発情を迎えるまでの幼子に、まれに備わった力だった。
先読みは、この世の先を見据える力。その言葉で、朝廷は政を行う。
初めて氷雨が先読みの言葉を発したのは、まだ五つの頃だった。その際、偶然にも役人がそばに居た。そのまま氷雨は、この朝廷に連れてこられた。
以後ここに住んでいる。
十五を数えた頃から、そばには行成がいた。まだ幼子であった行成は、氷雨にとって癒やしであった。氷雨、氷雨と自身を慕う行成に好意を持った。それが最近は、その感情が違うものに変わっていた。
氷雨は乙種だ。発情はもうすぐだと言われながらも、二十五を超えた今も発情期はきていなかった。
それは先読み力を使うにはよいことであったが、氷雨自身の乙種としての価値はなくなっていた。
「……」
「……氷雨様、もう上がりましょう」
「はい」
こんな他人行儀な会話になったのはいつの頃からか。寂しさを心に抱きながら、氷雨は湯から上がった。
「あっ」
「危ない」
「……ありがとう」
「……いえ」
足を踏み出した瞬間、何かにつまずき、傾いだ体を行成が抱き留めた。一気に心拍数が上がる。
「……」
「……」
また無言だ。
以前はよく話したのに、最近はこんな時間が流れている。
私が何かをしているのだろう。
そう思うと切なくて。ただそれだけで胸が潰れそうだ。
今までのようにもっと行成と話したい。
こんな……寂しい。
それでもその想いを口に出すことが出来ずに、氷雨は行成から離れる。
「……手を繋ぎましょうか」
「いえ、大丈夫、です」
「……」
「……」
こんな気持ちのまま手を繋いでも空しいだけ。
でも今の感覚には……覚えがある。
ハッとして氷雨は行成を見た。視線は絡まない。
思わず目をそらし、氷雨は注意深く足下を見ながら歩を進めた。
見えない。
視界がぼやける。
段々この目は視界を失っていく。
はじめは色だった。氷雨の世界から色が消えた。
そして視界。段々見えづらくなり、最近では視界も狭まってきた。
このまま見えなくなるのかなと、氷雨は思っていた。
歴代の先読みの者は、こうして世界の景色を失っていた。しかし先読みの力がなくなれば、その失う世界は止まる。しかしほとんどの者は、そうなる前に番われ、先読みの力を失っていくのだが。
先読みの力は、発情すれば終わる。ほとんどの乙種は、十五を迎えたときに発情する。氷雨のように二十を超えても尚、発情期を迎えない者は珍しかった。
そんな氷雨の視界は、色を失い景色をなくしていく。
発情はその個によって様々だ。だから氷雨が発情したいと思っても出来るものではなかった。同時に発情したくないと思っても、それを止めることは出来ないのだ。
「……」
「……」
無言で着物を着る。視線を感じ、居たたまれない。この視線は行成のものだ。そのくらいわかるから。だから切ない。
行成はきっと――だから切ない。
ずっとそばに居たのに――だから寂しい。
その思いを口には出せないまま、いずれ行成も自分のそばから去るのだろうと思った。
行成は丙種だと氷雨は思っていた。万が一にも甲種であれば、こんな自分のそばにはいないだろうと思っていた。
いずれここを離れるのだと思うと、氷雨の心には風が吹いていた。
丙種と乙種は番になることはない。それは行成との別れを意味する真実だった。
ずっと一緒にいた。それは氷雨にとって心強いものだった。
しかしこの先は――。
「……行きましょう」
「はい」
いつからこんなによそよそしい態度になったのか。以前のように笑い合いたい。でももう叶わないのかなと思った。
「……」
「……」
目をこらしながら、氷雨は自身の目で先を見る。この世の先ではなく、今の自分の足下を見る。
自身の部屋にたどり着き床に入る。
「ではおやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
