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第24話

 抜けるような青空だ。  どうやら今日は晴れの特異日という日に当たるらしい。何年も統計上、晴れが続いている日。  体育祭日和だ。  俺たち運動部は、たいがい、走る種目に参加させられる。俺は400メートルと走り高跳び。どちらもやや得意と言える。  ……というか、かなり自信がある種目だ。  俺は体育の時間にクラストップレベルの成績を残した。  ……学年トップでないということは秘密だ。    体育祭では、全生徒を赤、青、黄、白の4組に分ける。  組分けは単純に、一年A、二年A、三年A、がまとめて赤組というような縦割りだ。  各組それぞれに応援団を組織して、それと並列でパネルも作る。  幅5m、高さ2mのけっこう大きなパネルだ。ベニヤ板にペンキでぺたぺた塗っていく。うちのパネルは龍虎盛衰図。  なんだかよく分からないが、カッコ良さそうだ。  応援団は女子はチアリーダー、男子は学ランが基本のようだが、拓斗のところは違うようだ。 「男女とも中華風だよ」  というなんだか腑に落ちない説明をされた。  うちのクラスの女子は白に水色のラインという涼しげなスタイルだ。 「ますたー!! 見てください、金子、チアリーダー、似合うと自賛します!!」  振り返ると金子が腰に両手をあててふんぞり返っていた。たしかに、金子の綺麗な顔立ちとポニーテール、何よりその素晴らしいスタイルのおかげで非常によく似合っている。 「似合ってる、似合ってる。応援団がんばれよ」  そう言って教室を出ようとすると、元香が鬼の形相で叫ぶ。 「ちょっと! どこ行くのよ!!」 「どこって練習だよ」 「なんの?」 「なんのって……、野球部の」 「あんたねえ!」  元香が俺にペンキのついた刷毛をつきつける。 「体育祭の準備、手伝わない気!?」 「う……」 「パネルの一枚くらい仕上げなさいよ!!」  俺が反論できずにいると、横から金子が助け船を出す。 「ますたーのぶん、私が働きます!」 「あんた、応援団でしょ! ダンス練習してなさいよ!」 「もう覚えたから大丈夫です」  元香がぐっと言葉につまる。 「な、なんであんたはこいつの肩をもつのよ!」 「ますたーの幸せが、私の幸せだからです!!」  ざわついていた教室が、しん……と静まる。 「ぉぃ、ぉぃ、金子」  小声で呼び掛けるが、金子には聞こえていない。 「私は!! ますたーが幸せになるためなら!! なんでもします!!」  うおぉぉ!  教室が一体となり雄叫ぶ。 「あんたは何を言い出すのよ!!」  猛る元香。 「本心ですから!!」  吠える金子。 「告白!?」 「愛なのか!?」  騒ぐ級友。 「なんだよ、お前たち、そうなのかよ!! 早く言えよなー」  橋詰が俺の肩を叩く。 「ちが! ちがう!! 誤解だ!!」  金子は元香とバトっていて周囲の騒ぎに気づいていない。  どうすればいいのかわからず、右往左往する。  しかし、何もできない俺を級友たちは、あるいは囃し立て、あるいは賛辞をくれ、あるいは冷ややかな眼で見つめる。 「金子、あとは任せた!」  俺は金子にすべてを託して、野球部の部室へと避難した。臆病者と笑わば笑え。  けれど、やはりというか。  後からやって来た橋詰の言葉に、俺は打ちのめされた。 「金子は一生お前に尽くすって言ってたぞ」  がくりと肩が落ちる。 「よかったな、嫁ができて!」  橋詰が俺の肩をぽんと叩く。  俺の口からは、 「違うんだ……」  か細い声が出るばかりだった。  翌日から、金子は俺の嫁と呼ばれるようになり。 「ますたーのお嫁様は拓斗ちゃましかいないのに!」  と金子は憤慨し。色々とぶちまけそうな金子を、俺は必死で食い止め。  その姿を級友に見つかり、夫婦喧嘩していたと噂され。  俺は何もかももう、諦めた。  体育祭の準備はちゃくちゃくと進む。  金子が肩代わりしてくれたおかげで、俺は一度もパネル製作に携わることはなかった。  俺はその時間だけでも……。級友の眼から逃れられると思っていたのだが、野球部内部に橋詰や山本といった内通者がいて、心休まるときがない。  