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薄暗く、小さくはあるけれど狭くはないバーのカウンターの端で、俺石濱 優吾 は一人、輪から外れてその光景を眺めていた。盛り上がっているのは嫌いじゃないし、大学の時だったら自らそういう場に飛び込んでいたけれど、この場合は少し事情が違う。
たぶん俺は一人、完璧なるアウェイ状態だ。
「大丈夫?」
どうしたものかと困る気配が明らかに周りとは違ったからか、グラスを持ったまま隣に座った男が心配げに俺を覗き込んできた。
なんていうか、とても綺麗な顔をしてる奴だった。
首を傾げたせいでさらりと揺れた黒髪が、カラフルな周りの様子からは浮いていていい意味で目立つ。そして組まれた足はやたら長く、立ったら身長は俺と同じくらいだろうに腰の位置が高い。スタイルの良さからしてモデルかなにかだろうか。
「誰か人待ち?」
俺からの反応がないからか、その男がひらひらと手を振って窺ってきたから慌てて意識を戻す。
「あ、いや、その……」
「ていうか、どう見たってノーマルさんなんだけど、逃げるなら今だよ?」
俺より二つ三つ下っぽいからきっと大学生ぐらいなんだろうその男は、苦笑いで答えに詰まる俺にさらりとそんなことを言った。
普通の場所にいたら女の子がきゃーきゃー言いながら集まってきそうなわかりやすいイケメンだけど、その言い方からして思った通りの人間なんだろうし、周りにいるのも洩れなくそうなんだろう、きっと。
もったいない、と思ってはいけないのかもしれないけれど、どうしても思ってしまう。
「やっぱり、そういうところなのか……」
「そういうとこ、だよ」
明らかにただの会社帰りの俺とは違い、周りは派手な格好をして酒を片手に男同士でわいわいやっている。いや、この場合いちゃいちゃ、というのが正しいんだろうか。
さっきからどうもおかしいとは思っていたけれど、やっぱりここはホモ……というのは差別用語なんだっけか? とにかく男が好きな男が集まるバーらしい。
「なに、騙された?」
もちろん、俺はこんな所に好きで来たわけじゃない。それが見た目からわかるのか、隣に座った男が軽く笑いながら聞いてくる。
「いや、大学の時の先輩に男だけの飲み会みたいなイベントがあって、一人だと居づらいからどうしても来てくれって」
「あー、今日はカップル限定のイベントだからね。その先輩、相手がいなかったんだ」
「……ああ、そういう……」
会社終わりに急に連絡が来て飲みに行こうと誘われて、先輩命令に断り切れず連れて来られたけど、まさかそんな意味があったとは。というか、だから逆らえない上に、こういう秘密を知っても簡単には喋らないだろう俺を道連れにしたのか。
男同士のカップルしか入れないイベントに来たいがために、俺を人数合わせに使ったと。
……つーか、先輩が「そう」だと初めて知ったんだけど、襲われたり迫られなかっただけマシだったと捉えておこう。
しかし、隣のイケメン、爽やかな見た目してるけど、やっぱりここにいるってことはこいつもそうなんだろうか。こんな好青年の外見が俺にあったら、営業がどれだけ楽か。と場違いながらに思ってしまうのは、認めがたい現実に今現在置かれているからだ。
マジで俺、こんなところでどうしたらいいんだ。
「き、君も相手がいる、んだよね?」
「あー、誰だっけ。あの辺にいる誰かだと思う」
「誰かって……」
「適当に連れ合ってきたから」
持っていたグラスを呷って、なんだか盛り上がっているテーブル席の方を指さすイケメン。
カップル限定のイベント中であるここにいるってことはこいつも誰かとカップルってことなんだろうけど、この言い方だとどうも俺と似たような状況らしい。特定の相手はいなくて、盛り上がりにのる感じでもないと。
……無論、だからといって男が好きって時点でわかり合える気はしないけど。
「……それでその、イベント、って?」
「キーパーティー」
とりあえず恐い奴ではなさそうだから、詳しいことを教えてもらおうと口を開く。
本当はさっさと帰りたいんだけど、先輩はその輪の中に入って楽しそうに話しているし、黙って帰ったら恐そうだし、なによりこっそり帰れない理由がある。
「あ、それ。そういやさっき車のキー預けろって言われたんだけど」
「あー預けちゃったんだ」
それがどんなパーティーなのかはわからないけど、ここに入ってきてすぐぐらいに、車のキーを預けさせられた。飲酒運転をしないようにかと思ったんだけど、元から乗ってきてもいないし、ガラスのボウルに無造作に入れられていたからなにか他に意味があるんだろうかと不思議に思っていたんだ。
それを取り返すまでは帰れないんだけど、その事実を伝えたら変な反応をされた。
預けちゃった、という言い方は決していい意味に聞こえない。
「……ダメだったのか?」
「まあ、今さら言っても仕方ないけど。そっか。先輩はソッチか。じゃあまだマシかな」
いまいちはっきりとしない物言いは、なにか知られちゃまずい理由でもあるのか、それとも俺がこの世界のことをわかっていないだけか。ソッチとかマシとか。
「キーパーティーってなんなんだ?」
「自分のキーを挿す相手を探すんだよ」
さすがにかなり不安になってきてずばり聞いてみたら、相手は口の端を意味ありげに上げてそう答えた。そして拳銃みたいな形にした指を、鍵を捻るように回してみせる。その上で立てた人差し指を唇に当てた。ちろりと出した舌が妙にセクシャルで。
「決まった車にキーを挿すばっかりじゃ飽きちゃうから、たまには違う鍵穴に挿し込んでエンジンを燃やしたいって人のためのイベント。だからカップル限定」
「お、おお……?」
それはもしかして、ものすごくエロい話なのか? しかも、男同士とはまた違う意味でのアブノーマルというか。
つまり、恋人同士で相手を変えて楽しむためのイベントってことか。だからこそカップルじゃなきゃ意味がないのか。
「だから、キーを選んだ相手と一夜をともにすんの。そういうイベントだって理解済みで参加するから、恋人ももちろん了承してて、今夜だけは誰と寝ても浮気になんないってわけ」
「うわぁ……なんか、すげぇんだな……」
爽やかな顔からつらつらと説明されるそれは、俺にはまったくもって別世界の話。
男同士というだけでも理解が追い付いていないのに、キーとか違う鍵穴とか、しかもそれがランダムとか。ここにいる全員が知り合いじゃないんだろうし、恋人がいるのに知らない相手といきなり寝るとか、ありなのか。
……ちょっと待て。じゃあ俺は、俺のキーを選んだ相手と一夜をともにしないといけないのか? 見知らぬ男好きの男と?
