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第5話
上司である山岸さんが連れて来てくれたのは、会社近くにあるかなりボロい居酒屋だった。駅までの道を一本入ったところにこんな店があるとは、今の今までまったく知らなかった。それにしてもボロい。おっさんに好まれる、逆に言うと女性に敬遠される、そんな印象の渋い店だ。
「ここは意外とつまみが旨いんだ。値段も安くて懐に優しい。今日のオススメはあそこの壁に貼ってあるやつだ。好きなものを頼んでくれ」
山岸さんはよくこの店に来るらしく、迷う素振りもなくつまみを注文していく。この店の焼き鳥は塩加減が絶妙で、山岸さんの一押しなのだそうだ。と言うことでネギ間を、タレではなく塩で注文した。実はオレ、焼き鳥はネギ間が一番好きなのだ。鶏肉とネギのハーモニーが……って、想像したらかなりの空腹を感じてしまった。うん、やっと気が抜けてきたってことだろう。
とりあえずのビールで乾杯した後、軽くつまみながら仕事の話をした。今日の急ぎの仕事について、裏話的な話なんかも教えてもらったりして。聞いて思ったことは、営業部門と開発部門の連携が上手くいかないと、後方が苦労するってことだ。今回はまさしくそれ。常々思ってることだが、こう言うのは改善しようとしても難しいのだろう。なんて、偉そうなことを考えたりするが、口に出したりはしない。それにしてもつまみが旨い。山岸さんの言った通りだ。
「だろ? 見た目はアレだが結構有名な店なんだぜ。雑誌に紹介されたらしく、女性客も多いんだ」
「へえ~……。でも女性客なんて一人もいませんよ。客の入りもまばらですよね」
山崎さんは自慢げにこの店のことを教えてくれたが、実際問題女性客は一人もいない。いるのはオレたち以外は草臥れたおっさんだ。しかも一人客ばっか。
「それはアレだ、今日がバレンタインデーだからだろ。リア充な奴らは、男も女ももっと小洒落た店に行ったんじゃないか?」
「おおー、そう言うことっすね。それから行くと、山岸さんはおひとり様ってヤツっすか」
「るせーな。ここにいるってことは、向井も一緒だろうが。それとも彼女とかいるのか?」
「はは、は……。この焼き鳥旨いっすねぇ」
「……同じ穴の狢か」
二人揃って溜息。別にオレは今は恋人とか欲しいとは思ってないが、なんとなくその場のノリで溜息をついたってところだな。とか言いつつ自然と零れ出てたけど。
山岸さんは既に三十代かと思っていたが実は二十八歳なんだと。驚いたら頭を小突かれてしまった。会社の普段の山岸さんはお堅いイメージで、しかも普段から落ち着いてるから絶対もっと年上だと思ってたんだ。チームの飲み会のときもそんなカンジだったから、今の雰囲気にはちょっと驚いてる。
「オレだって相手は欲しいけどなぁ。なかなかこれが……な」
「山岸さんくらい見た目が良ければ、告白されたら相手の方は嬉しいと思いますよ?」
「ハハハ。オレは結構臆病なんだよ」
「仕事してる雰囲気からは想像できませんね」
「うるせっ」
いや、ホント。男のオレから見ても山岸さんは格好良いと思う。仕事中は無表情なときが多いからそれが難点と言えば難点だが、それ以外では女性ウケするんじゃないかと思う。モテないような言いぶりだが、却ってそれが癪に障る。この際だからハゲろ。そしたら本当にモテなくなるから。
その後も山岸さんのボヤきは続く。愚痴か?
「ウチの部は女性がいないからなぁ。知ってるか? 他の部の連中は、女性陣からチョコ貰ってるんだぜ。ったく羨まけしからん!」
「そんなにチョコ欲しかったんですか?」
「おう。同期にな、自慢しまくるヤなヤツがいるんだわ。明日は絶対自慢しに来るぜ」
「へぇ。モテるんですか?」
「全く。だからこそ貰って嬉しくて、1コも貰えないオレんとこへ自慢に来るワケだ」
「は、はは……」
何だその低レベルな自慢は……。山岸さんと個人的に飲んだのは初めてだが、と言うか普段職場関係の連中と飲みには行かないが、まさか仕事を離れた山岸さんはこんな人だとは思わなかった。もしかしたら仕事を離れたら結構アホなことをするのかもしれないな。まあそれはオレも一緒……か?
「それにな、ウチの部は女性は配属されないんだぜ。嫌われてる部だから女性は可哀想だろうって配慮だそうだ。だからあの部にいる限り、オレたちは今後もチョコレートを貰えないっつうワケだ。独身男にも配慮しろってな」
山岸さんのボヤきはどうでも良いが、ウチの部に女性がいない理由が判明した。へぇぇ。これって男女差別だって訴えられないのかな? あ、でも女性に不利益が無いから、こう言う場合は訴えられることは無いってことか。
そんなことを考えていたオレは、ふと自分のカバンの中に入ってるブツを思い出した。欲しいなら、これでも良いんじゃないか?
「山岸さん、これ……」
「ん、何だ?」
「あー、コンビニ袋は邪魔でしたね。バレンタインデーのチョコっす。あげます」
「は? 何で?」
「チョコ欲しいって言ってたじゃないすか。たまたまオレ、昨日これを買ったんですよ。まあ自分用に買ったんですけどね。折角だからあげます」
「…………」
「良かったですね。これで明日は自慢されるのを阻止できましたね」
ポカンと口を開けてる山岸さんの前にチョコを置いて、それからオレは煮魚に集中した。旨いんだなこれが。焼き鳥と煮魚を目当てに通っても良いくらいだよ。
後で考えたらこの時は既に酔ってたんだと思う。でなきゃ上司にチョコなんか渡すわけないし、しかもコンビニ袋のまま渡すなんて考えられないからだ。そしてこの後のことを考えると、このときのオレの行動に対して小一時間くらい説教したいとも思う。と言っても、このときのオレに先のことなんか分かるわけ無いのだが。
「……そろそろ帰るか?」
「あー、そうですね。どうもごちそうさんでした」
「あ、ああ」
そう言えば、そろそろ終電が気になる時間だった。突然会話が無くなってしまったが、きっと山岸さんも終電のことを思い出したんだろう。明日も仕事だから、サラリーマンは休むわけにはいかないから。とりあえずタダ飯で英気を養ったってことにして、また頑張ろう。
「ありがとうございました」
店を出たところで、改めて山岸さんにお礼を言った。
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