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第21話

車を降りたところでヨル、ジャック、ヴィクターとは分かれ、アルはアランと2人で行動することとなった。 ざわざわと話し声の響く会場内の空気は、穏やかなようでいてどこか張り詰めている。 全ての人が同士であると同時に(ライバル)であるという、この異様な空間にぴったりの雰囲気だ。 今回参加した学会は、1日目から5日目まではポスター発表のみ、6日目は口頭発表のみが行われる。 ちなみにアランたちはポスター発表には登録していない。口頭発表についても、新たな抑制剤の開発について、という題目で、本当の意図は運営側に明らかにしていないときく。 彼らの開発した抑制剤は、副作用の低減だけでも注目を浴びるほどに改良された。 アランたちが発表にあたってこの学会を選んだ理由は、まず規模が大きくメディアが大々的に取り上げてくれること、そして政府からの抑圧が少ないことらしい。 だから最初の5日間はアルの役割はポスター発表を見て回るアランの警護だ。 周囲に細心の注意を払いながら、それでも不自然にならないように、アルはあくまでただの付き添いのように振る舞う。 目立たないように、なるべく影を潜めながら。 正直、規則正しく配列された等身大のポスターを見ても、なにもわからない。 アランが意味不明な記号の羅列と半分異世界語のような説明を聞きながらなるほどと頷いている最中、アルはあくびを噛み殺していた。 …よくこんなの理解できるな。 「つまらないだろう。すまないな。」 ブースを移る間、アランが申し訳なさそうにアルを見た。耳元で響いた美しい声音に、思わず肩が跳ねる。 「いえ、仕事ですから。」 演技で愛想を振りまかなくていい分、パーティーなんかよりよっぽど気が楽だ。 それに彼の横にいることができて嬉しい…とは言わないでおこう。彼の横にいるだけで、どこか満たされている気がしていた。 それにしても人が多い。そしてその大半がαであることが見てとれる。 この人混みの中、進む際に、アランの方に注意を払いつつ周りの人間ともぶつからないようにするのは至難の技だ。 一歩一歩を慎重に進んでいく。 不意に、背後に妙な視線を感じ、アルは即座にその方を振り返った。ごくり、と息を呑む。 わかるのだ。小さな頃に培った勘が、危険だと警告を鳴らすから。 しかし、振り返った方にいた2人はにこやかに微笑み、一方がアランに向かい片手を差し出した。 「ルシアンさん、ご無沙汰しています。」 「ああ、ギルバート。久しぶり。今回も非常に興味深い内容だった。」 どうやらギルバートというらしい彼はアランの顔見知りのようだ。話の内容から察するに今回のポスター発表の参加者なのだろう。 しかし、その後ろにいる、今はにこやかに微笑んでいる男の先ほどの視線は、明らかに何か危険な気配を帯びていた。 「ありがとうございます。ルシアンさんの研究は?」 「今回は最終日の口頭発表だけ。ポスター作成が間に合わなかったんだ。」 「そうなんですか。自分はポスターだけなので5日目で帰ってしまうんです。残念だ。 …ところでそちらの方は?」 ギルバートが眉をひそめながら指差した先にはアルがいた。人に対して人差し指を向けるということ自体がもう失礼だが、明らかにげんなりしたように声のトーンが下がり、敵対の視線を向けている。 何かしただろうかと自分の行動を省みるも、アルには思い当たる節がなかった。 「こちらはアル。研究室では俺の助手をしている。」 「ふーん、失礼だけど君、第2性は?」 「…βです。」 本当に失礼だ。Ωですとは口が裂けても言えないから、嘘をつく。 「へぇ。よろしく。」 勝ち誇ったように笑われても何も感じない。というより、ギルバートがほぼ無害だと判断できたため、アルは注意を周囲と彼の後ろにいるスーツの男に集中させた。 スラリと背が高く、一目でαとわかるような整った顔立ちをしていた。 「ところでそちらは?」 アランが指差したのはアルが注意を向けていた男。よく聞いてくれたとアランに素直に感謝する。 「あー、この人はボディーガード?みたいな人です。自己紹介して。」 男は渋々前に出ると、どういうわけかアルの前に手を差し出した。 「ユリアン・ランドールです。アルクトゥールスからギルバート様を護るため派遣されてまいりました。よろしくお願いします。」 「アル・ギリアムです。よろしくお願いします。」 ピタリ。 ユリアンと視線が合った時、アルには正直、今自分が倒れなかったことが奇跡のように思えた。 彼の視線は刺すように鋭く、アルを威圧している。 だめだ。脳内では大きな警報が鳴っている。この人とやりあったらまず勝つことはできない。 この人はギルバートの警護のためだけに来たわけじゃないのだろう。こんなに明らかな敵意を向けるのだから、確実に今回の任務の障壁となる。 ユリアン・ランドール。その名を忘れないように2度、アルは脳内で反芻した。 握り合った手が離れた時、くっきりとアルの手には指の跡が残っていた。通りで少し痛いと感じたわけだ。 …あとでヨルに報告しておこう。 「驚かせてすまなかった。ギルバートとは一昨年まで共同研究をしていたんだ。彼は主にプロキオン(犬に先立つもの)シリウス(光り輝くもの)に次ぐ大規模研究施設)にいる。 …それより、手、大丈夫?」 「あ、ああ、大したことありません。」 アランの話を聞きつつ色々考えているうちに気づけば痛みはどこかに行っていたが、彼の指の跡は少し赤くなっていた。 しかしよくよく思い返してみると、ひとつ気がかりなことがある。あの目つきと手、声… どこかで会ったことがある気がするのだ。どうしてかそう感じる。 …気にするだけ無駄か。 それ以外、その日はことなきを得た。ユリアンの名前を聞いたヨルは大きく顔をしかめていたが、アルには何も言わなかった。 同じように何もなく2日目、3日目も過ぎていき… 平穏な日々が続いていた。 4日目の夜、ある意味自業自得の予測不能な出来事が起きるまでは。

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