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第3話

 高良らが帰ったあと、門の前に一人残った姿があった。 「おや、舎人(とねり)殿。帰られないのですか」 「杞玖殿、貴方──」  端麗な友人の眉根に深い皺が刻まれる。怪訝な面持ちで口を開いた彼の言葉を遮るように杞玖は声をかけた。 「立ち話もなんでしょう。中へどうぞ」  先程とはまた別の、小ぢんまりとした部屋に通した。小さい部屋だがこちらの方が幾分か安心できる。嫌疑をかけられたあの部屋で友と語らえるほど、杞玖の神経は図太く出来てはいない。 「聞きたいことがある、という顔をしていますね」 「それはそうでしょう」  相変わらず訝しい表情の舎人の向かいに腰掛ける。重苦しい空気に耐えられなかったのか、舎人は内に抱えていたものを吐露し始めた。 「なぜ、途中で反論を止めたのですか。貴方が国家の転覆を謀るなど、誰一人として思っていませんよ。貴方、このままだと無実の罪で、血も涙もないあの兄弟に殺されてしまうのですよ」 「殺される?」  彼の言葉に自然と笑みが浮かんだ。痴言を並べ立てる友に対して、そしてまんまと彼らの策に貶められた己に対して。嘲笑が杞玖の口を吐いて出た。 「貴方は面白いことを仰る。私は、私自身の手で、己を殺すのですよ」 「……無実の罪に、罪を重ねるおつもりですか。貴方の自尽は許されないでしょう?」 「ふふっ、ですからこのことは内密にお願いしますよ」 「覚悟の上、か」  珍しく悲痛な顔を見せた彼に、一瞬酷く胸が締め付けられる。  だからそれを払拭するために。 「おやおや、彼の兄弟についておきながら、私を心配してくださるのですね」  情を振り払うよう、八つ当たりも同然に皮肉を吐き出すしかなかったのだ。 「ふんっ、誰が心配などするものか。ただ、国家の頭脳が一人欠けてしまうのが、非常に惜しいだけです」 「実に貴方らしい」  張り詰めていた糸が緩む。敢えて憎まれ口で返す辺りに、彼の心根の優しさが滲み出る。 「黙っていますよ。他でもない貴方の、最後のお願いですからね」 「……ありがとう」  死にゆく運命を選んだ杞玖へせめてもの手向けだと、たわいない話に花を咲かせた。 「そういえば、高良殿」  不意に出た名前に、心臓が跳ねた。 「た、高良殿が、何ですか」 「ああ、たいしたことではないのですが、帰り際に貴方に何か仰っていませんでしたか?」 「……いいえ、何も」 「何ですか、その妙な間は。さては、隠し事ですね」  舎人は時折、妙に鋭いところがある。その洞察力が買われて今の地位にいるのだが、詮索しなくていいところにまでその力を発揮するものだから、杞玖はそのたびに困り果てていた。 「いつか、都伊(とい)殿にお聞きしたのですがね。あの冷酷な高良殿が、そうとう貴方にご執心なのだとか」 「……」 「決まった周期でこの邸宅へ通っている、とも」 「──っ!」  舎人の話す内容に杞玖は思わず反応してしまった。 「そう分かりやすく引っかかってくださると、こちらも楽しいですよ」 「……謀りましたね」 「いやいや、都伊殿に聞いたのは本当ですよ。なんでも、貴方を見るときだけ高良殿の目の色が変わるのだとか」  藤氏末弟の都伊は政治には向いていない。代わりに文才が光る人物である。観察眼が優れているのか、普段ぽわんとしている分、人間分析が突出して目立っていた。その彼の眼をいち早く見つけたのが舎人であった。それ故に都伊の考察を完全に信じ切ってしまうのが玉に瑕だ。 「彼……、高良殿は、私に執心しているのではありませんよ。あれは、執着です。私の存在は、彼に限らず、藤氏の連中にとって宜しくないものらしい。対立する立場の者に対するやっかみですよ」 「本当にそれだけでしょうか。貴方も──」 「何が言いたいのです? 私は、予てよりあの男のことが、殺したいほど大嫌いなのですよ」  微笑とは、どうするものだっただろうか。作り笑いが、引き攣って上手く出来ない。 「……そう、ですか」  含みを持たせた返事が少し気にかかった。反論の一つでも返してやろうと杞玖が口を開くが、さて、と舎人が立ち上がってそれを遮った。 「お暇しますよ。──今宵は最期の晩餐のようですし」 「え?」 「いいえ、何でも」  日も落ち薄暗くなった外は冬の寒さを残す。舎人の姿が見えなくなるまで、杞玖はその背中をじっと見つめた。

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