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【記憶の欠片】藍白。

 ※残酷描写がありますので苦手な方は注意してください。  この夏の日が、記憶の奥底に染みこんで消えない。  首元に残されている違和感がその証だとでも言うかのように。  思い出は今も残されている。永遠に――。  王宮の食堂で下働きをしていたケイは、この日もいつものように食材を洗っていた。  ケイはオメガだ。オメガは孕む性だと言われ、主に虐げられる存在だ。黙々と言われた仕事をこなし、その日を終えるだけの毎日だ。  一度手を止め空を見やった。  ああ、今日も暑いな。  大きくため息を吐き出すと、再び手を動かし始めた。  日差しが燦々と照りつける日だった。  この世界には、アルファ、ベータ、オメガという第二性がある。第一性は男女という性だ。  ケイはオメガだった。アルファとオメガの両親の元、誕生した。しかしある日を境に両親はケイのそばから消えた。  戦だ。戦が頻繁に行われるこの国に置いて、民が亡くなることは日常茶飯事だった。例に漏れず参戦していたアルファの父は命を落とした。大黒柱が亡くなったことで生活が苦しくなったオメガの母も、無理を重ねた末に亡くなった。  アルファの父が残した遺産は全て没収された。跡継ぎがアルファであれば相続されるが、オメガであれば没収。  戦は日々国と民を疲弊させている。領地の没収は当然の流れのように行われていた。  残されたケイはひとりで生きるのみ。幸い父の生前の伝で、この王宮に働き口を得ることが出来た。  黙々と手を動かしながらケイは思う。  真面目にこの国のために働き命を落とした父と、その父を支え、自分を育てるために無理をして亡くなった母のことを。  彼らは幸せだったのだろうか。  そして……自分は今――幸せなのだろうかと。  野菜を洗う手が止まった。そのまま盥の中の汚れた水を見つめた。その汚れた水に流れ込む綺麗な水が、その濁りに混ざっていく。 『……』  もう一度大きくため息を吐き出しながら、ケイは仕事を進めた。  食堂の下働きは、そんなに給金はもらえない。僅かな給金では生活の選択肢も限られてくる。限られた選択肢の中で、細々と生きていく。  アルファは光り輝く存在だ。対してオメガは仄暗い存在。  光り輝く存在に見いだされたオメガは、その恩恵をもらうかのように途端に光り輝く場所へと向かう。  しかしケイは、未だ出会っていない。仄暗い住処で息を潜めるような生活を続けていた。辛うじて得たこの仕事も、いつまで続けられるのかわからない。  生前の父の伝でこの場所で働かせて貰っているが、その彼も老齢だ。彼が亡くなればもうここで働ける理由がなくなる。  オメガには発情期がある。アルファの精を求めて悶える一週間だ。度々一週間も欠勤し、更には戦場で働くことも出来ない大半のオメガの行く末など想像に容易いだろう。  しかしオメガはアルファにうなじを噛まれると番になる。それはとても幸福なことだと聞かされていた。オメガは皆、その出会いを夢に見る。  運命の番。  この世には、ただひとりの運命だという自分の番がいるという。出会えば一瞬で本能が感じる相手。  しかしケイには未だに、その出会いは訪れない。  番のいないオメガは惨めだ。ひとりその悶える発情を堪えるのみ。  それでも心のどこかで信じている運命。信じていても信じていなくとも、出会えばわかるだろう運命。  そんなことを、ぼんやりと考えていた。  この日も日差しは暑かった。  とにかく午前の分の与えられた仕事をこなし、終わったことを伝えようと立ち上がったときだった。 『ケイ!』  裏口の扉が開いた。何事かと慌ててケイは立ち上がった。 『憲兵が来てる。お前、何したんだ。すごい剣幕だぞ! あっ』  同じ働き手の彼の言葉を遮るように、憲兵がなだれ込んでくると、そのままケイは捕縛された。 『お前の父の犯した罪により捕縛する』 『……え?』  あまりの突然の出来事に、されるがままに捕らえられる。  父が何をしたというのか――。  それ以上の説明もなく、そのまま連行されていった。  肌を刺すような日差しの午前だった。  何の説明もないままに連行された先は断罪場。公開処刑場だ。 『……』  理由を求めた。しかし答えてはもらえなかった。  父は貴族だった。自分は違う。父の爵位は、ケイがオメガだからという理由で剥奪されているのだから。  