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【月が綺麗ですね】圭琴子
会社員の眞 と大学生の詩陽 が出逢ったのは、二〇一九年の原宿レインボープライドだった。原宿レインボープライドとは、LGBTなどのあらゆるセクシャルマイノリティが、『らしく、たのしく、ほこらしく』生きることが出来る社会の実現を目指す祭典だ。パレードで近くを歩いていた二人は、LINEを交換し、一ヶ月の連絡を得てつき合うことになる。
だが眞は東京在住だったが、詩陽は地方に住んでいたから、二人は言わば『中距離恋愛』だった。眞の仕事が忙しく、まだデートは一度も出来ていない。LINEのメッセージは積み重なっていき、想いは募るばかりだった。
――ピコン。
今日も、LINEの着信音が鳴る。
▶『お仕事、お疲れさま』
◁『ありがとう。詩陽、もうすぐ誕生日だよな』
▶『うん。覚えててくれたんだ。嬉しい』
ウサギがありがとう、と笑っているスタンプが送られてくる。
◁『忘れられないよ。七夕だもの』
▶『そっか。七夕だから、逢いたいな』
◁『それなんだがな。詩陽、七月七日、神奈川まで出てこられるか?』
▶『えっ。うん! 日曜だから大丈夫だよ!』
◁『七夕祭りに行こう。大きな夏祭りがある。浴衣を着て、一緒に』
▶『うん!!』
大好き、というウサギのスタンプが送られてくる。こうして、七月七日、初めてのデートを迎えたのだった。
* * *
眞は藍 の、詩陽は銀鼠 の浴衣を着て、大量の短冊や色鮮やかな吹き流しで彩られた大通りをそぞろ歩く。有名な七夕祭りで、市街の幹線道路を歩行者天国にして露店が並んだ。たこ焼き、綿飴、かき氷。夕食を食べ歩きで済ませた二人は、詩陽が女顔なこともあり、大胆にも腕を組んで寄り添って歩く。汗ばむ肌に、涼しい夜風が心地良かった。
「詩陽、楽しいか?」
「すっごく楽しい。眞さんと一緒なら、何でも楽しい!」
カロンカロンと下駄を鳴らして歩いていた二人は、やがて射的場の前に来る。詩陽が、ズラリと並ぶ景品の中のひとつを指差した。
「眞さん! あれ、取って」
初めてのデート、初めての小さな我が儘。指の先を辿ると、ピカピカのジッポがあって、眞は不思議に小首を傾げる。
「何でだ? 詩陽、煙草吸わないだろう?」
「だって」
詩陽は笑顔で眞を見上げる。眞は、詩陽の風に揺れる野花のような、素朴な笑顔が好きだった。
「眞さんが煙草吸う時、僕が点けてあげたいから」
可愛いことを……。眞は目を細めながら、射的のライフルにコルクを詰める。詩陽は、眞の男らしく包容力のある、優しい目元が好きだった。
「眞さん、頑張って!」
後ろで詩陽が声援を送る。そんな、何気ないことが幸せだった。コルクの弾は六発。子供の頃から腕に自信のあった眞は、わざと一発を、金平糖 の包みに使った。
「違う、眞さん、ライター!」
途端、不服そうな声が上がる。くつくつと眞は笑って、最後の一発で見事ジッポを落としてみせた。店主から金平糖とジッポを受け取って、詩陽に渡すと、彼は小さく跳ねて大喜びだった。「安上がりだな」と眞は笑って、詩陽のヘーゼルブラウンの猫っ毛をポンポンと撫でる。そんな些細なスキンシップでさえも初めてで、詩陽は薔薇色に頬を染めた。
「眞さん、煙草吸う?」
黒目がちな大きな瞳をキラキラさせて訊かれては、是非もなしだった。裏に一本路地を入った所に設けられた、喫煙スペースに二人は向かう。たった一本裏路地に入っただけなのに、あの祭りの華やかさが夢幻 だったかのように遠ざかって、ざわざわとひとかたまりの雑音になっていた。
