1 / 5

第1話

 軒先に吊るした風鈴が涼しげな音を鳴らす。  水を入れたバケツに足を突っ込んだ佐和紀(さわき)は、団扇を使う手を止めた。隣に座っている三井(みつい)も、週刊誌の袋とじを破く途中で動きを止めた。視線が合う。 「なんだよ」  上目遣いで睨んでくる三井を鼻で笑って、団扇を動かしながら灰皿を引き寄せた。 「べつにー。高校生かよ、と思っただけ」  しかも袋とじの内容は『隣のOLさん、禁断エロショット』だ。丁重に扱うべきだとはとても思えない。そっけなく視線をそらして日差しに目を細めた。軒先の緑の葉に、夏の太陽光が反射している。  灰皿からまだ吸えそうな一本を拾ってくちびるに挟むと、構えたライターを押しのけられた。 「だから、言ってんだろ。シケモクを吸うな」 「うるっさいな。まだ吸えるんだからいいだろ。おまえこそ、だいたい、そんなどうでもいいエロ写真をキレイに開いてどうなるんだよ」 「それこそ俺の勝手だ」  くちびるから短いタバコをもぎ取られる。三井は縁側に置いたタバコの箱を引き寄せた。 「あるだろ、ここに」 「いや、吸えるから」 「貧乏くさいこと、するなって言ってんだよ。若頭補佐の嫁なんだから、新しいの吸えよ」  抜き出した一本を突きつけられて、息を吐きながら指で摘まみ取る。 「ここに慣れたのはいいんだけど。あんたさ、生活感が出すぎなんだよ。暑いなら、クーラーつけろよ。っていうか、扇風機も買っただろ!」  勢いよくまくしたてられ、三井が向けてきたライターの火をもらった佐和紀は両手で耳をふさぐ。クーラーとは無縁の暮らしを続けてきたせいか、うだるような暑さでもそれなりに生活ができる。 「この離れは風通しいいから。今日なんか、扇風機もいらないだろ」  組長と佐和紀しかいない『こおろぎ組』を存続させるため、大滝(おおたき)組若頭補佐・岩下(いわした)周平(しゅうへい)の事実上の妻になってから五ヶ月。身に染みついた癖はそうそう直らない。 「おまえだって、なんだかんだ言って付き合ってんだろうが」  バミューダパンツにタンクトップを着た三井を横目で睨むと、 「仕事なんだよ、仕事」   軽い口調で言いながらタバコに火をつける。  佐和紀の世話役にと、周平が選んだ舎弟は三人。最年長で落ち着きのある岡村(おかむら)慎一郎(しんいちろう)と、頭の回転が速い石垣(いしがき)保(たもつ)。それから、かつて佐和紀が乱闘中に前歯を折った三井敬志(たかし)だ。  三人とも組の仕事と兼任だから、時間の作りやすい石垣と三井が両脇を固め、周平の用事で忙しい岡村はときどき様子を見に来る。亭主に漏らせない不満を抱えていないか、探らせているのは当の本人だろう。そつのない気遣いを表に見せないのが周平だった。 「タカシ。アイス、買ってきて」  タバコをふかしながら、剥き出しになった白い脚でバケツの水を跳ね上げる。 「はぁ? イヤだっつうの」  兄貴分の嫁になった佐和紀に対して、いまだに敬語を使う気のない三井が、膝の上に頬杖をついてそっぽを向いた。佐和紀は肩を揺すって笑う。  灰皿にタバコを休ませ、ゆるく着付けた浴衣の合わせの中に団扇で風を送る。  大滝組に嫁入りしてから和服で過ごしているのは、佐和紀の私服のセンスが壊滅的に悪いからだ。親分の松浦(まつうら)に心配され、結納金で和服を揃えた頃はまだ凍えるように寒かった。 「もうちょっと、マシに着れないのかよ。夜はまともに着てるだろ」  三井のつぶやきが耳に届く。 「真っ昼間からキチキチに着れるか? ごく普通だろ。夏祭りの大学生よりはマシだ」 「おまえと、そのあたりの大学生を一緒にするな」  がっくりと肩を落とした。 「言えば?」  佐和紀はニヤニヤ笑いながら眼鏡のズレを直し、三井の肩を団扇でつつく。 「浴衣姿の俺で欲情しそうなんだろ?」  鏡に映った母親似の目元を懐かしく思うことがあっても、同性の気持ちを乱すほど特別だとは思わない。でも、第三者からの反応は何かと大騒ぎだ。普段から和服を着るようになってなおさらに拍車がかかっている。 「したら、なんだよ」  三井がキッと睨んできた。開き直りきれていない目が泳いでいる。 「アイス、買ってきて」  佐和紀は目を細めた。 「イヤだって言ってるだろ。暑いんだよ。コンビニまで十分あるし」  「俺だってさ。おまえが久しぶりの私服をダメにしなければ、この夏は洋服にしたのに」 「嘘つけ。あんなの私服にすんなよ。蛍光色の迷彩な! ありえないから!」  暇つぶしに行くパチスロでタバコの匂いがついてもいいようにと買った洋服だ。  選んだ瞬間から三井は無表情になっていたが、服の趣味をとやかく言われたくなくて無視した。その一週間後、缶コーヒーをぶっかけられた。わざとじゃないと口先では謝られたが、周平の評判を守るためなら、なんだってするのが三井たちだ。嘘に決まっている。 「氷でも舐めるかな」  足先で水を撒きながら言うと、三井が笑い転げた。 「どうにもなんねぇな! 小学生レベルだろ。ったく、情けない」 「おまえに言われると、イラッとするなぁ」  煙を吐き出して、佐和紀は言葉ほども苛立っていない顔を歪めた。  可も不可もない、妙にのんびりとした昼下がりだ。

ともだちにシェアしよう!