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副作用と謎の張り合いの件(4)

 心臓が止まるかと思った。  透が思いっきり動揺したのを見て、勝宏の意地の悪い笑みが深まった。  半身を乗り出すようにして詰め寄られる。 「し……、しら、ない」  勝宏の口からそんな言葉が出てくることに結構な衝撃を覚えた。  彼が18歳の男の子であることをすっかり失念して、ついでに心のどこかで神聖視していたのかもしれない。  その手の俗っぽい諸々とはかけ離れた場所で生きているひと、みたいな。  普通に考えれば、高校生ならまずその考えには行き着くよなあ。  しかし、だ。  今まで友人付き合いをしてきたことのない透には、同年代の男同士が素面でそういった話をするものなのかどうかすら分からないのである。  世間では、意外とこれが普通の対応なのかもしれない。  どうしよう。どう反応するのが適切なんだろうこの場合。  陸に上がった魚よろしくはくはくと口を開閉している透に、勝宏は笑みを解かない。 「今度調べてよ」 「う……あ……そ、その」  調べるって。  それは、なんだ、そういうことをして、結果を勝宏に報告しなければならないということか。  どんな羞恥プレイだ。  顔面に熱が集中して唇が震えているのが分かる。  だが、こればかりはちゃんと拒否しなければ。 「む、無理……です」  どうにか言葉にはできたが、視界が滲んできた。  それを目にしたとたん、勝宏が慌てふためく。 「あっ! わ、透! ごめん、ごめんって、冗談だから泣くな!」 「ち、違、俺、あの」  冗談、冗談か。よかった。  でも、二十歳にもなって些細なことですぐ泣く面倒なやつだと思われたかもしれない。  自分の意思をきちんと伝えなければならない時に限って涙が出てくるのは透の忌むべき体質であって、これは勝宏のからかいのせいではない。  弁明をしようと勝宏に目線を合わせて、一瞬、視線が絡み合う。  息を呑んだ勝宏が、直後、気まずそうに目を逸らした。  ああ。ディベートのトラウマ再来。 「っ透、ごめん! ちょっ……と俺、外の空気吸ってくる!」  この空気に耐えかねたか、勝宏がそう言い残して部屋を飛び出していった。  嫌われた? 幻滅された? ……いや、そもそも勝宏とはそんなに仲を深めたわけでもない。  彼とは単に、異世界について右も左も分からない透に対し、勝宏が親切心を働かせた結果の関係だ。  滲んできたのは生理的な涙だったはずなのに、透は気付けば部屋でひとりガチ泣きしてしまっていた。 ----------  ばたん、と部屋の扉を後ろ手に閉めて、勝宏は視線を落とす。 「え、マジで……? 透、……マジかよ、俺、ええ、どうしよう」  大慌てで部屋を出ていった勝宏が、どこにも行けずに盛大なため息をついて、しばらく廊下に座り込んでいたことは。  ――部屋の中で落ち込んでいる透には、あずかり知らぬところである。 ----------  勝宏がいない間にもう日本に帰ってしまおうかとも思ったが、三十分ほどして彼は戻ってきた。  なにくわぬ顔をして。  先ほどの件は、お互いなかったことにしよう、ということだろう。  勝宏にとっては同級生と猥談をするノリで振った話だったろうに、透の反応が反応だっただけに嫌な気分にさせてしまったに違いない。  せめて彼の望むとおり、先ほどのことは忘れるに努めなければ。  戻ってきた勝宏は、透に仕事を一件持ってきていた。  親父さんに渡した金貨で結界魔法の使える魔術師を雇うことになったらしいが、ここに来てもらうまでの間、町は無防備になってしまう。  解決策として、高い城壁もどきをバリケード代わりに作ろうという話になったのだそうだ。  そこで、先ほど地属性魔法と思しきものを町人に披露したばかりの透に協力を願いたい、というわけである。  コミュニケーション能力に難ありの透だったが、勝宏が間に立ってくれたことで比較的円滑に魔法の土方作業へ取り掛かることができた。  透の地属性魔法は、ウィルの転移と同じくMPを消費することがない。  休憩なしで壁を練成し続け、夕方から約二時間ほどの作業で町を覆う壁が完成した。  夕方の涼しい時間帯での作業で、特に力仕事はしていない。  これから一時間はまた宝石がこぼれ始めるだろうが、体外に汗や涙などが出てこなければいいのである。  念のため、作業後は一時間ほど宿の部屋に篭ることになった。  冒険者登録なしで魔法が使えてしまったことについてはもう誤魔化しようがないが、宝石を産み続ける体質は出来る限り隠しておきたい。 「なあ」 「なに?」  透の作業終了と一緒に部屋に戻った勝宏が、木椅子へ逆向きに跨って舟を漕いでいる。  ぎこぎこ音を立てながら、透の腰掛けるベッドのもとへ徐々に近付いてくる。 「透の宝石って別に匂いとかしないじゃん?」 「そりゃあ、体液が固まったものじゃなくて、宝石に変換されたものなわけだし……」 「気になったんだけど、汗とか涙でできた宝石って舐めたらしょっぱかったりするのかな?」 「え」  聞き返した瞬きの間に、勝宏は椅子から立ち上がって透のもとへにじり寄ってきた。  あからさまに、両手をわきわき動かしながら。  迫ってくる勝宏の表情は意地の悪い笑顔、どころか真顔である。  嫌な予感がする。 「透、ちょーっと頼みが」 「い、いや、だめ、舐めないで……」  後退ろうとするも、そこはベッドの上。  シーツに乗り上げるだけで、背中は壁にぶつかってしまった。  逃げられない。 「いいじゃん、減るもんじゃなし」 「減る! なんか減る、からやめて!」  うわあああ、と悲鳴とともに押し倒された透は、いつもの楽しげな表情に戻った勝宏に長時間くすぐられ続けた。  さんざん笑ってこぼした涙は紫の石――おそらくアメジスト――になったが。  勝宏が言うには、別にしょっぱくも甘くもなかったらしい。

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