しかし父の犯したであろう罪は、今自分に課せられている。  矛盾したこの状況に混乱しながら、そして目の当たりにする現実に戦く。しかし生前の父と母の凜とした姿を思い出し、背筋を正した。 『――』  罪状が明かされるも、どこか遠くのことのように感じられた。自分ではない誰かの現実かなと空を仰いだ。  自分の人生を考える。それは幼き頃の思い出で。  押し倒されながら首を仕掛けに掛けられる。自分の人生は何だったのかと振り返る。僅かに視線を周囲にやると、何故だか一筋の光の道が見えた気がした。その道に視線を進めると、駈け寄って来るひとりの男性が見えた。  あ、運命だ。  そう感じ、消えたくなった。  何故今、この状況で運命と出会うんだろうと消え入りたくなり、瞼を閉じた。  焼け付くような日差しが、ケイの肌を焼いていた。 「……っ!」  勢いよく瞼を開けた。はっはっと息荒く吐き出し呼吸する。何度か繰り返し、気持ちを落ち着かせるように、手の平で目元を擦り押さえた。  夢か。  夢か現実かわからないような生々しい夢。  度々この夢を見る。いつの頃かは忘れたが、決して忘れないようにと刻まれているかのような夢だ。大きく息を吐き出し落ち着かせたところで身を起こした。 「……」  とにかく起きようと、身支度を調える。着替えながら首元に手をやった。  恐らくはこの夢が何かしらの関係があるのかなと思っていたが、啓介は首元が弱かった。  ケイ。  啓介。  その夢で自分はケイと呼ばれていた。そして今の名は啓介。何かの縁があるのだろうと思っていた。  夢の自分と同じ、噛み跡のないうなじに手をやり撫でる。はあ……とため息を吐き出しながら着替えを進めた。  今日は入社式だ。大学を卒業し、今日から勤めに出る。真新しいスーツに身を包み、朝食もそこそこに家を出た。  自分には分不相応なまでに大きな会社だ。ここが今日から啓介の職場になる。一度大きく深呼吸し、止めていた足を進めた。  両親はあの夢のように、早世していた。残された貯金を崩し、バイトをしながら大学を卒業した。  オメガだから――。  そう言われないよう必死に生きてきた。運命なんてものは信じていない。あの夢の彼は運命を信じ、恐らくあのまま亡くなったのだろうと思う。その彼は恐らくは自分だろうとも考える。  人を信じたからこその惨めな結果だ。それならば自分で切り開く。  そう思いながら今まで生きてきた。しかしその反動は啓介の心に歪みを生んでいた。  入社式という広い会場で、段々空気が薄くなるのを感じていた。大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせながらその場を過ごす。  正直話の内容は全く頭に残っていなかった。ただこの時間が早く過ぎるように祈っていた。 「はっ……はっ……」  会場から出ると、人混みを避けるよう狭い廊下に向かった。どこをどう歩いているのかわからないが、とにかく人混みから抜け出したかった。  あの瞬間、周囲にはたくさんの人たちがいて囲まれていた。何の色も感じられない彼らの瞳が、記憶の片隅に植え付けられている。それを必死に振りほどきながら生きてきた。その心は疲弊しながらも。 「はっ……はっ……大、丈夫、大丈夫」  自分にそう言い聞かせた。  どのくらいの時間が経過したのか。ようやく息が整い立ち上がった。その時光の道が、その狭い廊下に見え目を見開いた。  この光景には見覚えがある。  それは思い出したくもない光景で。この光景が彼を絶望に陥れた。そのときのような光の道が見えている。その先は見たくないが、どうしても視線が進んでしまう。 「君は」  啓介は思わず目を瞑った。  逃げ出したいと思った。その人があまりにもあの夢の彼に似ていたから。夢の中では、その状況に慌てたように彼が駈け寄っていたと感じたが、真実はわからない。  そこから先の夢は見たこともないのだから。  そこから先の夢はないのだと思っていたから。  でも現実はその先が用意されていたかのように進んでいく。ガンガンと頭の中で警鐘が鳴る。これはよくないことだと、脳内で警鐘が鳴り続けている。  同時にどんどん彼の姿が近づき動けない。逃げたいのに逃げられず、足下を地面に縫い付けられたかのように動けない。 「!」  抱きしめられると体中の力が抜けていく。蕩ける匂いに、このまま身を任せたくなってしまう。そんな啓介の耳に、熱い吐息と共に彼の声が流れ込んでくる。 