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菓子とゴリ押しと必勝法(4)

 部屋に招かれた透は、マリウスに言われるまま椅子に腰かけた。  細やかな装飾彫刻がなされた木製の椅子である。  掘られた場所には宝石らしきものが埋め込まれている。  これ、日本に持っていったらものすごい金額になるんじゃないだろうか。  傷でもつけてしまったら弁償できる気がしない。 「トール。あのうるさい女は今日は一緒じゃないのか?」  透が椅子に対して恐々としていることなどつゆ知らず、マリウスが話し始めた。  頷いて、あらかじめ用意していたメモを見せる。  ルイーザは所用のため同行できなかった旨の書かれたページだ。 「君は、口がきけないのか?」  次のページに喋れないことも書いていたが、こういう態度を取っていれば普通は気付く。  こちらにも頷きを返した。  次のページは無駄になってしまった。 「そうか。何かの病か?」  喋れないことに対する言い訳は、詩絵里たちにちゃんと考えてもらっている。  首を振ると、「筆談はできるか?」と彼が大きめの紙を持ってきてくれた。  メモ帳ではなく用意された方の紙に、覚えたての拙い書き文字で記していく。  ――魔法の影響で、喋れない体になっています。  嘘はついていない。  この書き方では、一生喋ることができないのか一時的に声が出せないのか、判断がつけられないというだけだ。 「魔力障害か。僕の姉上もそうだった。声ではなく、目が見えなかったのだがな」  マリウスには、キャパシティを超えた魔力を生まれ持ってしまったがために視力を失った姉がいる……という設定もルイーザから聞いている。  だからこそ、「魔法の影響で」という事情説明がマリウス相手には都合がよかったというわけだ。 「まあ、意思疎通ができるなら何でも構わない。菓子は何を持ってきたんだ?」  ルイーザのアドバイス通り、二回目の貢ぎ物はパウンドケーキだ。  クッキーの時にチョコチップを珍しがっていたので、生クリームで溶かしたチョコレートを使ってコーティングしてある。  持参したナイフで切り分け、紙皿で渡すと、マリウスの目が輝いた。 「これは……」  チョコレートです。  どうぞ。  いくらルイーザやフランクから説明を受けていたとはいえ、口頭説明でしかない。  ゲームでヒロインが作ったパウンドケーキなど透は知らないので、これで彼が満足するかどうかは未知数だ。  しばし反応を見ていたが、無言で皿を差し出された。  おかわりっぽい? もう一切れ渡してみる。  嫌な顔ひとつせず、秒で食べられていく。  成功かな。  成功でいいよねたぶん。  何度か無言のおかわりが続いて、気付けばパウンドケーキは完食。  はっと我に返ったマリウスがごほんと咳ばらいをする。 「これは、ケーキか?」  頷く。  この世界のお菓子事情もよく知らないけれど、まあ転生者がいることだし、ケーキくらい発明されているだろう。 「先日のクッキーの時も思っていたことだが、この茶色いものは何なんだ? 砂糖を焦がした味ではないな」  これは、ジェスチャーでは説明のしようがない。  テーブルの上に置かれている紙に、チョコレートの原材料をつづっていく。 「製法は……トールの家の秘伝だろうな。うちの傘下の商会に卸してもらうことは可能だろうか」  少量なら日本で買ってくることもできるが、そのあたりは詩絵里に任せきりだ。  ルイーザもどう思うか知れない。  自分の一存ではどうしようもないことを紙に書き記す。  その夜は、乙女ゲームらしい甘い雰囲気などかけらもないまま商談に終わってしまった。  マリウスに見送られて屋敷から出る。  しばらく歩いたあたりで、住宅地の屋根の上から人影が降り立った。  勝宏だ。 「もう誰も見てないし、一緒に居ていいよな」  屋敷からは既に周囲の建物で死角になる位置だ。  もし透の出自をマリウスに疑われていたとしても、尾行などがあれば超ステータスの勝宏が気付かないはずもない。  透が頷く前に、勝宏は隣を歩き出した。  宿までの道すがら、女体化が解けて声も戻ってくる。 「あの、詩絵里に聞いたんだけど、さ」 「うん」 「透、俺のこと、す、好き……?」  なんだか改まった様子で、勝宏が問いかけた。  ひとつひとつ、選ばれていったのだろう言葉たちが彼の声色から伺える。  ここで取り繕って本心を言わないのは、勝宏に悪い。 「大好きだよ」  思っていたよりもずっと簡単に、気持ちは言葉になった。  いつか勝宏が言ったみたいに、一緒に小さな飲食店でも開いて、このまま偽りの世界で生きていくのもいいかもなあなんて、思うくらいには。  勝宏が息を呑んだ。泣いてしまわないように、少しだけ空へ視線を外す。 「だから、勝宏には、幸せになってくれないと俺は困る……かな」 「……あー、うん……」  頭上には、本物みたいな星空が広がっている。  気のない返事が聞こえてきたのは、勝宏も今通り過ぎて行った流れ星を目で追っていたからかもしれない。 「俺は、透の作る飯食べてる時が、一番幸せだ」  勝宏が隣に並ぶ。  二人して口を半分開けた間抜けな顔で星空を見ている。  ルイーザあたりに目撃されたら、「なんですかその口? 開けなくても空なんて見れるじゃないですか」とか指摘されそうだけど。 「そういうの、好きな人に言ってあげなよ」 「言ってるよ」 「誰にでも言っちゃだめだよ。勝宏の言葉は、きっと皆本気にしちゃうから」  他人を受け入れるのがあまり得意ではない透でさえそうなのだから、誰だって本気にするだろう。  以前勝宏が話していた、暖簾に腕押しの状態というのもおそらく、その辺が原因に違いない。 「……本気にしてくれればいいのに」  ああ、まだ暖簾に腕押しの関係は続いてるんだな。  拗ねて尖らせた彼の唇に、いま、触れてみたいと思ってしまった。

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