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蝶々の生まれた日

 自分がどこを歩いているのかわからない俺と違い、先輩の足は止まることはない。それが妙に不自然に感じて、考えるよりも先に俺の口は開いた。 「尋音先輩。ここから家までの道、わかるんですか?」 「え?ああ、わかるよ」 「なんで?あ、別に先輩が方向音痴だと思ってるわけじゃなくて、その…………なんて言うか、尋音先輩って道とか覚える必要はない……みたいなタイプだし」  ぼうっとしている内に勝手に運ばれる先輩が、自分から進んで道を覚えるとは思えなかった。その疑問をそのままぶつけると、先輩の歩くスピードが緩む。  ホテルからずっと掴まれていた手がようやく離れ、2人で並んで歩く形になった。 「あそこのホテルに連れて行かれるの、今回が初めてじゃないから。呼び出しはいつもあのホテルだから、もう覚えた」 「実家じゃなくて、わざわざ外に?」 「そうだね。家に呼ばれるのは年に1度、新年の顔合わせの時だけだから」  1歩、また1歩と進みながら先輩は淡々と話す。  正月になると、必ず挨拶に行かなければいけないこと。その時は今日みたいに髪を真っ黒にして、誰に対しても敬語で話さなければいけないこと。  どんなに興味ない話でも相槌をうたなきゃ駄目なのに、今年は聞いてる内に寝てしまい岸さんに怒られたこと。  それを俺が駄目ですよと注意すると、先輩が苦笑した。 「よく知らない人の相手をするのって結構疲れるんだよ。途中から何も聞こえなくなってくる」  親戚のはずの人をよく知らない人と表現した尋音先輩が、ふっと息を吐いた。 「そう言えば、ミィちゃんは俺があの学校に通ってる理由を聞かないね。不思議に思ったことはないの?」 「思いますけど。でも、俺なんかが聞いていいものか、正直わからなくて」  先輩の地雷である家族の話を突くのは、それなりに勇気がいる。答えを聞かされても、上手くはぐらかされても、どちらにせよ何らかのダメージを受ける気がして。  だから尋音先輩には直接聞けずにいたのだけれど、それは俺の杞憂だったみたいだ。フードの奥にある先輩の表情は、全く変わらなかったのだから。 「別に深い理由はないんだけど、強いて言うなら静かに暮らしたかったから」 「……静かに?今のあれが?」 「それなりに有名な学校には、別の誰かが通ってるからね。俺に異母兄弟がいること、知ってるんでしょ?」  息を詰まらせて反応してしまった俺を他所に、先輩はのんびりとした声で続ける。 「誰かと一緒のところに通えば、必ず比べられる。それが嫌で誰もいない所を探して、それであの学校にしただけ」 「でも、尋音先輩なら他の人と比べられても負けることはないと思います」 「それはどうだろうね。勝てば恨まれ、負ければ蔑まれる。どちらにしても、比べ合って楽しいことなんて1つもないよ」  コツン、と道路を蹴った先輩の足が止まる。隣から見下ろされる視線は微笑んでいて、そんな顔をする理由がわからなくて俺は困った。 「他に、何が聞きたい?」 「へ?」 「顔に書いてある。ミィちゃん、隠すの下手だから」  それは、俺が噂に振り回されているって言いたいのだろうか。それとも、信じてしまっているだろうって責めたいのだろうか。  真意がわからなくて戸惑っていると、周りを見回した先輩がやっとフードを脱いだ。ホテルから離れて、決められた愛知尋音でいる必要がなくなったからだ。 「聞きたいことを聞いてくれていいよ。今日のお礼に答える」 「お礼ですか?俺、何かしましたっけ?」 「誕生日、一緒に迎えて祝ってくれるんじゃないの?そのつもりで家に向かってるんだけど」  言われてやっと先輩の家に泊まる約束をしていたことを思い出す。本当は一旦家に帰って、また出直すつもりだった俺は焦った。  だって、泊りの用意を何もしていない。着替えも歯ブラシも持たず、今の俺が持っているのは胸ポケットに入れていたプレゼントだけだったからだ。  1週間かけて作ったピアス。想像より歪んでしまったけど、先輩らしくシンプルで細身で、そして先輩のイメージの蝶々をモチーフにしたもの。  手先が器用な母さんに教わりつつ作ったそれを、手作り感が満載の包装をして、悪あがきでリボンを付けてみた。けれど最終兵器にしては、あまりにも弱すぎること間違いない。  柳未伊……ここにきて更なる大ピンチである。

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