「君だ。俺の運命」  その瞬間、思い切り彼の胸を押した。しかしびくともせず慌てる。 「離れ、てっ」 「何故?」 「ダメだ」 「何故?」  目を瞑り頭を振りながら、震える手で鼻と口元を押さえる。これ以上この魅惑的な匂いが、自分の中に入らないように必死に押さえた。それでもそんなことは関係ないかのように、頭の芯が蕩けていく。  運命なんて――!  きっと『ケイ』は、運命を信じた。しかし何も報われなかったと思う。  そして今の自分は、その影に怯えている。 「離れ、て」  だから離れなくてはと思った。運命なんて信じてないのだから。でもこの惹きつけられる本能に抗えない。 「おいで」 「はっ、あっ」  耳元に彼の声が響いている。目を瞑り、熱い呼気を吐き出した。吸った空気に彼の匂いが混ざりくらくらする。 「君の名前は?」 「……っ、はぁ……あっ」  ちらりと胸元の社員証を見ると、彼は表情を緩ませた。 「啓介。俺は宗弥、おいで」 「はっ……あっ……」  ガンガンと警鐘が鳴る。  ダメだ、この先は――知りたくない。  運命なんて信じていない。信じたいとも思わない。信じて叶わなかった夢が、決して脳内を離れない。  それは小さな欠片が集まり、脳内の奥深くに形を成して居座っているようで。 「啓介、俺の番」  番。  オメガはアルファにうなじを噛まれると番になる。それは本能が求め合うことで。  朦朧とする意識の中、抱き上げられ運ばれる。その震動でさえも昂ぶってきて止まらない。下肢の屹立は勃ち上がり、後孔からはしとしととオメガ特有の粘液が滲んでいる。その状態にも気付かぬままに、ソファーに横たえられた。覆い被さるように抱きしめられ口づけられ困惑する。しかし本能が歓喜していて止まらない。 「ん……ん」  気付かぬままに、宗弥の背に腕を回した。僅かに開いた啓介の唇を割って、宗弥の舌が啓介のそれに絡めてくる。水音が耳に響き、後孔が疼いてくる。 「ん……ふっ……」  真新しいスーツは剥がれ、剥き出しになった小さな胸の尖りを摘ままれる。 「んんっ」  ビクンと大きくその体が跳ねる。ふっと息の漏れる空気を感じた。  番の喜びは番の喜び、番の悲しみは番の悲しみとでも言うかのように、宗弥の温かな空気を感じ困惑する。  違う、俺は……違う。  俺は運命なんて――! 「んんん――」  もう一方で性器を弄られ身を丸くする。しかし宗弥の逞しい体が阻み出来ない。はっはっと熱い呼気を漏らしながら震える。 「啓介」 「あっ! あ、あ――」  耳元に宗弥の声が響き、白濁が飛んだ。 「んあ……はっ……あ……」  オメガとしてうなじを守るためのネックガードを外されると、ぶるりと身震いした。  うなじに熱い呼気を感じたかと思うと、ベロリと舐められる。そして口づけ。 「番に」 「や、めて」 「何故?」 「お、れは、運命、なんて」 「何故?」 「運命なんて、ひあっ」  身を包んでいた真新しいスーツの面影はなく、素肌に感じる宗弥のスーツ。後孔に指を這わされ挿入されると、びくびくと啓介の裸体が震えた。  啓介の思いと裏腹に、悶える快感に困惑した。  何だこれ、この感覚は……発情抑制剤は飲んでいるのに、何故こんなにも……。  自分自身がわからない。でも歓喜していることに気づくと、啓介は戦いた。しかし宗弥の背に回した腕が離れない。 「綺麗だ」 「ひっ、や、めてっ」  態度とは裏腹な言葉が吐き出されるも、その背に回された腕には、離れたくない気持ちが込められる。見越しているかのように、宗弥の手が蠢く。後孔には愛液が溢れ、それを絡めるように宗弥の長い指が挿入される。 「んふっ、う、あっ」 「……」  無言で額に口づけられると、歓喜する本能に意識を奪われる。ゆっくりと進んでいく宗弥の指から与えられる刺激に身震いした。 「……挿入れるぞ」 「んあっ、待っ、待っ、てっ」 「どうして?」 「いっ、あ、あ、あ――」  ぐぐっとした圧迫感を感じたかと思うと、内壁を擦る感覚に背がしなる。ゆっくり挿入され、啓介の息が止まる。 「――……っ、ん、あっ……ぁ」 「覚えてる?」  その声が、あの時の夢の最後に見た彼と重なって耳に届く。  え?  瞑っていた目を開けると、優しげな眼差しが自分を見つめていることに気付いた。その表情が、夢の彼とリンクする。  そんなはずはない、けど……けど。  あの最後のシーンがタブって見える。  優しげな眼差しが自分を捕らえて目を離せない。