3 / 3
第3話
「何時から?」
「えーと、6時半からシアターAで」
「なら、早く行こう! まだ、間に合うから」
「祐太くん!」
駆け出しそうな祐太を、潮崎が呼び止めようとした。
「潮崎。いいじゃねーか、行かせてやれ」と言って、それを止めたのは徳倉だった。
「ですが、社長」
「せっかくの花金に、仲良く出かけようとしてんだ。邪魔すんな。馬に蹴られるぞ」
徳倉の言葉に、潮崎も渋々ながら納得したようだった。
「はなきん?」
「はなきんって、なに? 要一叔父さん」
きょとんとした顔で振り返った睦月と祐太に、徳倉は思いきり顔をしかめた。
「まさか……お前たち。『花金』の意味がわかんねーとか、言うんじゃないだろうなぁ?」
低く唸るような徳倉の声は、その筋の人も裸足で逃げ出しそうなくらいにドスが効いていた。
「はあ? マジで意味わかんねーから、聞いてんのに」
そんな徳倉に臆することなく、祐太は訳が分からないといった表情になる。
逆に徳倉の声に少しビビっていた睦月が、祐太の背中に隠れつつも、おずおずと訊ねる。
「あの……僕もはなきんの意味がわからないので、教えてほしいんですけど……」
徳倉の眉間のしわがますます深くなり、睦月はあわてて口を噤む。
「おい……」
徳倉が横目で潮崎を見た。
「今どき『花金』なんて、死語でしょう」
と、潮崎は肩をすくめながら切り捨てた。
すると、徳倉は大げさといえるくらいにガックリと肩を落とす。手にしていた豆大福が、無残な形に握りつぶされていた。
「なんだよ? 教えてよ、叔父さん」
「うるせーよ。会社を出るまでは社長と呼べ。バカ祐太」
うなだれたまま、徳倉はしっしと、まるで猫を追い払うような仕草を祐太たちにしてみせた。
「早く帰りやがれ。間に合わねーんだろ?」
「あっ! ホントだ。睦月さん、行こう」
「う、うん……」
祐太が睦月の腕を掴んで、バタバタと事務所の出入口へと向かった。後ろ髪を引かれるような風情の睦月だったが、おとなしく祐太に従った。二人分の足音が、狭いビルの階段に響く。
「なあ」
階段を急いでおりながらも、睦月は祐太に話しかける。
「あ?」
急いでいるのか、祐太がぶっきらぼうに言葉を返す。
「はなきんって、何だろうね?」
「わかんね」
「なんか、金曜日に関係あるのかな?」
たった3階分の階段を下っただけなのに、問いかける睦月の息は軽く上がっている。
「たぶん、そうなんじゃねーの?──って、睦月さん。大丈夫? 駅まで走れる?」
「走れるよっ!」
心配する祐太の言葉に、睦月はむきになって言い返した。しかし、肩を上下させて息も荒く、頬は上気してほんのり赤い。
──まいったな。
このまま、試写会なんか行かないで、家にお持ち帰りしたくなる自分に、祐太は内心で苦笑する。
そんな祐太の下心をまったくわかっていない年上の元お客さんは「どうしたの」とでも言いたげに、こちらを見上げて小首を傾げている。
「なに?」
「なんでもないっすよ。急ぎましょう」
そう言って、祐太はさりげなく睦月の手を握って、駅までの道のりを走りだした。
「ちょ……っ、大丈夫だってば!」
羞恥でますます真っ赤な顔になって、つないでいた手を外そうと手を引っ込める睦月に、祐太はニッと笑った。
「いいじゃん」
と、さらに手に力を入れる。そして、さらにぐいぐいと睦月を引っ張り駅まで走った。
道行く人たちが、通り過ぎる二人を振り返って見ていたが、祐太は気にしない。
それどころか、見てほしいとさえ思っている。
この美しい人が、自分のものだと見せびらかしたい。
──といっても、まだ『自分のもの』じゃないんだけどさ。
祐太は、知らなかった。
自分の後ろを、手を引かれながら走っている自分の想い人が、花が咲き誇るような嬉しそうな笑顔を浮かべていることを。
「……なあ」
つい握りつぶしてしまった大好物の悲惨な状態を見て、眉をしかめた徳倉が潮崎に問いかける。
「花金って、死語なのか?」
「さあ……」
徳倉に濡れタオルを手渡した潮崎は、曖昧な返事をする。
「まあ、最近は学校ですら土日休みが当たり前のご時世ですし。金曜日が休日前というのが当たり前なんでしょう」
「わざわざ、花の金曜日っていうほどのことじゃねーってか」
徳倉のセリフに、潮崎は気障ったらしく肩をすくめることで応えた。そういう仕草が、この男にはとても様になっている。
「でも、たしかに『花の金曜日』ではありますよね」
独り言のように、潮崎が呟いた。
「どういうことだ?」
「ほら、会社 には金曜日、必ずやってくるでしょう? とても綺麗な『花』が」
潮崎が妖しげに微笑む。思い当ったらしく、徳倉もニヤリと胡散臭い笑顔を浮かべた。
「確かにな。うちの祐太にはもったいねーけど」
「ほんとうに。あの様子じゃ、キスどころか手すら握ったことないですよ、たぶん」
「手折れるのかねえ。祐太のやつ、遊んでいるようで、意外とその辺は初心 だからな」
「心配しているんですか?」
新しくお茶を淹れ直している潮崎に、徳倉はいたずらっ子のように瞳を輝かせる。
「心配? そんなもんしねーよ。純粋に楽しんでんの」
と、しれっと言いのけた。そんな徳倉の言葉に、潮崎はやれやれといった表情になる。
花の金曜日。
略して、はなきん。
祐太と睦月の恋の密かな理解者(!?)であるオヤジ二人は、緑茶をすすって豆大福を頬張りながら、まったりとわずかな就業時間を過ごしていた。
来週は、あの二人をどうやってからかおうかと考えながら。
End.
(C)葛城慧瑠
初稿:2006.11.29
改稿:2008.12.23
fujossy版改稿:2019.04.12
ともだちにシェアしよう!