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第10話

「…ここだ。」 車は途中から地下のような場所に入り込み、酔いそうなほどにうねった道を進みながら、3回に渡る本人確認のゲートをくぐった。 そして車から降りた先、見えたのは。 「ここ… 」 駐車場自体が屋根に覆われていて、建物全体の外観はわからない。 しかし入り口には、尾に赤い印のついた、獅子のマークが描いてある。 謎に包まれた民間警護組織、デネボラ(獅子の尾)。アルでも名前にしたことがあるくらい有名な組織だ。 「まあ、だいたいお前の思ってる通りだと思うぞ。とりあえず中に入れ。」 彼が手をかざすと、重たそうな自動ドアはいとも簡単に道を開く。アルは誘導されるままに中へと入り、彼の後に続いた。 白と青を基調とした海を思わせるエントランス。その奥にはエレベーターがあり、その最上階のボタンを彼は押す。 1.2.3…と階の表示が上がっていく間、2人の間に会話はなく、ただエレベーターの登る音だけが狭い空間に響いていた。 デネボラ、と言う組織について自分の知っているだけの知識をかき集めてみる。と言っても噂伝いのものしかないが。 まず、組織の大部分をΩが占めているという。そして組織に入るために何が必要かは誰も知らない。 在籍するボディーガードの腕が卓越しており、政府や大御所からも依頼が多いと聞く。 中でも1番信憑性が低い噂は、組織にαの医師がいて、Ωに医療措置を施しているというものだ。なんでも依頼をしてくる相手の地位が高く、例外的に黙認されているらしい。 …まあ、それは嘘だとしても。 まず、お伽話だと思って聞いていた組織が実在しているかもしれないことに、アルは驚いていた。 "8階です。" 無機質な女性の声の、アナウンスが響いた。 エレベーターのドアが開いた先を、再び無言で進む彼についていく。 そして左右にいくつもの同じようなドアが並ぶ廊下の突き当たりで足が止まった。 他と比べて3倍以上の大きさのドアは、彼が手をかざすと左右に開く。 「ヨル、お前っ!!そいつをとりあえず僕から遠ざけろっ!!!」 いきなり飛んできた怒声に、アルは驚いて肩をびくんと震わせる。 開いたドアの先、そこには可愛らしい茶髪の男性がいて、口元を押さえ顔を真っ赤にしていた。 男性にしては高めの声が非常にとげとげしていて、かなり怒っているのがわかる。 「エレン、お前浮気か?」 「…お前っ…、Ωだからわからないかもしれないが、こいつの匂いはかなり強烈だぞっ… お前と番ってなかったら、僕も理性が飛んでるっ…!とっとと抑制剤を飲ませろっ!!」 そういえば抑制剤の効果が切れていたと、アルは部屋に入らず彼から一定の距離を取った。 先ほどアルと知り合った男は怪訝そうな顔をしながらも一旦ドアを閉める。 「お前、本当にヒート中か?」 「…そうですが。」 驚くのも無理はない。娼館のα以外の人間は、アルの発情期に気づかないことも多かった。 抑制剤がないときには盛大に匂いを放っているらしいが、自分ではすこし熱いな、というくらいなのだ。 つまりアルは、極端にヒートの自覚症状が軽い。 「これ、飲んどけ。」 どこから取り出したのか、ピルとペットボトルの水を放られた。アルは遠慮なくそれを口に含む。ヒートのΩが抑制剤の効果を切らしているなど、αにとっては拷問もいいところだから。 「しかし、こんなに軽い奴がいるもんだな、その分匂いは酷いってか?くくっ…エレンのあの顔っ!傑作だっ…! …と、悪い。俺はヨル。民間警護組織、デネボラの長をしている。」 アルが抑制剤を口に含み水を飲んでいる間、ヨルと名乗った男は盛大に笑い転げていた。 全く陽気な人だ、とアルは苦笑いする。 「ヨルさん、あの方は?」 ヒートに当てられているのだから、おそらくαなのだろう。気になって聞いてみる。もしかしたら、彼のうなじに跡を刻んだ人だろうか。 