でもその表情に、夢の最後のシーンが重なって苦しい。  もし彼が、あの夢の彼がこの宗弥であれば――そう思うと苦しい。惨めな最後を遂げたであろう自分を知っているのかと、ありもしないだろう過去に混乱する。 「あっ……はっ……あっ」 「どうした?」  苦しげに眉をひそめた啓介を案じ、宗弥が頭を抱えるように抱きしめる。一層の宗弥の匂いに包まれ、もっと苦しい。頭を振り、それを伝えようとするも伝わらず、もっともっと苦しい。  断罪場で、公衆の面前で公開処刑をされそうになったケイが、自分の過去だと思わせるようで苦しい。逃げを打つように身をよじるが、それを阻むように一層抱き込まれるから苦しいが終わらない。 「あっ……はっ……も、やめ……んあっ」 「好きだ」 「やめっ、はっ、あっ、あ、あ、あ」 「番になりたい」 「やめ、てっ」  必死に伝えるが伝わらない。互いに思いを伝えるも届かない。  苦しい。  息も薄く感じられ、脳内が白んでくる。  ケイが自分のようで。そしてそのケイと目が合っていた彼が宗弥と重なって。惨めに散っただろう自分を知られていると思ってしまって――。  拒絶の言葉とは裏腹に求めてしまう熱い質量。内壁を穿たれ擦られ、気持ちがいいの感覚に支配されていく。 「啓介」  愛おしいものを呼ぶような声音に泣きたくなる。 「んんん――!」 「噛むよ?」  腰が浮き、啓介の性器から白濁が飛んだ。その瞬間、内壁を擦っている熱い質量が最奥で止まった。熱い飛沫を感じ、そしてうなじに熱い吐息がかかり戦く。 「やっ、あ、あ、あ――……っ」 「……」  うなじに熱い吐息がかかり、そして唇が触れた。 「――!」 「……今は……」  懇願するような、でも堪えるような声音に、啓介の胸が軋んだ。  なんで、なんでそんな、悲しそうな――?  わからない。  あの時の自分を、宗弥は知るはずはないだろうと思う。そして自分という存在を、どうしてそこまで求めるのかわからない。  どくどくと注ぎ込まれる飛沫に身震いした。 「んんっ」  四肢を投げ出しながら、啓介は息荒く宗弥を見つめた。 「好きだ、ずっとずっと――」  その最後の声が聞こえないままに、啓介の意識は夢の中へと引き込まれていった。  どこだ、ここは。  ああ、あの夢の中か。  どうして俺はこの夢を見るのだろうか。  この夢は、俺の過去なのだろうか。  そして……宗弥は、あの時の彼なのだろうか。  知っている?  宗弥は……俺を知っている?  夢を知るはずはない。  でも……そうだとすれば……惨めだ。  あの惨めな最後を知られているのが運命の番なのだとすれば、なんて残酷な現実なのだろうかと思った。こんな記憶は知りたくはなかった。何故自分は、そして宗弥は、この過去を知っているのだろうかと困惑した。  夢の最後のシーンが脳内に再生される。断罪場で、熱い日差しを浴びながら見た最後の光景を。 『――!』  目が合った運命だろう彼の口元が動いた。何かを叫んでいるがわからない。  なんて言ってる?  それを知ったところで、俺の夢か過去かは変わらないだろうけれど。  その過去の様な夢に縛られ苦しみ、今ケイは啓介としてここで生きている。あの公衆の面前で処刑されたであろう姿に苦しみながら生きている。  そこに現れた運命だろう宗弥。そこに何の意味があるか、啓介にはわからない。  彼の動く口元を見つめるケイとしての自分の口元が動いた気がした。 『――』  え?  その瞬間、熱い日差しが暖かな温もりに変わった気がした。そのまま意識が空に引き上げられる。  待って!  待って!  なんて言ってる?  わからない、知りたい。  彼は、自分は、なんて言った? 「啓介? ああ、よかった」 「……え? あ……」  突如視界に飛び込んできた宗弥の顔に困惑する。どちらが本当の自分なのか、暫し混乱する。でも抱きしめられた瞬間、今この時が現実なのだと、啓介に思わせる。 「意識が飛んでいたから心配した」 「え……?」 「これからは――……」 「……え?」  それは偶然か必然か。  定められたかなような運命の縛りの前では抗っても赤子のようなもの。  半ばそう諦観しながらも、啓介は宗弥に惹かれている自分の思いにも気付いた。抱き上げられ背に回された温もりが熱い。ふうっと長く息を吐き出しながら、啓介は腕を動かした。その腕を宗弥の首に回す。  この夢か過去かわからないものに縛られ、そして運命に縛られ。  