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第1話

「むつきさーん」 「ん……」 「コーヒー入ったよ」 「うん」 「睦月さんってば!」 「…………」  返事をしないつれない想い人に、徳倉祐太(とくらゆうた)は小さなため息をつく。だが、それも仕方がない。彼は現在、仕事中なのだから。  パソコンを凝視して一心不乱に仕事をしている彼──薗部睦月(そのべむつき)の横顔を、祐太はそのままじっと見つめていた。  細身というより、華奢といえる体つき。イラストレーターを生業としている彼は、あまり表に出ないせいか、肌がとても白い。だが、それはかえって彼の容姿を更に美しく引き立てているように思う。  大きめの眼の縁にはびっしりと長い睫毛がそろっていて、ちょっと伏し目がちになっただけで祐太はドキドキしてしまう。鼻筋がすっと通っていて、形の良い薄めの唇はきれいなピンク色だ。男性にしては少し長めの髪の毛は染めておらず、漆黒を保っている。  全体的に整った顔立ちなのだが、表情が出ると、彼は無邪気な少年のようになる。その様は、とても祐太より4歳も年上に見えないくらい可愛らしい。 「何を描いているんですか?」 「わっ!」  横からパソコンをのぞいた祐太に気づいて、睦月は驚いて椅子から落ちそうになった。すかさず、祐太がそれを支える。 「びっくりした……」 「何やってるんすか」  睦月の両肩をつかんで椅子に座らせると、祐太はあきれた声を出す。ムッとして睦月が顔を上げると、意外と至近距離に祐太の顔があり、二人の視線が数時間ぶりにがっちりと合わさった。  そこで、二人はどちらともフリーズしてしまった。微妙な沈黙が、部屋の中に流れる。  ──ヤバい。キスしたいかも。  ちなみに、この心の声。両者全く同じ内容である。  互いに思うことが同じなのだから、したいならすればいいのに、なかなかどうしてここから発展しないのが、この二人なのだ。  案の定、2人は互いに我に返って、パッとあらぬ方向へ視線を逃がした。 「い、いきなり声をかけるなよ。マジでびっくりするだろ」  上ずった声で、睦月が注意する。  ──かけただろ。何回も。  祐太はツッコミを入れるが、それは心の中だけにしておいた。 「ところで、それ……」 「あっ! み、見るな!」  祐太が指さしたのは、パソコンに取り入れてある睦月が描いたイラスト。画面いっぱいに映るそれは人物画で、何かのキャラクターらしい。 「いいじゃないですか。見たって」 「まだ途中なんだってば!」  ふーん、と言いながら、祐太がパソコンから離れる。睦月はほっと胸をなでおろした。  睦月が今、作業にとりかかっているイラストは、ゲームのキャラクターだ。ラフ画(下書き)にOKが出たので、本格的作業に入っているのである。  いずれ、そのゲームは売り出されるのだから、祐太にイラスト自体を見られても別に困らない。それでも睦月が焦った理由は、他にあった。  ちょうど画面に出していたキャラクター。これが、祐太に似ているからである。  最初に描いた時は、そんな風には思わなかった。だが、ラフ画を発注先であるゲーム会社の担当者に指摘されて気が付いたのだ。まるで自分の気持ちを見透かされたみたいで、恥ずかしい思いをした。だから、余計に祐太に見せるわけにはいかない。  ゲームの発売予定は再来年で、まだまだ先だ。それまでには、なんとかごまかせる。  ──てゆうか、その頃になっても、こうして一緒にいるかどうかわかんないし。  そう思い至って、睦月はこっそりとため息を吐く。  祐太と知り合って、1年半が経つ。  最初は、便利屋である祐太と客として知り合った。  今まで住んでいたアパートから、現在住んでいるマンションへの引っ越し。ちょっと訳ありだったから、普通の引っ越し業者ではなく便利屋に依頼して、作業員としてやってきたのが彼だ。  祐太は、引っ越しの訳ありの理由を知っている。睦月が自ら話して聞かせたからだ。  引っ越しの作業が終わった時、祐太は言ってくれた。 「少しずつ忘れられますよ。なんなら、手伝いましょうか?」  忘れようとしたのは、訳ありの原因。  手伝おうといったのは、それを忘れる手伝い。  睦月は、その誘いに乗った。  一方、祐太はといえば、冷めてしまったコーヒーを再び淹れ直しながら、キッチンで盛大なため息をついていた。  意気地がないと、自分でも思う。  睦月とキスがしたかった。けれど、いざという時になって動けない自分の身体がうらめしい。  ──せっかくのチャンスだったのに。  理由は分かっている。怖いのだ。  好きな相手が同性だから、というわけじゃない。そんな常識は、睦月を好きだと自覚した時点で、きれいになくなった。  祐太が怖いのは、睦月が自分のことをどう思っているか。彼の気持ちだ。 「僕は、女の子には興味なかったから、自分はゲイだと思うけど……」  以前に聞いた彼の科白。  睦月の別れた恋人は、同級生の男だった。その話の流れで、さらりと流すように紡がれた言葉。だが、祐太の頭の中にはしっかりとインプットされていた。

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