俺は体育祭がとっとと終わってくれることを心の底から願った。  体育祭当日、嫌味のようによく晴れたグラウンドで、俺はとにかく走った。  400m走、走り高跳び、1,000m走、借り物競走、4,000m走。  走る競技が増えているのは、パネル製作に関わらなかった俺へのペナルティーだ。  そんなもん、どんとこい! だ。  さすがにさんざん走った後の4,000m走は膝に来て、俺はゴールと共にスッ転んでしまった。 「大丈夫ですか!? ますたー!!」  金子が走りよる。 「だ!! 大丈夫だから、寄るな!!」 「なんでですかあ! 最近のますたーは冷たいです!!」  原因はお前の発言だよ!!  と怒鳴りたかったが、人前だということを意識すると、ぐっと言葉を噛んでしまう。  ここでまた叫んでしまったら、また「関白亭主」呼ばわりされてしまう。 「いいから! 一人で大丈夫だから、お前はチアリーディング行け、働け!!」  金子はしぶしぶという態でクラスの応援団の固まりに向かっていった。  俺がひょこひょこと足を引きずりながら保健室へ向かっていると、救護班の女子が駆けつけてくれた。 「大丈夫ですか? うわあ。両膝ずるむけですねえ。 これは保健室だね。宮城ク――ン!! 保健室、一名様ごあんなーい」  救護班のテントを見ると、カンフー服を着込んだ拓斗がぶすくれた表情でこちらを見ていた。無言でこちらへ歩いてくる。 「なんでしょう?」 「こちらさん、保健室へゴ―して」  変な言葉遣いの先輩は、たしか生徒会の会長だったと思うのだが。拓斗と直接の知り合いというわけでなく、救護班の任務上の知己なのではないかと思われる。 「わかりました。どうぞ、ご案内します」  他人行儀に言って、拓斗は俺に背を向ける。俺は両ひざを引きずるようにひょこひょことついて行く。拓斗は俺の膝のことなど見もしない様子で保健室へ向かう。  いや、ただ道案内してくれるだけだったら、保健室の場所とか知ってるんですけど。とかいう卑屈な発言もできない。  拓斗の背中は怒っていた。 「安達先生……。ああ、またいない」  拓斗が保健室の扉を開けて呼ばわるが、養護教諭は留守らしく保健室内はしんとしていた。 「まったく……。けが人が続出しかねない体育祭にもサボっているなんて」  拓斗がぶちぶちと文句を言う。普段なら「ああ、先生、またサボってるね」で済ます心の広さが、今は見受けられない。 「なあ、拓斗……」 「仕方ないですね。そこで座って待っていて下さい。安達先生を探してきますから」 「ちょっ!! なあ、拓斗!!」  拓斗は俺を丸椅子に座らせると、俺を睥睨した。 「なんですか」 「なあ、なんでそんなに怒ってるんだよ」 「別に怒ってませんが」 「じゃあ、その口調はなんだよ!!」  拓斗は無表情に俺を見下ろす。 「べつに」 「別にじゃないだろ!!」 「ああ、そうだ。消毒くらいなら僕にも出来ますから、やっておきましょうか」  そう言うと、拓斗は棚から消毒薬のボトルと脱脂綿、ピンセットを持ってきて、俺の斜向かい、教護教諭の席に座った。 「足を出して」  脱脂綿に消毒薬をつけて、俺の膝に当てる。 「っつ!」  傷に沁みる。  拓斗は一つ目の綿球をゴミ箱に捨てると、次の綿球に消毒薬を染み込ませ、俺の膝に当てる。そのたび俺はびくり、びくりと身を震わす。  結局、拓斗がそれを止めるまで、いくつの綿球を捨てただろうか。俺の膝からは完全に血が拭い去られていた。執拗なまでに。 「じゃあ、あとはご自由に」  言い置いて拓斗は席を立とうとする。俺は拓斗の手をグイッと引いて座らせる。 「なんで怒ってるんだよ、拓斗!」 「べつに、怒っていませんけど」 「じゃあ、その口調はなんだよ!」 「普通に話しているつもりですけど。僕は救護班員で、あなたは怪我人。それだけでしょ」 「それだけって……」  俺は拓斗の手を握っている右手に、より力がかかるのを感じる。拓斗は平然とした顔をしている。 「俺たちは……。俺とおまえは、違うだろ!! それだけじゃないだろ!!」  拓斗は冷ややかな目で俺を見つめる。 「それだけじゃないなら、なに?」  なに?  俺たちは何?  