幼い頃は共に寝ていたのに、今はもう……。その記憶を懐かしみながら、氷雨は目を閉じた。
闇夜に月が浮かぶ頃――。
「……ん……ふっ」
くちゅくちゅと音が聞こえる。何の音だと思い目を開けようとするが開かない。おかしいと思いながらも、この音に耳を傾ける。
きもちいい。
気持ちがいい波が押し寄せては引いて、引いては押し寄せを繰り返す。この感覚は知っている。でもよく知らない。
矛盾した想いを浮かべながらも、現状がわからない。
「ふっ……んっ……」
体の芯が蕩けるような感覚に身をよじる。それでも与えられ続ける気持ちがいいの感覚に戸惑う。
「氷雨……氷雨っ」
ああ、この声は。
この声を知っている。
私はこの声の主を知っている。
でも何故この声の主が今、私の名を呼んでいるのか。
「ぅっ……ぁっ……はぁ、あぁっ……」
何だろう、私は今何を言っているのか。
この声は何を――……？
揺れていると思った。でもどうして揺れているのかわからないまま、氷雨は押し寄せる快感に身を任せていた。
「氷雨っ」
どうしてそんなに私を呼ぶのだろう。
答えたいが意味のある言葉を紡ぐことが出来なくって、氷雨はただただ吐息を漏らしている。
「そこっ、やめっ、ふぁっ、あっ、んあっ」
一番敏感なところを抉られるように擦られ、氷雨の体は耐えきれずに、びくびくと跳ねる。なんとか目をこじ開けると、暗闇に人影が映り、自分を抱いていることに気付いた。
「え？ あんっ、やめっ、てっ、ゆきなっ、ひぃっ」
どうして行成が今、自分を揺さぶっているのかわからない。
「氷雨」
「ひっ、ぃいっ、ゆき、はっ……ぁあぁ……」
行成。
そう言いたくって。
でも言えなくって。
体が熱い。
この熱を知らないけれど、知っている？
どうして私はこの熱を、感覚を知っているのか。
「氷雨……今日は……今日こそは……」
絞り出すような声音が胸を打つ。でもその意味がわからなくて、氷雨は意味のない言葉を紡ぐのみ。
「ゆきっ、な、はあっ……んんんっ」
「噛むよ」
「だめっ」
でもそれだけはわかるから。だから全力で叫んだ。
「どうして？」
「ひいっ、そ、こっ、やめてっ、おねが……いっ」
怖い。
暗闇の中、よく見えない相手に抱かれるのは怖い。
よく見えないのに、次々に押し寄せる快感を与えられるのは怖くって怖くって。
帯ひもを解かれ、露わになった肌に唇が這う。その柔らかさが気持ちよくって。
胸の尖りを吸われ噛まれれば、氷雨の裸体が跳ねる。
何故私は今、こんなことをしているのか。
でもこれを私は知っている……？
初めての感覚に、初めてではないことを感じる。
「どうして氷雨は……」
「んんっ、ああっ、ふ、かい、からぁ、やめ、てぇ」
背がしなり、これ以上は嫌だと訴えるが、やんわりと髪を撫でられ、額に唇を押し当てられる。
「んんっ……ふぅっ……」
唇を重ねられ、頭を抱き込まれ、何度も最奥を突き上げられる。
「ど……して……？」
わからない。
はらはらと、目から雫が流れ落ちる。その雫を行成が食む。
「もういいんじゃない？」
「……なに、が……？ あんっ」
「止めても」
「や、める……？ んんっ」
「もう、やめよう」
「ふぁっ、あっ、あっ」
やめる？
何を？
どうして？
……行成はいなくなるのに？
「はぁっ、あ、あ、あっ」
ドクンと大きく心臓が跳ねた。その瞬間、氷雨の意識は消えた。
くったりと身を投げ出した氷雨を抱きしめる。どくどくと精液を注ぎ込みながら、行成は呟く。
「……氷雨……番ってもいい？」
その問いには答えをもらえなかった。
氷雨は未だ気づいていない。乙種としての性の目覚めは、半年前から始まっている。
その度に何度も抱いた。でも発情期のことを、氷雨は何ひとつ覚えてはいなかった。
「こんなに愛しているのにね、ずっとずっと……」
