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第25話

 日が暮れるのがすっかり早くなった。  グラウンドに照明施設がないうちの学校の、冬場の運動部の活動時間が、ぐっと減少する。  俺たち野球部も例に漏れず、ボールが見えなくなったらグラウンドから引き上げ、部室棟の明かりの近くでストレッチなどするくらい。  帰宅が早い。  一人でぽつぽつと田んぼのわきの道を歩く。  ポケットに両手を突っ込んだが、ぶるりと身震いする。 「寒い……」  寒さをわけあえるヤツがいれば、少しは暖かくなるのかな。  俺は足を止め、星を見上げた。 「ますたー!! なんでそんなにのんびりしてるんですかあ!!」 「昼休みだからだが?」  弁当を食べ終わり、昼寝をしようとうつ伏せた俺の腕を金子が揺さぶる。 「そうじゃなくて!!」  大声を出し、ハッとしたように辺りを見回し、俺の耳に口を寄せて話す。 「なんか、ますたーと私、夫婦扱いじゃないですかあ。これじゃ誤解されちゃいますよ」 「誤解って、だれが?」 「決まってるじゃないですかあ! 拓斗ちゃましかいないです!」 「なあ、前から思っていたんだが、その『ちゃま』ってなんだよ」  金子はなにやら、わあわあ喋っているが、俺は聞いていなかった。  誤解。  俺は、もう二週間、拓斗と顔を会わせていなかった。  変な感じだ。  産まれてからこれまであいつの顔を、こんなに長い期間、見ないことなどなかった。  なんだか、へんな感じがする。  なにかとても大事なことを忘れているような。  なにかとても大切な物を取上げられたような。 「噂があるんですよ」  金子が俺の腕に両手をかけ、顔をぐっと近づける。 「噂?」 「拓斗ちゃまが、同じクラスの女子と付き合ってるって」 「ふうん」  金子が急に立ち上がる。歯を食いしばり俺を見下ろす。 「ふうん、て!! ますたーはそれでいいんですか!?」 「いいんじゃないか。ヤツが好きなようにするだけだろ。俺が口を挟む問題じゃない」  金子はぶるぶるとこぶしを震わせると 「見損ないました!」  叫んで教室を飛び出した。 「おい、いいのか、後を追わなくて」  橋詰が心配そうな顔で聞く。俺は肩をすくめる。 「好きにさせればいいさ。」  そうだ、みんな好きにすればいいんだ。  俺もしたいようにしているだけだ。  金子や周りのヤツに何を言われる義理もない。  暗くなった道を、ポケットに両手を突っ込んで歩く。  ため息が白く空に上っていく。  見上げれば寒々しい星空。 「ますたー!! いい加減にしてください!」  金子は俺の机を両手でバンっと叩く。 「何がだよ」 「もう今日で三週間ですよ!!」 「何がだよ」 「しらばっくれないでください!!」 「どうでもいいけど、お前、声大きいよ」 「声がどうした! そんなもん、この際、どうでもいい!」  クラス中から視線が集まる。 「三週間!! おあずけ食らって、私はもう我慢の限界です!! 今すぐイチャイチャしてください!」  周りから冷やかしの声があがる。  俺はそれらを聞き流しつつ、金子に言う。 「誰と?」 「た……!!」  金子はぐっと言葉を飲むと、自分の席にもどり、乱暴に座った。  金子と俺のカップルは破滅の危機を迎えている。  そう噂されているらしい。それはあながち間違いとは言えない。  金子とは、ここ三日、口をきいていない。  毎日、鬱陶しいくらいに付きまとっていたのに、きれいさっぱり俺を無視している。  好きにすればいい。  みんな好きにすればいいんだ。  俺も……。  両手をポケットに突っ込んで、息を吐く。黒い空に、息は白く細く溶けていく。 「ますたー!! 行きますよ!!」  夕陽がまぶしい教室で、金子が呼ばわる。 「行くって、どこへだよ」 「屋上です!!」  有無を言わさず、俺の腕を取るとぐいぐいと引っ張る。 「おい、今から部活なんだけど」 「知りませんよ!! 黙ってついて来てください!」  俺は抵抗するのも馬鹿らしく、ただ、連行されていった。 「た……。宮城君!!」  金子の声に拓斗が振り返る。冷ややかな眼。俺の知らない視線。 「ますたー!! 宮城君と話してください!!」 「なにを?」 「意地張ってる場合じゃないです!! ほら、早く!!」  