1 / 3

第1話

 某駅前にある古びたビルの3階。  そこにある便利屋『トクラサービスカンパニー』には、最近一輪の花がやってくる。  この表現に、間違いはない。  ただ、指摘されるべき点があるとしたら、その花が25歳の『男性』だというところだろうか。 「こんにちは」  事務所のドアがそっと開かれ、その一輪の花──薗部睦月(そのべむつき)が顔をのぞかせた。 「おう。薗部くんか」 「いらっしゃい」  トクラサービスカンパニーの社長である徳倉要一(とくらよういち)と、彼の右腕的存在である潮崎湊(しおざきみなと)が笑顔で睦月を迎える。睦月は二人に向かって、ぺこりと頭を下げた。 「これ……会社のみなさんでどうぞ」  睦月が徳倉に和菓子屋の袋を差し出す。中身は、徳倉の好物である豆大福だ。徳倉の甥でここの社員でもある徳倉祐太(とくらゆうた)からリサーチしていたのだ。 「いつも、すまないなあ」  中身が豆大福と知り、徳倉のいかつい顔が思いきり緩んだ。 「お茶、淹れてきますね」  潮崎が優雅な所作で立ち上がり、給湯室へと向かった。  徳倉と潮崎の二人を見るたびに、睦月は「美女と野獣」という言葉が頭によぎる。  徳倉は、40代にしては逞しい体躯にむさくるしい無精ひげを顎にたくわえており、胡散臭い雰囲気を醸し出していた。  対して潮崎はといえば、細身の長身で整った容姿に、上品な立ち居振舞い。いつもきちんとスーツを着ている彼は、さながらエリートサラリーマンといった風情だ。  対照的な二人が、便利屋を開業する前は法曹界に身を置いていたと祐太から聞いた時は、すぐにそれを信じられなかった。 「祐太くんは、さっき出先から戻ってくると連絡がありましたよ」  熱い緑茶を差し出しながら、潮崎が睦月に話しかけてきた。それを聞いた睦月は、わずかに頬を染めて湯呑みを受け取る。  そんな様子の彼を見て、潮崎は優美に笑った。そこらのホスト顔負けの笑顔だ。 「いつも、祐太と待ち合わせの約束してんのか?」  豆大福をほおばりながら、徳倉が聞いてきた。 「そういうわけじゃないんですけど……」  睦月は口ごもりながら、お茶をすすった。  睦月がトクラサービスカンパニーに引越作業を依頼したのは、約半年前。そのとき、派遣された便利屋が祐太だった。  それ以来、睦月と祐太は互いに連絡し合って、時々遊びに出かけたりしている。  本来なら、客である睦月と、甥とはいえ社員である祐太が個人的に付き合うのを咎めなければならない立場の徳倉と潮崎であったが、睦月の独特のほわんとした雰囲気と人柄にほだされて、こうして彼がここを訪ねてくるのを黙認している。  それに、睦月と知り合ってから、祐太は仕事に意欲的になり、以前と比べてかなり真面目に働くようになった。文句を言いたくても言えるはずがない。  とはいえ、なんだかんだいって、徳倉と潮崎は睦月のことがかなり気に入ってしまっていたのだ。  週に一度の彼の訪問が、仕事に追われる二人の癒しタイムになっているのである。 「今日は、飲みにでも行くんですか?」  潮崎が聞くと、睦月はふるふると頭を左右に振った。 「出版社の編集さんから、試写会のチケットをもらったんです」 「試写会?」 「ええ。そこで出している小説が映画化されて。せっかくだから、祐太くんと見に行こうかと」  この半年余り、睦月は祐太と映画だけでなく、何度かDVDを借りて睦月の部屋で見たりしていた。  そのおかげで、お互いの映画やドラマの好みも理解するようになった。  もらった試写会のチケットの映画は、祐太が好きな心理サスペンスものである。  この映画のCMがテレビで初めて流れた時、見に行きたいと祐太が言っていたのを睦月は聞き逃さなかった。  出版社に出来上がったイラストを持って行って、担当編集者から試写会の話題が出た際に、無理を承知で頼み込んでもらってきたのだ。 「どなたか、デートにでもお誘いするんですか?」と、揶揄されながら。  だが、担当編集者の指摘は、ある意味図星だ。  睦月は、半分そのつもりで誘いに来ている。  たとえ、相手がただの友人としか思ってくれなくても。  自分に同情してくれているとわかっていても。  湯呑みの中の緑茶に映った自分の表情を見て、睦月はこっそりため息を吐いた。  半年前。睦月がトクラサービスカンパニーに依頼した引っ越しは、訳ありといえば訳ありだった。  男の恋人と別れ、同居を解消したのだ。  ちょっとしたきっかけで、睦月は引っ越しの荷物を運んでいる途中で祐太にその訳ありの事情をすべて話した。  祐太は気味悪がることもなく、黙って睦月の話を聞いてくれた。さりげない気遣いに、恋人と別れささくれ立った心が救われたような気持ちになった。  そして、祐太が睦月の新居から出て行く頃には、睦月はすっかり彼に惹かれてしまっていたのだ。  男と別れて部屋を出たその日に別の男に惹かれるなんて、節操無いのかと自嘲するが、それでも彼に惹かれるこの気持ちを止めることは難しかった。 「いいねえ。試写会か」  徳倉の声に、睦月はハッと我に帰る。  大好物を口にして茶をすする徳倉は、胡散臭さが消えて、まるで飼い慣らされた大型犬のように穏やかにゆるんだ顔をしている。  こういう雰囲気を見ていると、目の前の男と自分の想い人に血の繋がりがあるんだと睦月は内心で納得する。  内面的な雰囲気が、とてもよく似ているのだ。

ともだちにシェアしよう!