それでもこの出会いに意味があるのか。  ……見定めてやるよ。  誰にともなく心に思った。あの夢か過去かわからない熱さを心に思い出しながら――。 《後日談》 「……どういう、こと?」 「覚えてるかな」  優しげなその表情が、知らずのうちに啓介の心の強ばりを解いていくようで。 「俺は覚えているよ。啓介は忘れてしまったかな」  苦笑するその表情が温かくって。 「覚えて……まさか……知って……?」 「どのくらい前のことなのかな。運命ってすごいね。もう一度出会えた。あれからどう過ごしたのか、覚えてるかな」  愛おしげに抱き上げられ、宗弥の膝に座った。額に唇を落とされ温もりを感じる。  それは入社式から一週間後の出来事だった。  一週間の発情期を共に過ごした啓介と宗弥は、今日から一緒に出勤することになった。住処は別だ。まだ啓介が、宗弥と一緒に住むことに納得出来なかった。  啓介の住むアパートに宗弥が迎えに行く。そのことにも納得は出来なかったが、柔い笑みで、しかし頑ななまでに迎えに行くという選択肢以外を言わない宗弥に、啓介が根負けした結果だ。 「おはよう、行こうか」 「……おはよう」  挨拶を交わしアパートの扉から歩き出す。駐車場から見える高級車が視界に入り、啓介は、まさかと眉間にしわを寄せた。 「乗って」 「高級車かよ」 「ん?」 「……はあ……まあいいか」  柔らかい笑みには何も言い返せず、とりあえずという体で車に乗り込んだ。シートベルトを締め、ほっと息を吐くと無意識にうなじに手をやった。  噛まなかったな、宗弥。  オメガの意思なんてアルファには無意味だろうに。  そう思いながら噛み跡のないうなじに触れた。  初めて交わったのは、啓介が蹲っていた扉の向こう側。そこが宗弥の仕事部屋だった。宗弥はこの会社の跡取り息子だ。次期社長職になる。  その事実を知ったのは、交わったあの日。頑ななまでに番になることを拒絶した啓介に、いつもの柔い笑みを浮かべたまま、宗弥は待つと言った。 「……」  走り出した車の助手席からそっと宗弥の横顔を盗み見る。綺麗な顔だなと純粋に思った。  あの夢か過去かわからない、一瞬だけ目が合った彼の顔がリンクする。 「……痛っ」  ズキンと痛み、啓介はこめかみを手の平で押さえた。 「どうした? 大丈夫か」 「ああ、少し頭痛が、痛っ」  あの彼の顔を思い出し、その先を考えるときにはいつもこうだ。頭痛がする。まるで、この先を思い出したくないと脳内のどこかがストップをかけるように。 「休むか?」 「ん、大丈夫、少し休めば治まる」 「そうか……」  その先の思考に蓋をして、啓介はシートに寄りかかり目を閉じた。その姿を信号待ちの宗弥は一瞥した。 「会社までまだ時間はあるから、少し眠って」 「ん……そうする」  漆黒のさらりとした啓介の髪を撫で、宗弥は思う。あの頃と変わらぬ姿に、そして彼自身に笑みが浮かぶ。  すうすうと寝息の聞こえ始めた啓介を思う。きっと覚えてはいないだろうと。 「あの時はね」  そして潜めた声で眠る啓介に伝える。恐らくは啓介自身はわからないだろう、あの夢のような過去の続きを。  断罪場で見たケイの姿に、慌てて駈け寄ったソウヤ。ケイの父親と親交のあったソウヤの祖父は、あの事態を知るとすぐにソウヤを向かわせた。その時出会った運命だった。  慌てて駈け寄り中断させ、ケイの命は助かった。しかし心を閉ざしてしまったケイには、ソウヤの存在がわからなかった。そのままに過ごし亡くなった。  その過去を宗弥は知っている。そして覚えている。  それはまるで記憶の欠片をつなぎ合わせるように――。 「あの時とは違うから」  噛み跡のないうなじをスルリと撫でる。 「ん……」 「ふっ」  あの頃とは違うから。だから――。  そんな思いを込めて、もう一度うなじに触れた。  あの時は出来なかった番になる行為を、今度はきっと叶えたい。それは螺旋のように続いている宗弥の思い。そしてきっと啓介の――。 「愛してるよ。ずっと」  柔い笑みを浮かべながら宗弥は、信号の変わった道でアクセルを踏んだ。  END  ーーーーーーーーーーー 後書き 大変緊張しています。絵の世界感を壊していないかなとドキドキしていますが、楽しんで頂ければ幸いです。 この度は、夏のアンソロ企画に参加させて頂きまして、ありがとうございます。 藍白。

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