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第3話

「何時から?」 「えーと、6時半からシアターAで」 「なら、早く行こう! まだ、間に合うから」 「祐太くん!」  駆け出しそうな祐太を、潮崎が呼び止めようとした。 「潮崎。いいじゃねーか、行かせてやれ」と言って、それを止めたのは徳倉だった。 「ですが、社長」 「せっかくの花金に、仲良く出かけようとしてんだ。邪魔すんな。馬に蹴られるぞ」  徳倉の言葉に、潮崎も渋々ながら納得したようだった。 「はなきん?」 「はなきんって、なに? 要一叔父さん」  きょとんとした顔で振り返った睦月と祐太に、徳倉は思いきり顔をしかめた。 「まさか……お前たち。『花金』の意味がわかんねーとか、言うんじゃないだろうなぁ?」  低く唸るような徳倉の声は、その筋の人も裸足で逃げ出しそうなくらいにドスが効いていた。 「はあ? マジで意味わかんねーから、聞いてんのに」  そんな徳倉に臆することなく、祐太は訳が分からないといった表情になる。  逆に徳倉の声に少しビビっていた睦月が、祐太の背中に隠れつつも、おずおずと訊ねる。 「あの……僕もはなきんの意味がわからないので、教えてほしいんですけど……」  徳倉の眉間のしわがますます深くなり、睦月はあわてて口を噤む。 「おい……」  徳倉が横目で潮崎を見た。 「今どき『花金』なんて、死語でしょう」 と、潮崎は肩をすくめながら切り捨てた。  すると、徳倉は大げさといえるくらいにガックリと肩を落とす。手にしていた豆大福が、無残な形に握りつぶされていた。 「なんだよ? 教えてよ、叔父さん」 「うるせーよ。会社を出るまでは社長と呼べ。バカ祐太」  うなだれたまま、徳倉はしっしと、まるで猫を追い払うような仕草を祐太たちにしてみせた。 「早く帰りやがれ。間に合わねーんだろ?」 「あっ! ホントだ。睦月さん、行こう」 「う、うん……」  祐太が睦月の腕を掴んで、バタバタと事務所の出入口へと向かった。後ろ髪を引かれるような風情の睦月だったが、おとなしく祐太に従った。二人分の足音が、狭いビルの階段に響く。 「なあ」  階段を急いでおりながらも、睦月は祐太に話しかける。 「あ?」  急いでいるのか、祐太がぶっきらぼうに言葉を返す。 「はなきんって、何だろうね?」 「わかんね」 「なんか、金曜日に関係あるのかな?」  たった3階分の階段を下っただけなのに、問いかける睦月の息は軽く上がっている。 「たぶん、そうなんじゃねーの?──って、睦月さん。大丈夫? 駅まで走れる?」 「走れるよっ!」  心配する祐太の言葉に、睦月はむきになって言い返した。しかし、肩を上下させて息も荒く、頬は上気してほんのり赤い。  ──まいったな。  このまま、試写会なんか行かないで、家にお持ち帰りしたくなる自分に、祐太は内心で苦笑する。  そんな祐太の下心をまったくわかっていない年上の元お客さんは「どうしたの」とでも言いたげに、こちらを見上げて小首を傾げている。 「なに?」 「なんでもないっすよ。急ぎましょう」  そう言って、祐太はさりげなく睦月の手を握って、駅までの道のりを走りだした。 「ちょ……っ、大丈夫だってば!」  羞恥でますます真っ赤な顔になって、つないでいた手を外そうと手を引っ込める睦月に、祐太はニッと笑った。 「いいじゃん」  と、さらに手に力を入れる。そして、さらにぐいぐいと睦月を引っ張り駅まで走った。  道行く人たちが、通り過ぎる二人を振り返って見ていたが、祐太は気にしない。  それどころか、見てほしいとさえ思っている。  この美しい人が、自分のものだと見せびらかしたい。  ──といっても、まだ『自分のもの』じゃないんだけどさ。  祐太は、知らなかった。  自分の後ろを、手を引かれながら走っている自分の想い人が、花が咲き誇るような嬉しそうな笑顔を浮かべていることを。 「……なあ」  つい握りつぶしてしまった大好物の悲惨な状態を見て、眉をしかめた徳倉が潮崎に問いかける。 「花金って、死語なのか?」 「さあ……」  徳倉に濡れタオルを手渡した潮崎は、曖昧な返事をする。 「まあ、最近は学校ですら土日休みが当たり前のご時世ですし。金曜日が休日前というのが当たり前なんでしょう」 「わざわざ、花の金曜日っていうほどのことじゃねーってか」  徳倉のセリフに、潮崎は気障ったらしく肩をすくめることで応えた。そういう仕草が、この男にはとても様になっている。 「でも、たしかに『花の金曜日』ではありますよね」  独り言のように、潮崎が呟いた。 「どういうことだ?」 「ほら、会社(うち)には金曜日、必ずやってくるでしょう? とても綺麗な『花』が」  潮崎が妖しげに微笑む。思い当ったらしく、徳倉もニヤリと胡散臭い笑顔を浮かべた。 「確かにな。うちの祐太にはもったいねーけど」 「ほんとうに。あの様子じゃ、キスどころか手すら握ったことないですよ、たぶん」 「手折れるのかねえ。祐太のやつ、遊んでいるようで、意外とその辺は初心(うぶ)だからな」 「心配しているんですか?」  新しくお茶を淹れ直している潮崎に、徳倉はいたずらっ子のように瞳を輝かせる。 「心配? そんなもんしねーよ。純粋に楽しんでんの」  と、しれっと言いのけた。そんな徳倉の言葉に、潮崎はやれやれといった表情になる。  花の金曜日。  略して、はなきん。  祐太と睦月の恋の密かな理解者(!?)であるオヤジ二人は、緑茶をすすって豆大福を頬張りながら、まったりとわずかな就業時間を過ごしていた。  来週は、あの二人をどうやってからかおうかと考えながら。 End. (C)葛城慧瑠 初稿:2006.11.29 改稿:2008.12.23 fujossy版改稿:2019.04.12

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