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その心に住む誰かさん(4)

 床を這うように、倒れた勝宏に縋る。  この場には、勝宏以外に回復薬を持っている者がいない。  傷口を凍らせてしまうのはどうだろう。  出血だけでも止めて、意識さえ戻ればポーションが使える。  そうでなくとも、この場を切り抜けることができればウィルを呼び戻して、店売りのポーションを手に入れられる。  絶対に死なせない。  たとえこの世界の人の死が、データとして処理されるだけのものであったとしても。  顔を上げると、氷の山から無傷で脱出していた少年が接近戦を持ち掛け、ルイーザが詩絵里の援護のもと薄い前線をぎりぎり保っているところだった。  転移能力の使えない自分にいま、できることは。  考えを巡らせていると、抱き起こした勝宏の身体がふと軽くなった。  嫌な予感とともに彼を見下ろす。  指先から少しずつ、光を帯びて薄くなっている。  ……これが、いつか話に聞いていた、ポイント変換される時の光、だろうか。  少年の勝利条件を満たした状態で、勝宏が敗北したと判定されたのだ。  どうすればいい。  どうしたら、勝宏を助けられる。 『トール。トール、私の声、聞こえまして?』  その時、アリアルに妨害されている間は聞こえないはずのセイレンの声が聞こえてきた。  周囲の時間が静止している。  これは、カルブンクやセイレンと会話する時に見られる現象だ。 (セイレン! ど、どうして……ウィルは?) 『やっとパスが繋がりましたわね。あなたの最後の悲しみで、ようやく……ってところかしら。 カルブンクは大量にあなたを摂取していたようですから、容易く繋がったみたいで羨ましいかぎりですわ』  パスが繋がった、というのは、念話ができるかどうか、能力を借りることができるかどうかの話か。  よくわからないが、今はそれどころではない。 (勝宏が死んじゃう。ウィルの転移で、今すぐポーションを……) 『それは難しい話ですわね。ひとまず当座は、その男の子が消滅しなければいいのでしょう?』  それでもいい。  少しでいいから、この場を切り抜けて彼を助けるための時間が欲しい。  透の意思を感じ取ってくれたセイレンは、一言『水』と言い放った。 『カルブンクの錬成魔法で、水たまりを作ってくださいます?』  相変わらず透の体は動かないが、カルブンクのそれは念じるだけで発動する魔法だ。  言われるままに周囲を水浸しにすると、それらの水を吸い上げて目の前に人型の水の塊が現れた。  セイレンの体代わりに動かされた水が、意識のない勝宏にその手を伸ばす。  薄れていた勝宏の身体が、もとに戻った。 『状態異常:封印、ですわ。彼の肉体だけ、時間が止まっているものと捉えてくださいな。 回復は私の専門ではないので、私にできるのはここまでですけれど』  つまり、何の対策もなしに状態異常回復系のポーションで封印を解いてしまうとポイント変換が再開される、ということか。  透の希望の通り、彼を救うための「時間」が提供されただけだ。 (ありがとう。あの、どうしてウィルはここに来れないのかな) 『どうしてって、それはイグニ……ウィルが、あなたのことを一度も食べていないからですわ』  なるほど、悪魔たちは契約の際に対価として要求してきたものをどれくらいの頻度で食べていたかで結びつきの強さが変わってくるようだ。  カルブンクは言わずもがな、あの宝石事件にはずいぶん苦労させられた。  セイレンは感情を食べると言っていた。  感情などどこでどう抜き取られても生活にさほど支障は出ないので、頻度は分からない。  一方ウィルは、魂を食べると言っていたし、それは透が天寿を全うするまで無理な話である。  長年の付き合いのあるウィルが一番結びつきが薄いというのは、ちょっと寂しい気もするが。 (セイレン、もう少しこの状態を維持できる? この戦闘を切り抜けるいい方法がないか考えたいんだけど……)  この場では自分も動けないが、敵の少年や詩絵里たちも動きを止めている。  考え事をするなら今だ。 『できますわよ。敵はどれですの?』 (一緒に考えてくれるの? ありがとう、あの小さな男の子なんだけど、ステータスが最大値になるように設定されてるらしくて……)  転生者たちのステータスに「最大値」があるというのがまず初耳だった。  透には少年のステータスを確認する方法がないが、「最大」というからには中途半端に「6125が最大値」なんてこともないだろう。  「9999」とか、「99999」とか、きっとそういう数値のはずだ。  パーティーメンバーの中では、最も全ステータスが強化されているのはスキルを使った状態の勝宏。  だが、この状況下では彼を頼るわけにはいかない。  ルイーザはレベルが高いだけで、特化型ではない。  一方詩絵里は後衛ステータス特化。  そういえば女性陣二人のレベルも具体的に聞いたことはなかったが、今の状況はレベル99のラスボスを相手に、レベル60のバランス型とレベル40の後衛型だけで挑むようなものである。 『そう。あれは、人間の力で倒さなければならない条件でもありますの?』 (え? な、ないけど……)  転生者ゲーム的には、詩絵里かルイーザが倒した方がポイントの足しにはなるのだろう。  透が倒してしまったら、少年はポイントには変換されずにおそらくそのまま絶命する。  だが、この非常事態に誰がとどめを刺すかなんて考えてはいられないし、そもそも彼女たちも転生者ゲーム自体に乗り気ではなかった。 『でしたら、私が倒してしまってもいいのではなくて?』  え、あ、なにそのかっこいい台詞。  倒してしまっても構わんのだろう、ってそんな漫画みたいな。  あれでもこの台詞は倒すのに失敗する時の台詞だったような。 (その……でもあの子には、アリアルが協力してるみたいなんだけど) 『アリアル? ああ、光の……今はいないみたいですわよ。あの少年とは、契約してもいないようですし』  契約していない?  じゃあどうしてアリアルは、少年に力を貸していたのだろう。 『どうかしました?』 (あ、あ、いえ、お、お願いします……)  フラグやお約束はともかくとして、少しでも可能性があるなら試してもらいたいところだ。  話がまとまったところで、止まった時間がまた動き出した。  と同時に、勝宏を抱えて座り込んでいる透の影からあの――即死技を繰り出す闇の触手が展開した。  あっ、これ、かなうことなら金輪際使いたくないと思っていたやつ。  非常事態だったから、と誰にでもない懺悔を呟いていると、セイレンの例の詠唱のようなものが部屋中に響き渡る。  この声、詩絵里さんたちには聞こえてるのかな。  触手は少年の体を絡め取り、闇の中に沈めていく。  前線にいたルイーザや次の魔法の準備を始めていた詩絵里、高度な戦いを前に唖然としていたマリウスたちはその様子をただ眺め――。  闇が引いたころには、こと切れた一人の転生者の姿があった。

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