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第1話

 ――誠一、ヒロマ買った?  ――買ってない。宗太くん密林で一緒に頼んで。  ――スマホ持ってんだから自分で注文しろよ。  一回りも年下の友人からのメッセージにちまちま返信をするのも面倒になって、はーい、というスタンプ画像を送りつけた。宗太からの返信はもう来ない。  最近の子は電話よりメールの方が好きだよなあ、と手元のグラスに口を付ける。唇に触れるはずのアルコールがいくら傾けてもやってこなかったので、ようやくそこでグラスが空になっていることに気付いた。追加でスコッチを頼んだ。  今日も今日とて早い時間から酒に呑まれている。成人してからこっち、実のところほとんど酒を口にしたことがなかったので、店で飲むというのはここ最近になってからの楽しみだった。  ふと、背中に懐かしい煙草のにおいを感じて視線だけで振り返る。なんのことはない、店の扉が開いて新しい客が入ってきただけだ。見知った顔でもなければ、警戒すべき相手でもない。  そういや、あの人禁煙中なんだっけ。急に娘ができてから煙草をやめたあの髭面を思い出して、思い出したらなんとなく恋しくなってきた。  カウンターに放っていたスマホを引き寄せて、先ほどスタンプで会話を終了させたメッセージアプリをもう一度開く。スクロールして探し出した連絡先は、年下の友人ではなく年上の男だ。  ――まっさん今日ヒマ?  メッセージを送っておくと、あちらの仕事の休憩時間に勝手に目を通してくれる。そして、ちょうど時間があるならそのタイミングで電話がかかってくるのだ。  ちまちま文字を打つのが苦手、という世代にはよく見られる傾向である。カウンターの上で、スマホが鳴る。受話ボタンをタップした。 「あー、誠一くん? 前にも言っただろうけど、平日うち仕事なんで」 「だからお伺いのLINE送ってんじゃん。夜は?」 「いいけど、あゆが寝てからなら」 「やだ即物的」 「行く気なくすようなこと言わないでよ」 「オッケー、じゃ待ってる。場所は送る」  他愛もないやりとりで、通話時間はさほど長くない。あちらも今は勤務時間だ。終話を確認して、検索エンジンから拾ってきた待ち合わせ場所の所在地をメッセージに貼り付ける。  ついでに「間違っても車では来るなよー」と一言添えておいた。まだ休憩中だったのか、すぐに既読マークがついて、「はいはい、お酒飲むのに車なんて出さないよ」と返信がやってきた。うむ、これは間違いなく引っかかっている。ほくそ笑んで、追加で出されたスコッチに口を付けた。無論、こちらはそれ以上反応は返さない。  これまでの自分は人を騙すことに関して、特筆して何か感情を抱くようなことはなかった。この稼業が面白いと言って生き甲斐のように話す知り合いもいるにはいるが、自分としては話術もひっくるめて武器のひとつという認識でしかなかった。  それがどうだ、今となってはこの男を騙して、ネタばらしをする瞬間が楽しみで楽しくて仕方がない。小さい子供が親兄弟相手にいたずらを仕掛ける時の感情ってきっとこんなもんだ、と親兄弟相手とはほど遠い行為につき合わせている男を思いながら酒を呷って、彼の退勤時間を待つのである。  酔いつぶれる前にてきとうに切り上げて、一足先に目的地へ足を運んでおく。ついでに彼の好みのアルコール缶をコンビニで買って、景気よく一番高い部屋を選んでみた。  まっさん――松本正義は、見た目や歳のわりに、ほろよいナントカとか、女の子が好きそうな酒を好んで飲む。ビールも嫌いじゃないけどね、と何より焼酎の似合いそうな外見をしておきながらカラフルなデザインのチューハイを手にするのだ。そんでもって、結構まじめなタイプ。彼の生来の気質が、今の関係に逡巡させるのだろう。知ったこっちゃないけど。  シャワーを浴びて、わりと念入りに体を綺麗にしていたところで、浴室に持ち込んでいたスマホが再びコール音を出してきた。指先だけタオルで拭って、液晶をタップする。通話が始まった。 「ねえ誠一くん、なんか住所間違ってない?」 「間違ってねえけど、あれ、わかんない?」 「じゃなくて、着いたとこどう考えても居酒屋じゃないんだけど」 「だろうな、居酒屋なんて一言も言ってねえもん」  こちらがシャワーを出しっぱなしにしている音が、彼にも聞こえたことだろう。一瞬の沈黙があって、だめだって、と焦り声が飛んでくる。 「今からでも別の場所にしようよ! 場所代僕払うから。ここめちゃくちゃ職場の近くだよ」 「まあまあ、とりあえず休憩しようぜ。部屋三一二な」 「まさか直接ラブホに呼ばれるとは思ってもいなかったんだけ、」  ど。彼が言葉を終える前に、通話を終了させた。ボディソープの泡はさっさと流して、浴室を出ておかなければいけない。  人目のないタイミングをねらっていたのだろう、先ほどの通話からずいぶん待たされた頃に扉がノックされた。部屋に招き入れる。 「ハロハローマイダーリン」 「ダーリンって……受付のおばちゃんに三一二に呼ばれたって言わなきゃいけないかと思って焦ったよ」 「このホテルは自動受付だからな。ちょっと離れたところにもホテルはあるけどさ、気使わなくて良いから便利なの。男二人で入ると犯罪防止のためってお断りしてたりするじゃん」 「へええ……僕には縁遠い話だなあ」  女の子との経験は歳相応にそれなりって感じだったみたいだが、そういえば以前彼は、男とするのは自分が初めてだと言っていた。普通はそんなものかもしれない。  居心地悪そうに竦められた彼の肩を抱き寄せる。女の子のご機嫌取りには有効な手段だが、三十代半ばの男相手に効果はいかほどだかは知らない。 「……出る時は一緒には出ないからね」 「ええ、さみしーこと言うなよ」  頬を寄せる。あきれ顔で、松本がキスを受け入れる。別に恋仲というわけでもないが、今更恋人とじゃないとキスはしたくないなんてピュアな感情など抱くことはない。啄むだけの口付けを繰り返しながら、閉じられたままの上唇を食んでやった。 「職場で噂になったらどうすんのさ」 「だから、車では来るなって言っといてやっただろ? あんたの車すげえ古いから分かりやすいし。ラブホの駐車場にとまってたら目に付きやすいじゃん」 「そりゃ配慮どうもありがとう。そんならふつうに居酒屋にしようよ……」  そうして、口付けが深くなる。触れてしまえば、彼はもう抗えない。絡みついてくる舌に応え、受け流しながら、彼の股間に無遠慮に触れる。 「どのみちこうなんのに? いいじゃんもう、ここで全部済ませちゃえば。宿泊で取ってるから気にしなくていいぜ」  あれだ。エロ本によくある、体は正直だなってやつだ。初も恥じらいもへったくれもないおっさん相手に言ったところでたいして面白味はないので、口にはしないけれど。 「変な噂になって学校であゆに何かあったら……」 「そこは上手くやっとくから、気にすんなよ」  このおっさんは、一も二もなく口を開けばプリンセスのことだけだ。小学生の彼の娘のことでいちいち嫉妬もなにもないけれど、面倒なのでキスで強制終了させる。この話題はここでおしまいになればいい。 「それより……コンビニで買ってきてるけど、どっちがいい?」  背後のベッドと、買ってきてビニール袋のまま放置のアルコール類とを交互に指す。ここまでやっておいて白々しいが、答えが酒だったら拗ねてやるところだ。  彼はそれぞれちろと視線を向けて、こくんと喉を鳴らした。

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