勘弁してくれ。俺はそんな気一切ないんだぞ。勝手に相手に選ぶとか、マジで勘弁してほしい。
なんでちゃんと説明してくれないんだと内心憤ったけれど、ここに来ている時点でそれはわかりきっていることなのか。俺を連れてきた先輩はそんなことをわざわざ説明する意味なんかないだろうし、結局のところここに俺の味方はいないわけで。
なんにせよ、今からあの盛り上がっている輪の中に入って、帰りたいからキーを返してくれと言う勇気は、ない。
「ま、キーを預けたってことは『する方』だからさ、嫌ならキーを取り返してから普通に帰ればいいよ」
「そうなのか?」
確かに鍵と鍵穴ってのが自分の立場を表しているなら、鍵を預けた方は男役(って言い方も変だけど)を望まれてるんだろう。だから無理矢理どうこうっていうのはないのかもしれないけど、帰るのを勧められるとは思わなかった。
その驚きを素直に口にすれば、そいつは呆れたように肩をすくめた。
「まあ、そう思っちゃうのは仕方ないんだろうけど、別に俺たち男を見境なく襲う集団じゃないんだよ? こういうイベントだって合意の上で成り立つもんなんだから。それに、立場的には選ばれた相手はされたいわけで。する気がないならそうきっぱり言うか、さっさと逃げるか。無理矢理キレて『鍵穴』にされる前に決めた方がいいよ、ノーマルさん」
誰が選ばれたとか、くっついた二人が姿を消す算段をしてるとか、向こうではかなりイベントが盛り上がっている。きっとそのうち俺の鍵も選ばれてそこに巻き込まれるんだろう。その時に先輩の助けは期待出来ないし、だったらやっぱり自分でなんとかするしかない。
……なんつーところに連れて来られたんだ、まったく。
ただ、隣の奴みたいに普通に話せる奴もいるってのがまだ救いか。せめてそういう奴に当たって、穏便に済ませられるといいんだけど。
「タマキ、お前どれにする?」
そんなことを思いながら妙に緊張していると、ついにキーの入ったボウルを持った男が、俺の隣の奴の前に立った。
「じゃあ、一番上」
みんなそこに手を突っ込んで楽しそうに選んでいたのに、そいつは見るまでもなく適当に選ぶ。
名前を知られてるってことはかなり常連なんだろうか。ていうか、選ぶってことはそっち側、なんだよな。と、一応親切にしてくれた相手を邪推するのはどうかと思うけど、普通にモテそうなのにもったいないと感じてしまうのは俺としては仕方がないと言うか……。
「はいよ。さあ、このかわいこちゃんと一夜をともに出来るラッキーボーイはどいつだ!?」
選ばれた一番上の鍵を手に声を張り上げる男、の手元を見て、はっと気づいた。
「……あ、俺の」
俺の車の鍵だ。
そう呟いた途端、盛り上がる奴らとあからさまにがっかりする奴らと、顕著な反応が見られた。どうやらこいつはここの常連でもあり、人気者でもあるらしい。
「ほらよ、タマキ。楽しんでこいよ、ラッキーボーイ」
俺の車の鍵をそいつに渡して、俺にはウィンクが贈られる。
「すごい偶然があるもんだね」
受け取った鍵を手に、そいつ……『タマキ』は俺を見て肩をすくめてみせた。当然だけどこいつが俺の鍵を知ってることもないだろうし、そもそも選ぶのに見てもいない。他の奴らが手を突っ込んで掻き回した後だから、俺の鍵がそこにあったってこと自体偶然なわけで。
相手が女の子だったら、運命の出会いと言ってもおかしくないほどのシチュエーションなのに、残念ながらここには男しかいない。でもまあ、おかげで一から説明する手間は省けたけど。
「とりあえず場所変えよっか」
俺の鍵を手の中で弄びながら、そいつはカウンターにグラスを置いて立ち上がる。
周りはカップルが出来たらすぐに出ていくみたいだし、俺にとっても違う意味ですぐさま出ていきたいところだ。
冷やかしを受けるのは嫌だったけど、この場を立ち去るのが先だと、さっさと『タマキ』の後に続いて店を出ることにした。
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