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第92話(第4章)

「ええ。片桐伯のご容態の件は我が屋敷にも伝わって来ましたのよ。晃彦さんはご存知ですわね、同じ学校ですもの。良い気味ですわ。父上もそう思ってらっしゃいます」 「……そう、です…ね。では、勉強が有るので自室に居ります」  憤りを押し殺し、それだけを言って部屋に行き人払いをすると、1人物思いに沈んだ。  屋敷内は、何時もよりも浮き立っていた。主人夫婦の仇敵とも言える片桐家の不幸が伝わったのだろう。自分付きの女中も噂話で盛り上がっているのか、自室には遣って来ない。 「失礼致します」  全く平静な声で扉越しに声を掛けられた。返答すると、以前目を付けていた女中が静かに入って来た。 「確か、静さんだったね。今日は君が俺の世話を」  そう尋ねると、静かに頷く。 「お屋敷の中の使用人は皆、噂話でもちきりですので、晃彦様がご不自由をなさっているかと思いまして」 「それは有り難い。しかし、静さんは噂話には興味がないのか」 「はい。私はあまり噂話を好みませんし、こちらのお屋敷に奉公出来るだけで幸せですから」  噂話を好まない使用人が居たのは驚きだった。主人の事、社交界の事、そういった話をするのが使用人の常だからだ。 「この屋敷に来る前は、何処に勤めていた」  ふと気になって聞いてみる。 「私は旧士族です。しかし、晃彦様もご存知の様に食べて行くには働かなければなりません。途方に暮れて居た時、片桐様のご子息がいくばくかの金子をさりげなく渡して下さいました。ですから余計に片桐家の事は気になっております」  彼は没落士族に思い入れが有る事は知っていたが、そんな事までしていたとは知らなかった。  静は信用出来る。そう思った。 「他言は無用だ。それは誓えるか」 「はい。私も落ちぶれたとはいえ、武家の娘です。それなりの矜持は持ち合わせて居ます」 「……そうか、実は、家族にも使用人にも明かして居ないが、俺は片桐君とは親密な仲だ。静さんさえ良ければ俺付きの女中になってくれないか」 「左様で御座いましたか。片桐様にもご恩が有りますので謹んでお受け致します」  静は微笑みながら頷いた。  今なら父母の機嫌が良い筈だ。これ位の我が儘は聞いて下さるだろうと、早速掛け合いに行ったが、思った通りだった。  三條の家からは電話が来なかった。やはり、電話の回線が混み合っているのだろう。  明日、片桐は登校してくるのだろうか…  それだけが気に掛かる。

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