僅かに笑みを浮かべながら、行成は腕の中の薄い体を抱きしめる。甲種特有の瘤ががっちりとハマり、最奥の乙種にある子宮に己の精を注ぎ込む。
長い長い甲種の精が止まらない。
真実とは――。
行成は甲種だ。それは半年前に発覚し、甲種である印が現れた。
大体の種別は、生まれたときにわかるものだ。何の印もないものは丙種だ。行成も印は持たなかった。
しかし半年前に現れた甲種である印に、朝廷は沸き立った。しかし今尚、行成はここにいる。
丙種としてではなく、甲種としてここにいる。
「孕んだら驚くかな……その時には番に……」
もう一度薄く笑った。
出会いは幼き頃だった。次代の先読みのそば仕えの話が、行成の家に流れてきた。
その者の身分は卑しきものだと言い、誰も名を挙げなかった。
それならばと名を挙げたのが行成の家だった。代々甲種の家系である行成の生家。その中で行成は、ただひとりの丙種であった。厄介払いのように、その日のうちにそば仕えに決まった。
連れて行かれたときに、行成にはわかった。
自分は丙種なのに、氷雨が自分の番であると言うことが。
この次代の先読みの者が、自分の唯一の番であると。
しかし行成には、まだ甲種としての目覚めはなかった。
今夜も、いや今夜だけではなく、この七日の日のことを、今回も氷雨は覚えてはいないだろうと思った。
噛んで番って、精液を注ぎ孕ませ気付く。
そんな先を想像する。
それまでに気付けばいいが――。
そしてもう一度薄く笑った。
きっと伝えても、氷雨は納得しないだろう。
それならば、自分で気付けばいい。
でも――。
これ以上はもう待てないと思った。
誰よりもそばにいるのは自分だ。
だから誰よりも、そう、氷雨よりも氷雨のことはわかっている。
これ以上は待てない。
これ以上待てば、きっと氷雨の色は失われてしまうだろうと思った。
だから今回は――。
「氷雨」
未だ甲種の精を放ちながら、行成は思う。今回は番おうと。うなじに残された噛み跡を見れば、納得したくなくとも納得せざる追えない状況になるだろうと。
自分にも時間はない。
これ以上は待てない。
これ以上待てばきっと、氷雨のそばを離れなくてはならないだろう。
甲種として番を持たなくてはならないし、朝廷に出仕しなくてはならないだろう。
行成は甲種だ。その目覚めは遅く、半年前になる。
丙種のままでも氷雨を連れ去ろうと思っていた。でも甲種になれば堂々と連れ去ることが出来る。
これまで氷雨が乙種として目覚めなかったのは、行成の甲種としての執念なのかもしれない。行成はそう思っていた。
氷雨が発情すれば、乙種として番を求めるようになるだろう。十五で氷雨が乙種に目覚め発情すれば、行成はまだ幼く、そして丙種であったから番うことが出来なかった。
だから――そんな想いを抱きながら、行成はずっと氷雨のそばに居た。
ただただ慕っていた。この牢獄のような小さな離れの一室で生きている氷雨を、哀れだと思った。
この世界の先読みをすることにより崇め奉られているが、現実は囚われの身。
ほんの一部の者にしか、その存在を明かせない氷雨にとっての世界は小さく、とても儚いものだった。その世界を圧倒的に支配しているのが自分だ。そう思うと、沸き立つような興奮を覚えた。
どんな些細なことでも氷雨のことを把握し、その事実に沸き立つ。
こんな自分に愛されている氷雨が哀れだと思うと笑えてくる。
「……ははっ……」
やっと長い長い射精が終わると、ゆっくりと性器を抜いた。こぽりと白濁が漏れ、孕めばいいと思う自分に、もう一度笑った。
「氷雨」
額に口づけをし、やんわりとその長い髪を撫でた。ぴくりと動いた体を撫でると、氷雨は眉間にしわを寄せた。
「愛してる、ずっと一緒に――」
言葉にすれば簡単なこと。
ずっと一緒にいたいから。
だから氷雨のうなじに口づける。
「見逃すのは今夜まで。明日には、ね」
僅かに笑みを浮かべながら、もう一度氷雨の細いうなじに唇を落とした。
