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第70話 最終話

「ただいまー」 「おかえりなさい! 拓斗くん!」  実家の玄関を開けると、秋美がグリコのポーズで拓斗を出迎えた。俺の事は眼中にないらしい。 「ただいま、秋美ちゃん」 「ごちそういーっぱい作って待ってたの! はやくはやく!」  秋美はぱたぱたとダイニングの方へ走っていく。俺はその後をついて食卓をのぞく。 「おお!?」  食卓の上には所狭しと料理の皿が並んでいる。鯛の吸いものだとかチラシ寿司だとか紅白なますだとかカラフルな料理の中に季節外れのそうめんが混じっているのは拓斗の好物だからだろう。俺の好物は慮外らしい。 「お兄ちゃんは食べられれば何でもいいんでしょ」  妹よ……、それが真実だとしても、一応は気を使ってくれてもいいのではないだろうか……。 「はーい、焼けましたー」  和中心の食卓に、かあちゃんのラザニアがやってきて、なんだかもうシッチャカメッチャカだ。 「孝ちゃーん、来たわよお!」  玄関から美夜子さんの声がする。廊下に顔を突き出すと、ミトを抱っこひもで抱えた美夜子さんがのしのしと歩み寄ってきた。 「して、春樹。合否やいかに?」 「そうだった。春くんの結果を聞いてなかったわあ」  美夜子さんの迫力のこもった睨みと、実の母の薄情と言うかのんびりと言うか判断に迷うセリフとの間でおろおろと首を動かしながら 「ご、合格しました」  と、なにやら情けない合格発表をする。   「よくやったあ!」  美夜子さんに背中をど突かれる。 「あらあら、よかったわねえ」  実母からさっぱりとした祝辞をいただく。 「さあさあ! 合格してたなら遠慮なくお祝いできるわね! 孝ちゃん、お腹すいた!」 「はいはい、ちょっと待ってね。秋美、お皿は足りて……」 「あのぉ……」  俺が小さな声で発言すると、場に響いていた働き者の女たちの声がぴたりと止まった。突然静寂が部屋を支配する。 「なに?」  常にない迫力で実母に問われ、俺はすくみ、しかしなんとか口を開いた。 「拓斗の合否は聞かないんですか……?」 「どうせ合格でしょ、可愛げのない」 「拓斗ちゃんなら心配ないわよねえ」 「拓斗くんが落ちるわけないじゃない!」 「なになに兄ちゃん、どうしたの?」 「ははは、春樹、あんたが落ちてたらここの祝膳はぜんぶ拓斗用だったんだってさ」  美夜子さんが、かあちゃんが、秋美が、冬人が、夏生姉ちゃんが、みんなが俺に冷たい……。いや、拓斗に対して熱いのか? というか、冬人だけは俺の味方だった。俺は冬人をぎゅうっと抱きしめる。 「ほら、春樹。拗ねてないで。君のためのお祝いなんだから」  拓斗の余裕の発言に首をひねりながらも、俺は食卓につく。 「はい! お兄ちゃんの分!」  秋美が俺の前だけにベーコンエッグの皿を置いてくれた。 「秋美! ありがとう!」 「ぎゃああ! やめてよ、ばかあ!」  思わず抱きついた俺を、秋美が本気のグーで殴ってきた。食事前なのに腹が痛い。  じいちゃんとばあちゃんも混ざって大家族の食事はわやわやと和やかに過ぎた。  ご馳走の残りを皿にまとめラップをかけながら、かあちゃんと秋美が話し合っていた。 「今日の晩ご飯はお茶づけでいいわねえ」 「そうね。お父さんにはこいつらを片付けてもらいましょ」 「らくちんでいいわあ。毎日パーティーでもいいのに」  父よ、日々働いて家族を養う父よ。こんな会話があったことは、俺の胸だけに留めておきます……。 「なに、あんたたち、もう帰るの?」  玄関に向かっていると、リビングから顔を突き出して美夜子さんが問う。 「いいかげん制服脱ぎたいからさ」 「美夜子さんもたまには帰って来たら?」  俺たちの言葉に、美夜子さんは首を横に振る。 「いんや。私は孝ちゃんと一緒に寝るから。あんたたちもイチャイチャしてないで早寝早起きしなさいよ」 「い、イチャイチャしねえよ!」 「早起きはします。イチャイチャもします」  俺は拓斗を睨んだが、拓斗はそっぽを向いて口笛を吹いた。吹いたって、音はでなくてスーって言うだけだというのに。拓斗はスー、スーとどうやらドレミの歌らしい聞こえない口笛を吹き続けた。  拓斗の家に帰る途中、俺はふと思い出した。 「そう言えば、大学受かったら引っ越すんだったよな。家とか探さなきゃな」 「もうあるよ」 「ええ!? いつの間に!? 