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第1話 喫湯店の犬

 先週港町にオープンしたばかりの喫湯店(テルモポリー)。そこの店主はオメガらしい。  オメガが店を出すのは珍しい。そんな好奇心から客足が絶えない店内は、喫湯店らしからぬ食欲を唆る香りで満ちていた。  店主であるシルヴィオは、店の奥から数々の料理をトレイに載せて店内へと現れる。  本来なら癒しの時間とハーブ等で香りづけされた湯だけを提供するだけの店。それなのに、此処は腹を満たす料理までも提供していた。  それでも、料理の香りは湯のそれを邪魔することもない。絶妙なバランスで、料理や酒を提供する食堂とは一線を画した店としてその喫湯店は繁盛していた。  そして、シルヴィオを知る人物は皆一様に彼のことをとある愛称で呼ぶ。 「奥さん、注文いいかな」 「だから、その呼び方はやめろと言っただろ」  ゴロツキが多い町でオメガであるシルヴィオが店を出せる理由なんてひとつしかない。彼にはアルファの後ろ盾がある。それもただのアルファではなく、この町の自治組織、自警団の団長の。  シルヴィオとその恋人、ドナードが港で公開告白をして早数ヶ月。  ひとまず生まれた町に戻ったシルヴィオは、元々ベータだった自分がオメガに変わってしまったことのみを両親に伝え、暫くの間ドナとは手紙のみのやり取りをしていた。  離れていても大丈夫だと思ったのはシルヴィオだけ。返信を書く前に次々とやってくるドナからの共に住まないかという申し出の手紙の束を発見した母によって、町にいた頃は毎日のようにやって来たあの獣人が本当にシルヴィオの運命の番いだということがばれた。そして、何よりも孫の顔が早く見たいという父の言葉によって半ば強引にドナの元で暮らすことが決まってしまった。  突然辞めて消えてしまったドナの安否を心配していた、彼の働いていた喫湯店の店主にもドナが港町にいることがそこから漏れてしまった。オメガとして家の中だけに留まる生活はとごねていたシルヴィオに、なら自分の店の支店として港町で店をやればいい。場所は幾らでも空いているはずだと押され、乗り気になった父と店主の2人によって空いている店舗を探され。  果てはドナが実は生まれ育った町の領主一家の次男ということまで判明してしまい流されるままに領主が貸主の元レストランの空き物件をタダ同然の破格で持ってきて。  あれよあれよという間にシルヴィオはドナの元で厄介になることになってしまった。  ただ、厄介になると思っているのはシルヴィオだけのようだ。ドナはすぐにでも番いになりたい、結婚したいと息巻いており、オメガ1人では旅路が心配だとドナに言われ港町まで同行してもらった彼の兄にも親族が増えるのは祝福していると言われ、両親には早く孫の顔を見せろと言われ。まだちゃんとした恋人になってから数ヶ月だというのにまるでもう夫婦になってしまったかのよう。  借りてもらったのは空きレストランだけで、住居はドナの家。今はまだただの同居人、居候でしかない。まだ、手を繋ぐことすら満足にできていないのに。  店主からもらったドアのベルが鳴り、料理を提供していたシルヴィオは振り返る。愛想がないのはいつものことだ、笑顔なんて面白くもないのに作れない。  それが少し緩むのは、白い犬のアルファの姿がそこにあったから。 「シル、奥空いてる?」 「空けてある。何が食べたい?」 「シュニッツェルがいいな」 「いつもそれだな」  この時間帯、ドナは毎日欠かさず店に来る。彼がいるだけで外を出歩くゴロツキがシルヴィオの店を標的にすることはなくなる。まるで番犬のようだ。  シルヴィオは慣れたようにドナを奥の席に案内すると、彼が夜遅くまで教えてくれたように、ハーブの香りの湯を淹れた。

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