寂れたスナックや雀荘のネオンサインが、ぼうっと薄暗く瞬いている。眞が慣れた仕草で箱を叩いて煙草を一本取り出すと、それに嬉しそうに、詩陽がライターの火を近付けた。薄闇に白くポツリと点が光り、火が灯った。深く吸って、眞は美味そうに吐く。
「詩陽が点けてくれたから、格別だな」
「じゃあ、僕はこれ」
詩陽はふふと笑って、袂 から金平糖の小袋を取り出す。封を開けて、小さくてカラフルな甘い星屑を二粒、口に放り込んだ。裏路地には誰も居ない。眞はまだ長い煙草を、水の張られた灰皿に放り込んだ。
「詩陽」
「ん?」
「キスして良いか」
詩陽は、手の甲で唇を覆って、真っ赤になった。付き合って一ヶ月だが、初デートだ。当然、何もかも初めてだった。
「い、良いけど。今、金平糖舐めてる」
「じゃあ、俺にも分けてくれ」
そう言って眞は、詩陽をそっと抱きしめて口付ける。身長差が頭ひとつ分ほどあったから、白いうなじに手を差し込み、仰け反らせるようにして味わう。金平糖の甘い味と、煙草の苦い香りがした。
「んっ……」
詩陽の口内から、溶けかけた金平糖がひとつ、眞の口内に移動する。触れ合うだけのバードキスを繰り返したあと、眞は金平糖みたいにとろけた表情の詩陽の髪を撫でながら、低く囁いた。
「ホテルの部屋を取ってある……行くか?」
詩陽は浴衣越しに、眞の逞しい胸板にすがりつくようにして、小さく頷く。二人はそのまま裏通りを歩いて、眞が取っていたシティホテルへと向かうのだった。
* * *
――ピピピピ、ピピピピ……。
「んあ……」
よく眠った。眞は目を瞑ったまま、目覚まし時計を探して枕のサイドに闇雲に手を伸ばす。……ん? ないな。だんだん大きくなる電子音に、いつものように二度寝したくて渋々薄目を開けて起き上がる。その瞬間。凍り付いた。眞は藍の浴衣で、広いダブルベッドの真ん中に、ポツンとひとり寝そべっていた。
目まぐるしく脳内で状況を整理して、眞は蒼くなる。確か……昨日、ホテルに詩陽と二人で来て。先に詩陽がシャワーを浴びた。覚えているのは、そこまでだった。この一日と半分の休暇をもぎ取る為に、持ち帰り残業で完徹したのが響いたらしい。ぐっすり寝入って、身体は爽快だったが、寝覚めは最悪だった。取り敢えず、ヘッドボードの目覚まし時計のボタンを押して、電子音を止める。テーブルの上に、メモ用紙。慌てて起きていって読むと、
『おはよう、眞さん。お仕事で疲れてるんだよね。それなのに、無理して誕生日に逢ってくれてありがとう。今度は、無理しないでね。僕、待ってるから。詩陽』
と、やや丸みを帯びた文字で記してあった。時計を観ると、午前八時半。朝食を摂って、十時のチェックアウトに間に合うように、詩陽がかけていった目覚ましだろう。眞のプランでは、事後に夜のドライブをしながら詩陽を家まで送り届ける、筈だった。テーブルの上のスマホを取って、フリック入力で指を素早く走らせる。
◁『詩陽、起きてるか!?』
▶『あ、眞さん、おはよう』
おはよう! と元気に腕をあげた、ウサギのスタンプもあとに続く。
◁『すまない……俺、最低だよな。嫌いになったか?』
それには、長文が返ってきた。
▶『そんなことないよ。メモ読んだ? 眞さん、忙しいのに、僕の為に無理したんだなあって、かえって申し訳なくなっちゃった。僕、いつも逢いたいって言ってたから。ごめんなさい。もう、我が儘言わないね』
それを読み終えた所で、眞は無意識に通話ボタンを押していた。お互いスマホを見ていたタイミングだから、すぐに詩陽に繋がる。
『もしもし?』
「詩陽。別れるって言われても仕方ない状況なのに、許してくれてありがとう」
『そんな。大袈裟だよ、眞さん。僕は、誕生日に眞さんに逢えたってだけで、凄いプレゼントだったもの。ありがとう。……大好き』