拓斗一人で探してたのか!?」 「ううん、親戚が持ってる家を借りられることになったんだ」 「親戚って、おじいちゃんの?」 「美夜子さんの方じゃなくて、父さんの」 「親父さんの……」 「うん。父さんが若いころ暮らしてた家を親戚が管理してるんだ。父さんの両親が亡くなってからずっと一人で住んでたんだって」 「へえ……、親父さん、一人で寂しかったんじゃないのかな」 「そうかもね。美夜子さんと結婚してからは、しょっちゅう、おじいちゃんちに行ってたみたい」 「そう言えば、おまえん家、盆も正月も無人だったよな。俺も夏休みには、おじいちゃん家にお世話になったけど」  拓斗は俺の頭を撫でて、ふふふと笑う。 「あんなに小さかった春樹がこんなに大きくなりました」 「なんだよ、それを言うならお前だろ! 嫌味みたいにでっかくなりやがって!」  拓斗は眉を下げて俺の顔をのぞき込む。 「あれ、春樹は僕の身長、嫌い?」 「すき」  するっと口を衝いて出た言葉に、俺は赤くなり両手で口を塞ぐ。拓斗がにやにやと俺の頭を撫でる。 「かわいい、かわいい」 「うるさい! 撫でるな!」  俺たちはぎゃあぎゃあ言いながら家に帰った。 「はーるき」  家に帰ってすぐ制服を脱ごうとした俺の背に拓斗がぶら下がる。 「なんだよ。服脱げないだろ、邪魔すんな」 「もう、そんなに怒って。かわいいぞ」  拓斗が俺の頬をつんつんする。俺は振り向いて拓斗の指に噛みつこうとして……。 「……なにそれ」 「プレゼント」  拓斗はリボンがかかった小さな箱を俺に差し出す。 「え? なにこれ、合格祝い?」 「ぶー。今日は何月何日ですか?」  俺はカレンダーを見つめる。 「あ。誕生日か」 「もう。反応がうすいよ」  拓斗が俺の頬をつまんで引っ張る。 「ああ、すまん。すっかり忘れてた。そうか、誕生日か……」  拓斗が手を離し、こほん、と小さく咳払いする。 「春樹は何歳になりましたか」 「十八です」 「十八歳はどんな年ですか」 「……ガラスの十代?」  拓斗がふかーい溜め息をつく。 「ほんっと君は頭の中が昭和だよね」 「いやいや、れっきとした平成生まれですから」  拓斗が俺の手を取り、小箱をぽん、と置く。 「ハッピーバースデイ、春樹。開けてみて」  うながされ、真っ赤なリボンをほどく。小さな紙箱の中から、小さな布張りの箱が出てきた。開けてみると。 「ゆびわ?」  拓斗が俺の手を取って真直ぐに俺の目を見る。 「結婚して下さい」  俺は呆然としてただ拓斗の顔を見つめた。 「僕は君なしでは生きていけない。君を僕のものにしないときっと狂ってしまう。だから、君を縛るものを君に贈るよ。どうか、生涯、僕のそばにいて下さい」  俺はぽかんと口を開けた。きっとばかみたいな顔をしていたと思う。ばかな顔をした俺の頬をぽろぽろと涙がこぼれていく。拓斗が眉をひそめる。 「だめですか?」  俺はそっと指輪を手の平に置いて見つめる。銀色に光る小さな輪っか。この輪っかが、俺を拓斗に縛り付ける。 「だめですか……?」  拓斗が不安げな顔をしてたずねる。俺はきゅっと口をつぐむと、指輪を拓斗の手に握らせた。拓斗は茫然とした表情で指輪を見つめている。そのまま頭を上げられないのかじっと床を見つめている。 「つけさせて」  俺の言葉に拓斗が勢いよく顔を上げた。 「つけさせて」  俺は左手を拓斗に差し出す。拓斗はそっと俺の左手を取る。拓斗の手が震えている。小さく震えるリングが左手の指先に触れる。ひやりとした金属の感触に、俺はため息をつく。リングはそっと、そっと、俺の左手の薬指に嵌められた。 「春樹……」  拓斗が泣いている。なんだよ、泣くなよ拓斗。子供みたいだぞ。そう言ってやりたいのに、俺の目からも大粒の涙が流れる。俺は拓斗を抱きしめる。 「春樹」  拓斗が俺を抱きしめる。俺の左手のリングが拓斗の背に食い込む。そのまま埋もれてしまえばいい。俺と拓斗を一つに繋ぎとめればいい。 「春樹、幸せにするよ」  拓斗が俺の顔をのぞき込む。 「ちがうだろ、拓斗」  俺は拓斗の両手を握り胸に抱く。 「二人で幸せになるんだ。いつまでも」  俺たちはいつまでもいつまでも抱き合っている。次の春も、その次の春も、永遠に。            了

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