幼馴染み?  親友?  それとも、家族?  どれも違う。  どれも俺たちのことを正しくあらわしてはいない。  俺は……。  俺と拓斗は……。 「じゃ、僕はこれで」  立ち上がろうとした拓斗を、グイッと引っ張る。俺の上に落ちてきた拓斗の体を、俺は抱きとめる。 「……なにするんですか」  拓斗は相変わらず他人行儀なままだ。 「……。俺は、お前がいなきゃだめだ。だめなんだ」  拓斗は立ち上がり、俺を見下ろす。その目は冷たく俺を嘲ったままだ。 「ごめん……。ごめん、拓斗……。ごめん……」  俺はぼろぼろと涙をこぼしながら、拓斗に哀願する。ほかに俺に出来る事は何もない。  拓斗は深いため息を一つつくと、俺の顔を正面から見つめた。 「君は、ずるい」 「え……?」  拓斗がドアの方へ歩いて行ってしまう。 「拓斗! 拓斗!」  ドアの前、くるりと拓斗は振り向く。 「なに?」 「……。いかないで……そばにいて」  拓斗はつかつかと俺に歩み寄ると、俺の肩を抱き、深く口づけた。俺は涙をつまらせて、拓斗の肩に抱きつく。拓斗は俺を抱き上げると、俺をベッドへと運ぶ。 「君は、ずるい」  また拓斗は繰り返す。  俺の何がずるいんだろう。拓斗は俺になにを求めているんだろう。  俺にはちっともわからない。わかるのは、拓斗が俺のそばから離れずにいてくれたこと。俺を抱きしめてくれること。俺を見捨てないこと。  拓斗は俺に口づけをくれる。  唇に、喉に、胸に。  いつも通りのいつもの愛撫。でも、違う。  拓斗は怒ってる。キスで怒ってる。手の指が怒ってる。手の平が怒ってる。その瞳が怒ってる。 「ねえ、なんで怒るの」 「わからない?」  わからなくない。そんなの知ってる。  でも……。  拓斗の口から聞きたいんだ。 「わからない」  拓斗はぐいっと俺の髪をひき、首をのけぞらせる。 「君はずるい」  拓斗は俺の唇をむさぼるように吸いつくす。顎を舐め、喉に牙を立てる。  俺は肉食獣に食い殺される前の小さな動物のようにふるふると震える。  怖い。  怖い。  怖い、けれど官能的な。  その恐怖は生き物の根源的な潮流を遡るように、俺の魂を震わせる。  怖い、怖い、怖い。  けれど、いとおしい。  拓斗は俺の腕を噛み、腿を噛み、腹を噛んだ。  俺の体に、痣がつく。  拓斗がここにいるという痣が。  俺は痛みの中に安堵する。  俺がここにいる意味を。俺が俺である意味を。  この痛みが教えてくれる。  俺はいつのまにか黒々と立ち上がり、拓斗はそれに爪を立てる。 「----っ!!!!」  息もできない。  痛みなのか。  愉悦なのか。  俺は拓斗の。  拓斗は俺の。  俺の体を反転させ、俺の腰をつかんで拓斗が割り入ってくる。 「ああぁ……」  充足感。  魂まで満たされる。  俺はこれをずっと待っていた。 「あぁ、拓斗、拓斗」  俺は苦しい姿勢で拓斗の方へ手を伸ばす。  拓斗はきゅっと俺の手を握りしめる。 「きみは、ずるい」  拓斗は俺の中に精を吐いた。 「ますたーー!! だいじょうぶですかあ!?」  応援席に戻った俺を金子の叫びが出むかえる。 「ああ。たいしたことない。すりむいただけだから」  金子は声を低め、俺の耳に口を近づけ囁いた。 「……ではなくて。拓斗ちゃまと保健室だなんて、腰の方は大丈夫ですか?」  俺は思わず、噴いた。空気と唾液が混ざったものを。 「うわ!! きったねえ! なにすんだ!!」 「あ! すまん、橋詰!」  おれの唾液は橋詰の背中に一直線に飛んでいった。もうしわけない。 「ひひひ。図星ですね、ますたー。なにがあったか逐一、教えて下さいよう」  金子の耳うちに、俺は叫び声を上げる。 「なにもない! 期待すんな!!」  クラスのみんなからざわざわというさざめきが起きる。 「……金子は期待してたらしいぞ」 「いっしょに保健室に行きたかったんじゃないか」 「やはり、かいがいしく、あれやこれやを……」  俺は思いきり叫んだ。 「ごかいだあああ!!!」  10月の晴れ空に、俺の叫びはこだました。

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