最後に小さく、付け加えられた。昨日のように、頬が薔薇色に染まっているのが、手に取るように分かる。その瞬間、不意に愛しさが大きく募った。
「……詩陽。三十分くらい、時間あるか?」
『え? うん。今日、二限目からだから』
「じゃあ……」
我知らず、舌が出て下唇を湿らせる。
「今から、シないか? 昨日の続き」
『えっ!?』
スマホの向こう側で詩陽が思わず声を高くすると、眞はふふと忍び笑った。慌てて口を押さえたように、詩陽が押し黙る。顔を真っ赤にしているのが、まるで見えているかのように眞はたたみ掛けた。
「ほら……その口を押さえてるのが、俺の手だ。何着てる? 上着をまくって、詩陽の可愛い乳首を擦るんだ。優しく、な」
『え……え……』
「ほら、早く。詩陽だって、中途半端じゃ辛いだろ……? 月が、綺麗だな」
ただでさえ昨夜、期待が空振ったあとだ。『月が綺麗ですね』。文系の詩陽が、その意味を知っていると十分承知の上で発された言葉で。そう言われた瞬間、詩陽の中の理性の糸もぷつりと切れた。眞と同じ、白くて細い白昼の月を見ている。そう思うと、堪らなかった。
『……ぁっ……眞さん……』
「イイ子だ……もっと感じるように、軽く、つねってやる」
『んっ……!』
スマホの向こうから、詩陽は言葉通りに指を操られ、腰砕けにソファの上に横たわった。息を荒くしながら、眞に哀願する。
『眞さん……下も、下も触って……っ』
「ああ、今触ってあげるよ……ズボンの中に手を入れて……詩陽のピンクのを、扱いてやる。もう、我慢汁でベトベトだな……」
『んぁ、あぁっ、あっ……』
「脈打ってるな……もうイきそうか?」
『ぅんっ、イく、眞さん、イッちゃいそう……!』
「まだ、駄目だ。俺のを、詩陽のきゅうきゅうのあそこに挿 れてからだ。挿 れるぞ……?」
『あ! あ……あ……!』
詩陽は、中指と人差し指をくわえて湿らせると、自らの蕾に埋めていった。ギリギリ、イイ部分に指先が当たる。
「動くぞ……思いっきりだ」
注挿が始まる。
『っあ、あ、あぁん、眞さん……!』
同じ空の下で、眞も自身を握り込んで扱いていた。互いの息遣いが、スマホ越しに鼓膜を揺らして、眩暈がする。
「俺のはどうだ? 言ってくれ」
『眞さん、の……おっきくて……イイ、ん・あ、あ・イッちゃう……!』
涙声で、詩陽が喘いだ。
「仕方ないな……イッて良いぞ。俺も、中に出してやる……」
『あ、っぁ、中に、眞さんの、いっぱい出して……っ! ん゙あぁっ……!!」
絶頂の叫びに、眞の吐息も続いた。
「詩陽のナカ、凄くイイ……クッ」
愉悦の深さに嗚咽する詩陽の泣き声が、しばしスマホから聞こえていた。眞も息を荒らげ、動悸がおさまるまで、無言でそれを耳にする。やがて……ポツリと、詩陽が言った。
『月が……』
「……ああ、綺麗だな」
まるで寄り添っているように、甘い低音で眞も囁き返す。互いの窓から見える、白昼の月の放つシン……とした白光 だけが、二人を包み込んでいた。
『眞さん……死んでも良い……』
『月が綺麗ですね』『死んでも良いわ』。日本人独特の言い回しで、二人は愛を告白する。
「愛してる。詩陽」
そうしてうなじに腕を回し、口付けを交わして、眞と詩陽は抱き合って鼓動を重ねる。身も心も満ち足りて、溢れそうになるほど幸せの内に、潤んだ瞳を閉じて「愛してる」と囁き合った。愛は、物理的距離を超える。言葉にすれば俗っぽいが、二人にとって忘れられない記念日になった。朝食は食べ損なったが、眞は甘いコーンポタージュでも飲んだように、身体の中が暖かく滑らかに満たされていくのを感じていた。詩陽も、また。
End.
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