36 / 221
第37話(第2章)
「失敬する。三條君には宜しく伝えてくれ」
そう言い置くと静かに部屋を出て行った。片桐が手を付けなかった紅茶が冷めていくまでずっと部屋に居た。いつの間にか日は暮れていた。
もう彼とは話す機会は無い、それが無念だった。
1人で脱力して座っていると、三條が部屋に躊躇いがちに入って来た。部屋が明るくなる。
「何だ、電灯も点けずに。……その顔は、断られたな」
心配そうな顔をしている。片桐が屋敷を辞去したのは当然耳には入っていただろう。それななのに時間を置いて入って来たのが彼らしい。黙って頷いた。
「彼は絢子様と交際する積もりなのか?」
「いや、それはお断りすると言っていた」
なるべく平静な声を出そうと努力した。
「成る程、しかし解せないな。片桐家にとっては良縁なのに」
怪訝そうな顔をして三條は言った。
「妹君から聞き出したそうだ。絢子様は自由恋愛に憧れていらっしゃるだけだと。たまたま自分が選ばれたのだと言っていた」
ますます三條が意外そうな顔をした。
「絢子様は確かに自由闊達《じゆうかったつ》な方だが、先程母上に伺ったところ宮家でも乗り気の様だとか。何でも使者が私的な内示をお伝えに行ったが、本人から断られたと。自由恋愛の相手が他に居ると言っていたそうだ」
話が微妙に食い違うので思わず怪訝な顔をしてしまった。
「しかし、俺にはひっそりと生きて行きたいと言っていたぞ」
「話が見えないな。片桐君はお前を意識していると思って居た」
思慮深い顔をして三條は言う。紅茶を差し替えに女中が入って来た。構わずに話を続けた。
「断られたのは事実だ。家の事情を考えれば無理の無い話だが」
苦笑するしかなかった。女中は礼をして部屋から出て行った。
「こればかりは片桐君の気持ち次第だからな。仕方の無いことだ。愚痴なら聞く」
思い遣ってくれているのが分かる顔に少しだけ気持ちが浮上した。
「それは有り難い。では一言だけ。彼ともう話せなくなるのが残念だ」
「今まで話せたのだから、良かったと思え。人に惚れると人間は成長するという話だ。しかも失恋はさらにそうだとか。もっと大きな人間になれるぞ」
揶揄《やゆ》の様に言っているが、三條の目は真剣だった。溜息を吐いて言う。
「初恋は実らないと言うが本当なのだな」
「そういえば、お前は恋愛の話はしないと思っていたが、初恋だったのか」
「今思えばそうだ」
「そうか、気にするなと言っても気に病むだろうが……、恋愛ばかりは上手くいかない。しかもお前達の家の事情が事情だ」
「……そうだ。元々実らないとは思って居た」
ともだちにシェアしよう!