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第1話
春の兆しが見えてきた如月も中頃。この日本国では、四季が暦通り規則正しく巡ってくる。
邸宅の敷地内。立派な梅の木がいくつも薄紅の花をつけ、優しい香りがふわりと漂う。その香を纏うように若い男が一人、木の前に佇んでいた。散歩をするにはまだ肌寒いが、日差しの暖かさが身体を包み込んで幾らか心地が良い。
清々しい天候とは打って変わって、男の心境はあまり晴れず嫌な予感さえしていた。その胸騒ぎは極小さなものだったが、どうにも心に引っかかって落ち着かない。何もなければ良い、そうは思うのだが、嫌な予感というものは大概期待を裏切って現実になるものだ。
ぼうと物思いに耽りながら歩き、それから暫く経った頃。何やら臣下たちが騒がしくしていた。
「どうしたのです。何かありましたか?」
「杞玖 さま! 門の外に……」
臣下と共に門へと向かうと、閉じられたその向こうから知った声がする。
「杞玖殿!! 門を開けていただきたい!!」
藤氏の長、榮江 の三男。良く聞き慣れた声だ。聞き違うことはない。
「一体何事ですか」
門を開けて目にした兵の数に、先程感じた嫌な予感が的中してしまったことを杞玖は悟った。
焦燥で脈打つ心臓が五月蠅い。震えそうになる声を必死に抑え口を開いた。
「天馬殿、これは……」
邸宅は天馬が引き連れてきた近衛兵に包囲されていた。これはただ事ではない。
「杞玖殿。とある筋から密告があり、貴方に国家転覆を謀った疑いがある、と」
「国家転覆!? まさか!!」
杞玖は政治や文化など、国のために大いに貢献はしてきても、反逆するなどそんなことは有り得ない。誠実に地位を築き、確かな人脈と手腕で左大臣にまで上り詰めた。そんな彼に国家転覆の疑惑など、とんでもない言いがかりであった。
「明日、兄上らがこちらへ伺うでしょう」
天馬の嘲笑を含んだ声音に、杞玖は自身が嵌められたのだと確信した。実力で地位を築いた杞玖に対し、榮江を長とした藤氏の連中は世襲的に地位が確立される。自尊心の高い藤氏の奴らにとって、技量もあり人望も厚い杞玖は目の上のたんこぶというわけだ。
杞玖を懇意にしていた榮江が一線を退いてから、彼の息子たちが台頭して政界を率いてきた。しかし榮江が逝去すると同時に彼の兄弟は奔放に振るまい、政権を掌握し、そして杞玖を失墜させるに至った。
地位も名誉も奪われた衝撃。それは全身の力を奪うには十分だった。
膝から崩れた杞玖の耳元で天馬が囁く。
「真に残念ですよ、杞玖殿……」
片端を上げた口元は、皮肉にも、恩のある榮江によく似ていた。
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