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ウィリアムさんと所有者の話(1)
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幼い頃の夢を見た。
両親が事故で亡くなった時、透はなかなか引き取り先が見つからず、広い家にしばらく放置されていた。
昔から母の家事を手伝うことが好きだったことが幸いして、一人で風呂、洗濯、掃除、ごく簡単な食事を用意し、学校に行き、放課後に食材を買って帰る……というおよそ小学校低学年らしくない生活サイクルを送ることができた。
涙腺が壊れたのはその頃だったように思う。
親戚にあげてもらった葬式で、少しも泣けなかった。
火葬の時も、透を誰が引き取るかで親戚中揉めているのを見てしまった時も、両親と一緒にいなくならなかった自分が悪いのだと思うと、泣くことがどれだけ周りの迷惑になるか。
今以上に疎まれるんじゃないか、それが気になって泣けなかった。
平気な顔で登校を続ける透を、遠巻きに見るクラスメイトが増えていく。
母しか使わなかった女性用のシャンプー、父がいなくなって郵便受けに溜まり続ける新聞紙。
少しずつ蓄積していったよく分からない感情が、学校の授業中に決壊してしまった。
それから一転して、些細なことで涙が溢れるようになった。
クラスメイトに詰め寄られただけで、担任の教師に提出物を持っていくだけで、泣き虫の透が顔を出した。
たどたどしい一人暮らしの終わり。
両親と過ごしたあの広い家が売りに出されることになって、親戚と話をした。
明確な言葉は濁されたが、つまるところ売却額をそのまま受け取ることを条件に透を引き取ることになったのだそうだ。
ありがとうございます、お世話になります。
目を合わせるのすら恐怖でしかなくて、どうにか必要最低限の挨拶をしぼり出した。
親戚の前ではやっぱり泣けなかった。
両親と暮らしたあの家に帰ることができる最後の日。
ついうっかり、車道に飛び出してしまって、目の前に迫った大型車に心のどこかで安堵した。
やっと解放される。
広い家に一人きりで過ごすことからも、疎まれていることが分かりきっている親戚の家の片隅で暮らす未来からも。
最初からこうしていればよかったんだと――。
『透』
その時、頭の中に声が響いた。
『おまえが、「透」だな?』
道のど真ん中で立ちすくんでいたはずの透は、気付けば色とりどりの花に溢れる草原の中に居た。
「透? ああ、目覚めちまったか」
「ウィル……?」
いつも頭の中に聞こえる声が、鼓膜を揺らしていることに違和感を覚える。
目を開けると、そこに居たのは金髪の男だった。
「え? あ、えっと……」
「この姿で会うのは二度目だな。透、久しぶり。……久しぶりってわけでもねえが」
透が眠っていたのは、日本の自宅……の、寝室だ。
思わず半身を起こして手足を確認する。
痛みとともに身体を蝕んでいたはずの美しい青色の宝石が、どこにも見当たらない。
「あの……どうして、あなたが」
「まだ分からねえか?」
目の前に居る男は、ちょうどウィルと出会ってひと月ほどあとに幼い透の前に現れた救世主だった。
父の親友だったという彼は、売りに出されていた家を買い取って、親戚にさらに同じ額の金を渡し、「広い家を維持するお手伝いとして透を引き取りたい」と話をつけてくれた。
そして男に連れられながら、下働きでもさせられるのかと脅えていた透に、彼は「俺はあの家は使わないから、おまえが使え」と家の鍵と証書の類をすべて渡して去ってしまったのだ。
さらに、この歳になるまで定期的に「給与」として結構な額が口座へ振り込まれている。
通帳に記載されている送金主の名前は「ウィリアム」だ。
つまり体面的には透は、ウィリアム名義の広い屋敷に住み込みのハウスキーパーとして雇われていることになっている。
家主と会ったのは最初の一度きり。
ほとんど透の家状態である。
あまりにも都合の良い話だと思っていたが。
いや、まさか。
「ウィル……なの?」
「まあ話さなかったのは俺だが、丸々十年以上も気付かねえとはな」
透を親戚の家から連れ出した時の、悪戯っぽい笑みが浮かべられる。
「……ずっと、会ってお礼言わなきゃって思ってたけど、ウィル、その人にだけは会わせてくれなかったよね」
「だって目の前にいるしよ。俺は対価をもらう前提で動いてんだ、礼を言われる筋合いもねえし」
「一緒にいてくれてありがとう」
「だから言うなっての。変に気遣われるの嫌だから黙ってたんだよ」
やたら整った容姿の男が、気まずそうに視線を泳がせる。
「そっか。でも、あしながおじさんの正体がウィルだったって……お金はどうしたの?」
「株」
「株……」
「ていうか投資だな。元金は最初からおまえの親の金だったぜ。俺は能力使ってそれを増やしただけだ」
さらりとすごいことを言ってのけているが、能力を使って資金を転がしたにしてもある程度知識がなければうまくは回せないはずだ。
行く先々の世界や土地でウィルに観光案内をしてもらっている透だが、彼の頭の中はいったいどうなっているんだろう。
「あ、そうだウィル。俺、身体……治ってるね」
「何が?」
「なにって、カルブンクの力で、身体が宝石に……」
そうだ。
宝石化の早期解決のためにリファスの診療所を訪れて、戦闘になったのだ。
戦闘自体はなんとか全員傷を負うことなく終わったはずだが、その後の記憶が曖昧になっている。おそらく戦闘終了とともに自分は倒れて……。
「夢だったんじゃねえか?」
「……ゆめ」
ウィルの言葉に、呼吸が止まる。
あの日買い物に行って、異世界に飛ばされて、勝宏と出会って、一緒に過ごした日々のすべてが、夢?
「そんな顔すんな。これからはいつもの姿でも、こっちの姿でも、おまえの好きな方で一緒に居てやるし」
彼の大きな手のひらが、透の頭にぽんと乗る。
「今までどおり、どこにでも連れてってやるからよ」
どこにでも。
そう言われて透が今望む場所は、ひとつしかない。
「あの世界に、異世界に行きたい」
「透……」
「勝宏に会いたい」
十年以上も透のために動いてくれていたウィルに、これ以上を望むのはきっとわがままだ。
それでも、行きたい場所はひとつだけ、会いたいひとは一人だけで。
今までがすべて夢だったなら、もう一度初めから勝宏と出会いたい。
そう思えるくらいには。
「……ありゃあ深入りすると、また泣くことになるぜ」
「今、勝宏のところ以外に行きたい場所なんてないよ」
肩を竦めたウィルに、ごめん、と続ける。
「了解。……ったく、親の心子知らずってなこのことだなあ」
「親なの?」
「さあな。兄貴でもいいが」
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