「ああ、あいつはエレン。俺の番で、多分噂になってるここの医者。 …可愛い顔して容赦ねーの。気をつけろっいたたたたた 」 ヨルが話している途中から、後ろからエレンが近寄ってきていたのだが、アルは伝えるタイミングを逃してしまった。 結果大きく可愛い目を怒りにつり上がらせたエレンは、背伸びをしてヨルの両ほほをつねると、思いっきり左右に伸ばしていく。 その姿は声に出しては言えないがなんとも可愛らしい。身長は150ちょっとというところだろうか。 痛そうではあるが、ヨルは同時に幸せそうな笑みを浮かべている。 「誰の顔が可愛いだ?今夜は覚えとけよ。 それより君、新入り?ヒートなのによく動けるな。」 エレンはそう言うと、アルの方を見た。もう怒ってはいない様子だ。おそらくヨルの一連の一言で瞬間的に怒っていたのだろう。 「自覚症状が軽いんです。」 軽い、と言ってもすこし熱い、くらいはあるのだが。アルの言葉に、なるほどなとエレンは頷く。 「まあ、それであんな匂いを放ってるなら意味ないけどな。とりあえず抑制剤の働きの大部分はフェロモン放出の抑制だ。 しっかり1日に2回飲め。切らせることはないように。それと。」 まだ何か足りないことがあっただろうか。エレンは近すぎるくらいに近寄ってアルの顔を覗き込んでから、ビシッとアルの瞳を指差した。 「そのコンタクト、度は入ってるのか?」 「…? あ、いえ。」 一瞬何を聞かれているのかよくわからなかったが、じっと瞳を見られたから今自分の目の中に入っているものだと気づくことができた。 近くから見ればわかるものなのか、と素直に感心する。 「視力の低下に繋がったら大変だ。仕事で外に出るとき以外は外しておけ。そして外したものはよこせ。型を調べておく。」 それだけ行ってくるりと踵を返した彼を、ヨルが待て待てと制止した。 「こいつはアル。今日から組織の一員だ。」 「…ふーん。よろしく。」 自分も大概だが、エレンもかなり愛想がない、とアルは思った。 トイレでコンタクトを外し、それからは施設のことや今後の訓練について丁寧にヨルが案内してくれた。そして。 「今日からお前らと同室のアルだ。色々相談に乗ってやってくれ。」 ここがお前の部屋だと案内された部屋には、2人の住人の姿があった。 見渡すと、比較的広い中には、カプセルホテルのような造りのベッドが4つと、キッチン、リビングが1つになった空間がある。 寝起きの様子の2人は、ドアが開いてからしばらく目をこすって眠たげにしていたが、アルの姿を捉えると、だっと高速で駆け寄ってきた。 「え、嘘、後輩!?」 「本当か!?」 「お前らもまだきて3ヶ月だろう。」 ヨルが苦笑いをしながら興奮する2人をなだめていく。 1人はくりっとした黒い目にふわふわの茶色い栗毛の可愛らしい人で、もう1人は短髪の、健康的な人。 どちらの男もアルに興味津々で覗き込んできて、おそらく歳は同年代。同年代と関わる機会がほとんどなかったアルは、そんなに見られるとどうしていいかわからずに固まってしまう。 「おいおい、困ってるだろ。お前ら初対面で近すぎだ。」 ヨルの言葉も彼らの心にはあまり響いていないらしく、2人はキョトンと顔を見合わせた。そしてにこっと笑うと再びアルを覗き込む。 「え?そう?」 「そんなことはないと思うんだが…。そうだ。俺はカイという。」 「あー、僕はロルフ!ねえねえ名前は?年齢は??それより目の色なんか違う!」 「おーまーえーらーはーっ!!」 ごつん、といい音が響いた。ヨルがカイとロルフにげんこつを落とした音だと理解できたのは、2人が揃って頭を抱えたからである。 「「いてっ!!」」 「自業自得だ。」 大きなため息をつきながら、あとはうまくやってくれと言い残してヨルはどこかへ行ってしまった。そのあとアルが質問攻めにされたことは言うまでもない。

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