9 / 9
第9話
僕は、彼の明るい表情と反して、暗い気持ちになった。
一体何だって、惨めな僕に声を掛けてくるの……
僕は寝起きのかすれた声で、なに、と言った。
……それ以外の、上手な口の利き方が分からなかった。
下手に何か言えば、負け犬の妬みとかひがみとかにじみ出てしまいそうだったから。
江田君は、少し心配そうな顔をした。
たぶん、僕の言い方は体調が悪そうに聞こえたんだろう。
ある意味では、僕は体調が悪かったけど、身体の不調とかそんなんじゃない。だから、江田君の心配は、なんだかお門違いな気がした。
「あ……大丈夫? その、熱……あんの?」
伺うように尋ねられても、答えられない。
だって、体温はどうがんばっても平熱だった。保健室に来て、体調が悪いと訴えれば、最初にすることは体温計を脇に挟むことだ。
僕の平熱は36度5分で、測った温度は、詳しくは忘れたけど36度いくつだった。
保健室の先生に教室に戻るよう言われたけど、教室に戻りたくなかった僕はとにかく頭が痛いお腹が痛い胸が痛い吐き気がするめまいがすると訴えて、保健室の先生をちょっと困らせた。
その結果、しばらくベッドで休んでいなさいという妥協案をもぎとったのだった。
……で、僕は、ベッドで寝た。
江田君は答えない僕に、保健室の先生以上に困ったようだった。
困っているのを隠すように、偽物くさい明るい声で言う。
「担任がさ、放課後出張とかでいないから、鞄とか持って行ってやれって。鞄持ってきたんだよ」
鞄を持ってきた?
僕は身体を起こした。
布団に包まれて暖かだった体温がさっと冷える。
ベッドに横になる前に、学ランを脱いでいるから、今の僕はカッターシャツ一枚だ。薄いシャツの布地越しに、肌寒さがじわじわしみこんでくる。
思わず、自分の肩をさすりながら、ベッドの脇のサイドボードに目を向ける。
サイドボードにはたたんだ学ランと、丁寧にフレームを折りたたんだ眼鏡が置いてあった。
僕は眼鏡をとって、掛けた。
改めてクリアになった視界から、江田君を見る。
「……鞄……持ってきたって……?」
「え、……」
江田君が僕を見て、何故だか少し妙な口ごもり方をする。それから、あわてたように、何度もうなずいた。
「う、うん、鞄。持って来た。教室におきっぱだったから。必要だと思ったし。俺も」
「必要……?」
「……え?」
江田君はよくわからないところで聞き返した。
僕も、江田君の聞き返す理由がよくわからなくて、聞き返す。
「え……?」
「……え?」
江田君は僕の目を見て、それからちょっと視線を下に落として、また僕の目を見た。
表情は、少しおかしかった。……笑いがこみ上げてくるとか、そういうおかしいじゃなくて、ぎこちないといった種類の。
「……あ、なんだっけ。鞄だった? ごめん、ぼーっとしてて。……あ、うん、ぼーっとはしてないけど、ほかの事考えてた。……変なこととかじゃないけど」
…………?
江田君、大丈夫なんだろうか……?
怪訝な顔をしたのを受けて、江田君がぎこちなく、あごを仕切りのカーテンの外へ向けた。
「鞄、そこの机の上に置いてあるよ。教科書とか、机にあるもの全部入れて。安心して」
鞄がどこにあるのかっていうのが疑問なんじゃなくて。
江田君の様子が疑問だ。
ううん、違う。……そもそも、なんで江田君が僕の鞄を持ってきてくれたんだ?
僕はこめかみに手のひらを当てた。
寝起きで、今ひとつ、頭がはっきりしない。
「……あの、なんで……、江田君がここにいる、の?」
「え。……あ、あー……それはさ、担任に頼まれてだよ。俺、別に用事とかなかったし、ヒマだし」
担任に頼まれて。
用事とかなかったから。
ヒマだったし。
そっか。
……そうだ。
友達もいない僕は、誰にも保健室に行くっていう伝言もしないで保健室に来たんだ。
友達もいない僕は、見舞いにきてくれるクラスメートなんていない。
江田君も、偶然頼みやすいところにいたとかで、適当に僕の様子を見に行くよう、担任に言付けられたんだろう。運が悪いとしかいいようがない……。
昨日の江田君が言った、好きだからっていう理由なんか、存在してないんだ。
分かってたけど、……分かってたし、……分かってるから、……江田君の口から、「好きだから心配で来た」っていう理由を聞かされなくて、安心した。本当に安心した。
「あのさ……本当、大丈夫? 渡辺、すごく暗い顔して教室出てったから……」
「…………」
それは、単に自分が負け組だって気づいてしょぼくれていただけ。
それなのに、江田君はますます心配そうな顔をした。
「もう少し休んでたほうがいいよ。な。渡辺。休んでて」
「でも……授業、あんまり休むと困るから」
僕はそう言って、ベッドから出ようとした。それを、江田君が止める。
「授業って、……もう放課後だよ。帰りの挨拶済ませたとこ。だから」
「え……? 放課後?」
「うん、そう」
信じられない。
僕はそんなに寝てたのか。
確か……保健室に来たのは、昼休みが終わる頃だったのに。午後の授業を全部さぼってしまった。
ああ、だから……
だから、担任が僕の鞄を持っていくように江田君に頼んだのか。
出張か何かか知らないけど、担任も様子を見に来ない僕って、かわいそうだな。
思わず、長いため息が出た。
「渡辺さ、きっと疲れてたんだよ。今も絶対疲れてるって。だからもう少し、休んだほうがいいよ」
江田君はそういうけど、僕は全然、疲れていない。
それもそうだ。
仮病で、ずっと寝てたんだから。
これ以上寝てるわけにはいかない。小さく頭を振って、ベッドから出ようとすると、江田君が反射的に僕の肩をつかんだ。
ともだちにシェアしよう!