闇夜に浮かぶ月の中には兎が住んでいるという。
その兎は出られない。
ずっとずっと月の中――。
『番外編 月の兎』
怠い。
どうしてこんなにも怠いのか。
その理由がわからないまま、氷雨は僅かに瞼を開ける。
ああ、朝だなと思いながら、こしこしと目を擦った。
「おはようございます」
この空間に聞こえるはずのない声が聞こえ、氷雨は、目をきょろきょろさせた。自分のすぐそばに、見慣れた人影を見る。
「……え？ 行成、どうして」
今ここに行成がいるはずはない。朝はいつもこの部屋ではなく廊下に待機しているはずだ。
今行成は自分の寝ているすぐ真横に座っている。
「どうしてでしょうか」
しかし行成は、さも当然だとでも言うかのように、淡く笑みを浮かべながら答えた。
「どういう、意味……？」
困惑しながら氷雨は体を起こそうとした。しかし体に力が入らない。
その時行成の、ふっと息の漏れる空気を感じた。
「氷雨様、いや……氷雨」
「え？」
「俺の番」
「……え？」
意味がわからない。わからないままで覆い被さられた。
まず自分は発情期を迎えていない。
そして行成は丙種である。
それなのに、番という言葉が今、行成の口から聞かれた。この状況に困惑する。
「氷雨……俺の番」
「ゆき、なり……？」
「俺だけの番。やっと番える」
「え……？」
覆い被さられ抱きしめられ、夢のような言葉を聞かされる。
ああ、これは夢なのだと思った。だからこんなにも体が怠いのだと思った。
「氷雨は乙種だ。俺の子を孕む」
「……それは、ないよ……行成は、だって……」
よそよそしい態度は消えていた。それはまるで幼き日のように。そのことには気付かないままに、氷雨は、これは夢だと思いながら、心の奥底に秘めていた想いを紡いでいく。
「氷雨の番だよ」
「え？」
「氷雨の番が俺」
「……ゆき、なり……」
意味がわからず混乱するが、夢だからいいのかなと思った。
「うん、待たせたね。ごめん」
「……番えるの？」
「うん、番える」
「嬉しい」
だから素直にそう言った。夢だからいいのだと思った。
でも抱きしめられる温もりが、現実じゃないのかなと、氷雨に思わせる。
「今夜番おう」
「……待って……待って、これは」
「待たない。もう待たない。やっと番える日が来たんだ。随分待ったよ」
「どういう」
「そのまま」
やっと甲種として番になれるのだ。その事実を知ってから今まで氷雨には隠してきた。それは己の中に確実に捕らえるため。
「だって……行成は丙種だから」
「甲種だよ、言ってなかったかな」
「え？」
驚きに目を丸くする氷雨に、いつものように僅かに笑みを浮かべて、行成は言葉を発した。
「今夜と言わず、今から番おうか」
「え？ 待っ」
「氷雨」
自分の印を刻み込み、決して自分から離れられないように。
その思いで行成は、氷雨を抱いた。抱きながら心に思う。
ずっと一緒だよ、と。
囚われた兎は、月の中で生きていく――。
「ゆき、なり……すき……」
噛まれたことで、気を遣りながら、氷雨は心の中の奥底の想いを口にした。
だから笑う。自分の手の中にずっといて欲しいと。
月夜の兎は幸せなのか。
それは兎のみが知る。
――終――
後書き。
ドエスです……ドエスになっていますでしょうか……甚だ自信はなく悶えています……泣。
そしてそして、初のアンソロジーの参加になります。ものすごく緊張しています。お目汚しになっていませんようにと願いながら……（でも、書くのはとても楽しかったです。急に思い浮かんだお話です）
この度はお声がけ下さり、また快く参加を受け入れて下さった宇佐さん、ありがとうございます。
そしてそして、拙いドエスをお読み下さり、ありがとうございます。
藍白。
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