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運命の番編3
朝、目が覚めると彼のヒートはすっかり治まっていた。
聞けば発情期は二週間前に終わっていたらしい。
「ミントの香りが匂ったなって思った瞬間、突然あんな状態になって……」
彼は激しく戸惑っていたが、おそらく俺のフェロモンを嗅ぎ取った瞬間、無意識に発情したのだろう。
頬を赤らめながら恥じらっている番が、あまりにもかわいらしすぎて、ぽってりとした唇に何度もキスを落とした。
その後俺たちは、彼の実家へと赴いた。
ご両親への挨拶と、番になったことを報告するためだ。
彼の実家はベータが多く住む住宅街の一角にあった。
初めて顔を合わせたときは緊張の面持ちだったご家族も、挨拶を終えたころにはすっかり打ち解けて、俺たちのことを祝福してくれた。
「前にお付き合いしていた方のことがあるから心配だったんですけど……でも、息子のこんな笑顔は何年ぶりに見たことか……」
大輪のひまわりを思わせる、明るい笑顔。
これがずっと曇ったままだったことを想像して、胸が潰れる思いがした。
「僕はこの人に会って、初めて本当の恋を知ったんだ。彼となら、本当の幸せを掴むことが出来ると思う」
俺の手をギュッと握り、照れた様子で語る彼。
心底そう思ってくれているのだと実感したのは、俺だけではなかったようだ。
「あなたのような方が息子の番で本当によかった」
そう言って、お義母さんは涙を零した。
「彼を辛い目に合わせるような真似は、絶対にしないと誓います」
お義父さんも僕の手を握りしめ、俺に「ありがとう」と何度も頭を下げてくれた。
**********
その一週間後。
俺たちは友人の家に、彼の私物を取りに向かった。
彼は荷物なんてどうでもいいと言ったが、あの男の元に彼の痕跡が残されているのは腹立たしいことだった。
どんな大荷物になってもいい。
彼が使っていた物はひとつ残らず持ち去ろうと思い、大型のSUVをレンタルして友人の家に乗り込んだ。
しかし彼の荷物は、あまりにも少なかった。
段ボール二箱にしかならない私物のほとんどが服で、あとは使っていた食器と数冊の本、それからスマホの充電器。
あっという間に終わった作業に、これまでの境遇が偲ばれて、涙が出る思いがした。
友人は酷く窶れていて、殺気に満ちた目で俺を見ている。
しかし、これは全てお前の行動の結果だ。
お前が彼を早く番にしていれば。
マッチングパーティーに連れて行かなければ。
俺は彼と出会うことなく、一生を終えただろう。
彼を虐げてきたことは業腹だが、友人の馬鹿げた行動のおかげで彼と出会えたのもまた事実。
特に文句を言うこともせず、俺たちは友人に別れを告げた。
マンションから出て、彼の実家へと急ぐ。
婚姻届の証人欄に、ご両親のサインをもらうためだ。
ご家族は大いに喜んでくれて、その後宴席が用意された。ご馳走がズラリと並び、とっておきだというブランデーをご両親と酌み交わす。
心尽くしのもてなしは夜遅くまで続き、その夜は彼の実家に泊まることになった。
彼もまた、水で何倍にも薄めたブランデーを飲んでいたが、昼の疲れが出たのだろうか。気が付くと舟を漕いでいたので、抱き上げて寝室に連れて行った。
彼をベッドに寝かせて部屋を出ると、廊下に彼の弟が立っていた。
「お義兄さんにお話があって」
促されるまま、弟の部屋に入る。
「実は兄は、オメガとしての知識が偏り過ぎているんです」
ベータの家庭で生まれ育ち、その後の検査で一度はベータと判定された彼。それが中三のとき突然ヒートが起こり、再度の検査でオメガと認定された。
「決まっていた高校の入学を取り消して、オメガの生徒ばかりが集まる高校に進むことになりました」
それはオメガしか通えないうえに全寮制のため、抑制剤を使用せずともレイプ被害などに遭うことなく、オメガでも安心して勉学に励めると有名な高校だった。
現在出回っている抑制剤は副作用が強い物も多く、若いころから頻繁に服用を続けると、人によっては不妊やホルモン異常などの症状が出る場合もあるという。
薬を服用せずともよいのなら……と、わが子をその学校に通わせる親も少なくないと聞く。
「ご存知のとおり、うちはみんなベータだし、親類にもオメガはいません。だから兄がオメガと診断されて、家族全員が戸惑いました。それで勧められるがままにあの学校を選んだんです」
オメガにとっては最高の環境。
しかし学校の基本理念に些か問題があった。
そこでは通常の学科のほかに、オメガとして正しい知識ということで、アルファにとって都合のいいオメガになるための授業ばかりが行われるのだ。
学生たちは卒業を迎えるころには、アルファの隣に並び立っても遜色ないほどのオメガとして成長を遂げる。
そのため『オメガの花嫁学校』と揶揄されることもあり、実際にその高校の卒業生から番を選ぶアルファもいるほどだ。
一部では非常に有名な学校なのだが、ベータばかりのこの家で、その話を知る者は誰ひとりいなかったらしい。
「あの学校で兄は、間違った知識を吸収してしまったんです」
そのひとつが『アルファに征服されることこそが、オメガの悦び』という考えだった。
身近にオメガがいなかった彼は、その言葉に疑問を感じながらも、「オメガとはそういう生き物だ」「君の考えはベータ寄りでおかしい」と言われ続け、次第にその考えに染まっていったらしい。
また学校では、早いうちに番を見つけた方がいいという考えが主流だったため、それを鵜呑みにしてしまった彼は一目惚れした相手……つまり俺の友人に、会うなり「番にして欲しい」と迫ったということだ。
「僕ら家族はその考えに違和感を覚えていましたが、アルファとオメガの関係はちっともわからないから、口が出せなかったんです。そのうち兄に対する扱いはどんどん酷いものに変わっていきました。さすがにこれはおかしいと思って注意をしても、そのころには兄は僕らの意見を聞き入れてくれなくなって」
きっと、俺が友人に聞いたこと以上の出来事が起こっていたんだろう。
そのときの彼の境遇やご家族の心痛を考えると、胸が潰れる思いがする。
「あのアルファと番ったら兄は一生不幸になると思っていたんです。でも、番になったのがあなたのような人で本当によかった」
兄をよろしくお願いします……そう言って頭を下げた弟に、俺は
「安心してくれ。絶対に不幸な目には合わせないから」
そう約束した。
弟はようやく肩の力が抜けたような、柔らかい表情で微笑んだのだった。
翌日、彼の実家を出た俺たちは、マンションへと戻った。
帰り際、満面の笑みで手を振り見送ってくれたご家族を見て、彼に対する愛情の深さをしみじみと実感した。
そんな思いが顔に出ていたのだろうか。
「どうしたの? なんだか嬉しそう」
彼が不思議そうに尋ねる。
「いいご家族だなって思って」
「そうだね。本当に、僕には過ぎるほどいい家族だよ」
これまでのことを思い出したのだろうか。
彼は俯いて、寂しげに呟いた。
「今までの僕は、皆にずっと心配をかけていたから……」
「これからはご家族が心配する余裕もないほど、幸せになればいいさ」
頭をポンポンと撫でると、彼はポカンとした顔で俺を見た。
「君のご家族のような、温かい家庭を俺と一緒に作っていこう」
「……うんっ!」
彼は頬を朱に染めて、真夏の太陽を思わせるような晴れ晴れとした笑顔で答えたのだった。
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