金子は俺の背中を思いきり押すと、屋上の扉を閉めた。 「なんの用?」 「……べつに」  久しぶりに見る拓斗は、まったく知らない人のようだ。俺は胸に爪を立てられたような痛みを感じる。 「……用がないなら、放っておいてくれる?」  吐き捨てるように言うと、拓斗は望遠鏡を組み立て始めた。  俺はその背中を見ているとたまらなくなって、大声で呼び掛けた。 「なあ!」  拓斗は答えない。冷たい風が吹き付けてきて、俺の耳は引きちぎられそうに痛んだ。 「なあ……、拓斗……」  拓斗がやっと振り返ってくれる。けれどその目は冷やかなままだ。 「……」  俺は言葉を探して視線をさ迷わせた。拓斗がゆっくりと口を開く。 「もう一度言うけど、用がないなら、放っておいて」 「用は……。用はある」  拓斗は黙って俺を見ている。その目は冷たいけれど、でも確かに俺を見ている。 「ごめん、拓斗」 「なにが?」  なにが……、だろう。  俺はずっと拓斗に謝らなくちゃと思っていて。  謝りさえすれば拓斗はゆるしてくれると思っていて。  でもそれはちがうということも知っていて……。 「ごめん……」 「謝らないでよ!!」  俺は弾かれたように顔を上げた。拓斗は顔を歪め、今にも泣きそうだった。 「謝らないで……。僕はもうゆるしてあげられない」 「なんで……」 「君が僕のそばから離れていくのに耐えられないんだ」 「金子のことはちがうんだ!!」 「それだけじゃないよ!」  拓斗の目から、涙がこぼれた。 「いつか君は僕のそばから離れていく。誰か他の人のものになる。僕たちは、いつまでも今のままじゃいられない……」 「そんな、そんなことない……」 「今だって僕らはこんなに遠い。僕らは一生、結ばれることはないんだ。だったら、今いっそ……」  モザイクのくまに守られた小さなリング。俺はそれを苦い気持ちで思い出す。 「拓斗……。俺はずっと昔から、変わらないんだ」  拓斗はぽろぽろと涙を流しながら、じっと俺を見つめる。 「俺は小さい頃からいつもお前がそばにいてくれたから、それが普通だと思っていたんだ。お前の気持ちを知ってからも、それは変わらないと思ってた」  俺は拓斗に歩み寄ると手を伸ばし、拓斗の頬を伝う涙を拭いた。 「でも、おれたちは変わっていたんだな。気づいていなかったんだ。ごめんな」 「あ、あやまらないでよ……」 「うん。謝るのはやめだ」  俺は思いきり息を吸って、ぴたりと止める。腹の奥から、言葉を絞り出す。 「拓斗、お前が好きだ」 「うそ……」  拓斗が茫然と言う。 「うそじゃない」 「いつから?」 「きっと、産まれたときから」  拓斗は顔をくしゃくしゃにして、俺に抱きついた。 「春樹、春樹、君が好きだ」  俺は拓斗の頭を抱く。 「ずっと好きだったんだ、春樹」 「うん。俺もだ」 「春樹の名前を呼ぶたび、辛くなった。僕は春樹を独り占めできないと知ったから、名前を呼ばなくなった」 「うん」 「でも……でも、いいのかな。春樹は僕のものだと思っていいのかな」 「俺はお前のものだよ、拓斗」  拓斗の頬をそっと撫でる。  顎に手をかけ、キスをする。  拓斗に抱き締められる。  俺も抱き締めかえす。  俺たちは、一つになるために産まれてきたのかもしれない。  そのまま、唇をあわせたまま、抱き合っていた。  白く漏れる息は拓斗の口に吸い込まれる。  拓斗が吐く息は俺の口に吸い取る。  ああ、なんて暖かい。  二人でいるだけでいいんだ。  俺たちは、暖めあうことができる。  寒い夜も。  雨の朝も。  唇を離し、そっと体を離す。  名残惜しくて、もう一度拓斗に伸ばした手のひらに、雪がひとひら舞い落ちた。  空を見上げる。  いつのまにか雲がうすく空をおおっていて、ひらひらと雪が降ってきた。 「初雪の最初のひとひら……」  拓斗の呟きに俺は首をかしげる。 「その冬の最初の雪のひとひらを手にしたら、願い事が叶うんだよ。春樹はなにを願うの?」  そんなの、ずっと昔から、決まってる。 「ずっとそばにいて、拓斗」  拓斗はにっこり笑う。  ああ、そうだ。  俺はその笑顔を見るためなら、何度だって願うよ。 「ずっと、そばにいて」

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