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prologue
「お母さん、あの白い鳥はなに?」
大空を飛ぶ鳥を、僕は指さした。隣を歩く母は微笑んで、「あれは、カモメだよ」と教えてくれた。
青い空が遠い。煌 めく漣が息衝 く海が、まぶしい。いつものように穏やかで、いつものように綺麗なこの町が、僕は好きだった。そして、なによりも母が大好きだった。
「……ねえ、海 」
母が僕の手を握り、海を眺めながら呟く。
「雲が、動いているね」
「うん、ゆっくりだけど動いている!」
「海が、ざあざあ音を立てているね」
「……? うん、波っていうんだよ!」
「……ふふ。海は頭がいいね。そうだ、カモメさんも飛んでいる」
母が立ち止まる。どうしたのだろうと僕も足を止めれば、母は小さく見えなくなってしまったカモメを眺めて、微笑んだ。その目には、ほんのりと涙が浮かんでいる。
突然泣き出した母に、僕は狼狽えてしまった。
「お母さん? 大丈夫? どこか痛いの?」
「ううん……大丈夫、ごめんね」
僕はポケットに突っ込んでいたハンカチを取り出して、母に手渡した。そうすれば母は、ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、ハンカチを受け取ってくれる。
母は涙を拭いて、僕の頭を撫でる。そして、しゃがみこんで僕と目線を合わせると、優しい声で言った。
「なんだか、嘘みたい。私の時間が動いているなんて」
「……? 時間は止まらないよ? ……っておじいちゃんも言ってたよ?」
「……うん。でもね、時間が止まっちゃう人もいるんだよ」
母の言っていることはよくわからなかった。時計屋で働く祖父が「時は止まらないんだ」なんてことをよく言っていたので、なおさら。けれど、母が泣きながらそんなことを言うから、その言葉は鮮烈に僕の胸に染み込んでゆく。
「時間が止まっちゃった人がいたら、どうすればいいの?」
潮風が吹いている。温かいような、肌寒いような。
母は涙が収まったのか、ハンカチを畳みなおすと、僕にそれを返してくれた。
「……傍に、いてあげて」
「それだけ?」
「それだけ!」
母は僕の両頬をむにゅっと掴むと、にかっと笑ってみせた。よくわからなかったが、僕も笑顔を返してみる。
「――あ、お母さん。また、カモメ」
カモメの鳴き声が聞こえる。母が空を仰いで、「本当だ」と声をあげる。
刹那、凪いだ母の髪。他愛のない光景を、なぜか僕は息を止めて見つめていた。
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