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第2話
それが本当なら、もしかしたら自分が睦月の許容範囲に入るかもしれない。それは、淡すぎる期待だった。
だけど、祐太はそれに必死にしがみついて、睦月と友人関係を続けている。
“溺れる者は、藁をもつかむ”
ことわざは侮れない。
「あ……ごめん。コーヒー、淹れ直してくれてるんだ」
申し訳なさそうな声が、祐太の背中に届く。振り返れば、睦月が声音と違わない表情でこちらを見つめていた。祐太は、笑顔で頭を左右に振る。
コーヒーメーカーのソーサーに、2人分のコーヒーが出来上がっていく。それを何をするでもなく祐太がぼんやりと見つめていると、先ほどと同じ調子で睦月が話しかけてきた。
「ごめんね」
「え?」
「だって、せっかく遊びに来てくれたのに、仕事が詰まっててさ。あんまりかまってあげられなくて……」
ダイニングテーブルの椅子に軽く腰掛けて、睦月が苦笑いする。
この人はとても優しいと、祐太は思う。
仕事中だとわかっていたのに、押し掛けてきたのは自分の方だ。むしろ謝るのはこっちなのに、かまってやれないですまないと言ってくれる。
最初は、その容姿に強く惹かれた。
しかし、何度となく一緒の時間を過ごすことで、睦月の生来の優しさや、年齢にそぐわない子供っぽいところに触れるたび、ますます強く惹かれていくのを止められなくなっていた。
好き。
睦月が、とても好きだ。
「好き」で、心が飽和する。
ふと訪れる沈黙が、心地よくて切なくなる。
じっとしていられずに、祐太はコーヒーを淹れ直す作業に没頭した。
胸がじくじくと疼く。
初めて味わう気持ちに戸惑うばかりで、具体的なアクションを起こせずに祐太は歯がゆい思いを抱えている。
そして、それは睦月にもそのまま当てはまることだった。
祐太の明るい声や、強引に見えてその実、無意識でやってのける気遣いにあふれる行動に、どうしようもなく気持ちが傾いていく。
先ほど祐太に謝ったのも、優しさからとか気を遣ったとかではなく、本心で申し訳なく思ったからだ。
フリーランスという身分は、時間の自由があると思われがちだが、大抵の取引先は納期が決まっている。それがいくつも重なると、寝食以外はずっと仕事という日々を何日もこなさないとならない。締切を破れば、以降の仕事を失ってしまう。
こうして祐太が来てくれたのに、スケジュールが立て込んで、休めない自分が腹立たしい。
しかも、仕事に没頭して相手をしない自分を、祐太は嫌味を言ったり責めたりしない。それどころか、一息入れるために、こうしてコーヒーを用意してくれたりする。
そういうことが重なれば重なるほど、睦月の心は上質な真綿にくるまれたような心地よさを味わう。それと同時に、これ以上好きにならないようにと、高ぶる気持ちを抑えて戒めていた。
おそらく、祐太は異性しか好きになったことがない。
何年も同性とつきあっていた自分とは違う。
そんな過去を確かに祐太は知ってはいるが、だからといってこの気持ちを彼が受け入れてくれるとは、さすがに睦月は思っていない。
今はただ、失恋した自分に同情して一緒にいてくれるだけだ。勘違いしたらいけない。
「──はい。熱いですから、気をつけて」
目の前に置かれたマグカップに気づいて、睦月は顔を上げる。そこには、いつもの明るい祐太の笑顔がある。
「ぼーっとしてますね。疲れてます?」
首を斜めに傾げて見つめてくる姿がまぶしくて、睦月は目を自然に細めてしまう。
ああ、どうしよう。
こんなに好きになってしまって、どうしよう。
「睦月さん?」
祐太の表情が訝しいものに変わり、睦月はあわててコーヒーを一口すすった。
「……っ! あちっ!」
「ほら、だから言ったのに」
軽く舌やけどした睦月の顎を、祐太の長い指が捕らえる。
「な、なに?!」
「え? 舌、やけどしたんじゃないんですか?」
いきなり祐太の顔が近づいてきて、睦月の心臓が壊れるのではないかといううくらいに、激しく鼓動を刻む。思わず、息を止めてしまっていた。
「見せてください」
「え?」
「だから、舌。出して」
祐太がのぞきこむようにして、目線の高さを睦月に合わせてきた。
──心臓、マジこわれるっ!
単に、舌をやけどしたかどうか確認するだけだとわかっているのに、さっきの『舌出して』の一言に、あらぬことを脳みそがいろいろと考えだして、睦月は軽くパニックに陥っていた。
「い、い、いいよっ!」
どもってしまう自分が、なんだか悲しい。
「よくないですよ。ほら、あーんして。ベーって舌出してください」
さらにそう言われてしまったので、睦月はおずおずと舌を出す。しかし、その仕草が無意識に目の前の男の欲情を煽るとまでは、まったく考えていなかった。
ゆっくりと唇から出てきた睦月の舌に、本来の目的を忘れた祐太の喉がゴクリと鳴った。
──うわ。考えてみたら、このシチュエーションってかなり……ヤバくね?
ここで、自分の唇を重ねたら。
目の前の舌に、自分のそれを絡めたら。
この美しい想い人は、どう言った反応を示すだろうか。
「ヒリヒリします?」
自分の中の動揺を、できるだけ押し隠して抑えた声で祐太が訊ねる。
「ふこひ(すこし)」
舌を出したままで、律儀に睦月が答えた。上目遣いに、祐太をひたと見つめてくる。
その表情が、祐太にはまるでキスを誘っているように見えてしまい、目の前がクラクラしてしまった。
好き過ぎて、目まいがするなんて。こんこんと湧き出る豊潤なわき水のように、迸る気持ちを抑えがたくなってしまう。
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