7 / 7

嵐のあと

 綱吉が再びが目を開けると、  そこはまだレッスンに使った部屋だった。  部屋の中は相変わらず薄暗く、  時間は分からなかった。  裸のまま、けれど先程のあれは  夢だったのかと思えるほどに  ベッドの上は綺麗で、  自分の零した体液の欠片もそこにはなかった。  むろん自分自身もべたつくような感覚は無く、  肌はさらりと乾いていた。  ……手嶌さんが洗ってくれたんだろうか。  綱吉は横たわっていたソファーから起き上がった。  頭の芯がまだぼうっとしていた。  起き上がる腰も重く、  体重のかかった尻の辺りには違和感がある。  痛むという程ではないが、  何かがまだ挟まっているようなそんな感覚だった。  自分の服が床に落ちたままになっていた。  綱吉は重い身体でベッドを降り、  その服を身に付けた。   ふと見ると、机の上に1人用の土鍋と卓上コンロ・  お櫃・それに茶碗と箸とお玉が置いてあった。  そして、その横に俺を水揚げしてくれる相手が  決まった、という旦那さんが書いた走り書きのメモ。    そっか、もう、決まったんだ……    他人事みたいに呟き、ぼんやりそのメモを  みていたら思い出したよう”ギュルギュル ――”  と、ハラの虫が鳴いた。   土鍋の蓋を開けてみると、  鶏団子に春菊や大根やきのこが入っていて、  お櫃のご飯は少し冷めていたけれど、  綱吉はそれを全部土鍋に入れて温め、  雑炊のようにしてふうふう言いながら食べた。  ……美味しかった。  食べながら綱吉は、  自分が泣いていることに気が付いた。  涙がとめどなく溢れてきて、  まだ途中の茶碗にぽたりとこぼれ落ちる。  その涙は、不甲斐なく情けない自分に対する  悔しさとそしてそれ以上に、  見ず知らずの自分を救ってくれる人もいるという  ありがたさ  ……こんな自分の為に、部屋だけでなく夜食にまで  気を配ってくれた事に対する感謝の気持ちから  だった。  ……不必要な人間ではない、ここにいていいのだ、  と言われているような気がして、綱吉はとても  嬉しかった。  茶碗に残っていたご飯を涙と一緒にかき込んで、  綱吉は「御馳走様でした!」と言いながら  手を合わせ、夜食を終えた。 ***** ***** *****  綱吉・裕吉兄弟の両親は、  2人がまだ物心つかないうちに離婚した。  家に残ったのは父親と祖母で。  それから父親と弟とお祖母ちゃんと  4人の生活が始まった。  しかし、4人での生活が始まって間もなく  祖母が亡くなり父親も出先から帰って来なくなった。  どうやら父親は別に家庭を作っていたらしい。  それから裕吉と2人、  大人のいない家で何とか毎日を生きる日々。  生活は極貧で、電気も水道も料金滞納で止められて、  食事もまともに摂れない日もあった。  それでも何とか12才まで生きて、  小学校卒業を目前に控えたある日更なる不幸が  2人を襲った。  ヤクザ者が数人家に押しかけて来て、  借用書を突きつけて来たのだ。  その借主の欄には父親の名前があった。  押し付けられた金額は2人が一生働いても  返しきれないほどの高額なものだった。  (両親の離婚もこの借金が原因で、   母が家を出て行ったのはこんな貧乏生活に   嫌気が差したからだと、綱吉も裕吉も思って   いたが。母は借金返済のため自分の身体を   売ったと知ったのはかなり後の事だった)    『君たちのお父さんは悪い人だ。  借りた金も返さずに逃げたんだからな』  悪質な手口で金を貸す金融会社、  いわゆるヤミ金から多額の金を借りた父親は、  その殆どを返済せずに自殺したという。  綱吉は怒り狂い抗議した。  早くから見放され弟と2人必死になって生きて来た  というのに、勝手に作った借金まで背負わされて  あんなのは父親でもなんでもない。  しかし、そこに突きつけられたのは  血の繋がりという忌々しいものだった。  悔しかった、自分の無力さが。  そして憎らしかった、父親が。  自分たちを見捨てたくせに、  借金まで背負わせた父親を死ぬほど憎んだ。  それから、2人は今自分達に出来る限りの事をして  必死にお金を稼いだ。  しかし、年端もいかない子供が労働で得られる  現金などたかが知れたもので。  せっかく苦労して稼いだお金も、その殆どは借金の  取り立てに取り上げられ、それも利息の一部にしか  ならない。  それでも働き、働き、とにかく働いた。  そうして再び不幸が訪れた。    元々、そう身体は丈夫な方じゃなかったのに、  虚弱な身体に鞭打って働いていたせいで、  弟が倒れたのだ。  医師で検査結果を聞いた綱吉は絶望した。  弟はかなり病状の進行した心臓疾患に侵されていた  のだ。  医者には治癒の見込みはないと言われたが、  綱吉は決して諦めなかった。  諦められるハズなどない。  裕吉はたった1人の家族であり大切な弟だ。  散々苦労をしたが、裕吉がいたから生きてこれた。  弟を失うわけにはいかない。  それから綱吉はたまたま隣家に来ていた女衒・  手嶌の手配で東京へ下り。    手嶌の仲介で”翡翠楼”を紹介して貰い、  ヤミ金への借金の肩代わりと引き換えに男娼見習いに  なる事を約束し。  翡翠楼との正式な雇用契約を結んだ。  綱吉の座敷上での稼ぎは肩代わりして貰った  借金の返済に充てられるが、  それ以外での働きは弟の治療費に充てられるように  なっている。  金だ。  とにかく金がいる。  金があれば、金さえ手に入れれば病から  弟を救う事が出来るかも知れないのだ。 

ともだちにシェアしよう!