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最終話
※
「ありがとうございました」
俺は訪ねた店の店主に頭を下げた。
「ここにもいない、か」
俺は小さなリングノートに書いたメモに線を引いて消した。
あの後、俺は気がついたら警察に保護され、見知らぬ警察署で、最近顔を見ていなかった母親と再会した。母親は泣き腫らした顔で見知らぬ人のようだった。
少年課の刑事から聞いた話によると、あの撮影場所はラブホテルだったらしく、犬塚は現場にいた大人を撮影機材で殴りつけ、フロントに電話を架けて助けを求めたらしい。ラブホテルの従業員がすぐに警察に通報し、事件が発覚したのだそうだ。
図書館で読んだ雑誌で、犬塚は『悲劇の少年A』と名前を変えて報道されていた。親の借金のせいということもあり、犬塚についてはほとんど報道されず、その父親と暴力団関係の報道がほとんどだった。
俺は簡単な取り調べを受けた後、親に連れられ地元を引っ越し、名前を輝から忠志に変えられた。
平凡な高校に編入し、平凡な短大を卒業して、小さな出版社に就職。半分以上は嘘の記事ばかり書いているような雑誌を売りにしているような出版社だ。この出版社の出していたその雑誌だけが唯一、悲劇の少年A……犬塚のことを詳しく記事にしたところで、当時はかなり批判されていた出版社だ。
就職を機に実家も出た。それまでは過保護になった親が四六時中そばにいて、犬塚のことを調べることも口にすることもできなかった。
この下世話な出版社に就職したのは、もちろん犬塚を探すためだ。
気がつけば4年経っていた。あれから犬塚の行方は分からないままだ。犬塚も、名前を変えたのだろうか。
ポケットからタバコを一本取り出す。口に銜えてライターで火を点けようとするがバチバチと小さく火花が散るだけで火が点かない。ガス切れらしい。
銜えていたタバコを戻してライターが売っているところを探す。ちょうどいいところにあったコンビニに入り100円ライターとアイスコーヒーを買う。
目当てのものを手に持ち、レジに並んでいると子ども連れの男が入店してきた。
「アイスのねー、白いのがいい!」
「買ってやったこと黙っとけよ」
最近暑くなったからか、アイスは売れるだろう。そう思っていた時だった。子どもの声のあとに続いた声に俺は固まる。
忘れられない、あの声だ。
声の方を見ると、探していた犬塚が子どもと手を繋いでそこにいた。犬塚も俺に気がついたようで、入口から動かない。
「ねーアイスはー?」
「あ、ああ」
すれ違う瞬間、俺は犬塚の腕を取った。
「犬塚」
「……よお」
いつかの時と一緒で犬塚が振り返り俺の顔を見る。
「犬塚、久しぶり。幸せそうで、よかった」
今度は顔を見て言えた。そのまま手を離し店員に商品を渡す。
遠くで子どもの声が聞こえる。あの女の子は犬塚の子どもだろうか。
会計を済ませて、コンビニのコーヒーメーカーに氷の入ったカップをセットする。
早く立ち去りたい時にがぎって、時間がかかる気がする。出来上がったアイスコーヒーにガムシロップを入れる。
「やっぱ、ガムシロ入れるんだ」
振り返ると犬塚が側にいた。犬塚も氷の入ったカップを持っている。
コンビニの近所の公園で、俺と犬塚と子どもの三人並んで買ったものを飲み食いする。
「犬塚、あの時はありがとう。俺が助けるとか言いながら、結局お前に助けられたんだよな」
「いや、別にいいよ。今さ、何してんの?」
「としろ出版ってとこで、記者っぽいことやってる」
「へぇ、すげーじゃん」
会話が止まる。聞きたいことはたくさんあるのに、声が出ない。今何してるとか、その子どものこととか、結婚したのかとか。
俺だけがずっと、思い出の中にいたのだろうか。俺だけが、犬塚を探していたのだろうか。犬塚は、もう俺のことなんか忘れていたのだろうか。
ふと犬塚の横でアイスを食べる子どもを見ると、溶けたバニラアイスが手や服を汚していた。
「お、おい、子ども大丈夫か? めっちゃアイス溢してるぞ」
「ゲッ! おいユキちゃん、溢したらアイス買ったのおばさんにバレちゃうじゃん!」
俺はカバンの中に入っていたポケットティッシュで子ども……ユキちゃんの手や服を拭いてやる。
大人しく俺に拭われるユキちゃんは、じっと俺を見ている。
「ねぇおじさんが、くろさき?」
「え?」
「遼太くんがねー、いっつも、くろさきって人の話をするの。すっごい優しくて大好きな人なんだって! でも、もう会えないって言ってたの」
「おい、ユキちゃん……」
犬塚が困ったようにユキちゃんを呼ぶ。
「うんユキちゃん、俺が黒崎だよ。ほかに遼太くんは何か言ってた?」
「また会いたいって! 会えてよかったね、遼太くん!」
ユキちゃんがニコニコしながら犬塚を見る。
「犬塚さ、結婚したの?」
「ち、違う! この子は俺が鑑別所出た時からお世話になってる保護司さんとこの子どもで、妹みたいな、感じだよ」
ユキちゃんの話し方から、何となく違うと察していたけど、本人の口からちゃんと聞けて安心した。
「犬塚、俺、ずっと犬塚のこと、探してたんだ」
「俺も、会いたかった。でも、会ったら黒崎に迷惑かけるんじゃないかって思って……ずっと、会いたかった」
とたん、鼻の奥がツンと痛む。犬塚も同じだったようで、男ふたりで抱き合って泣いた。子どもが見ているだとか、ここが外だとか、どうでもよかった。
ただ、もう絶対に犬塚を離さないようにしようと、犬塚を大切に抱き締めた。
◆ 了 ◆
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