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第10話
「大丈夫か?」
和樹は、この期に及んでもまだ涼矢の身体の心配をする。
「気持ちい……です」
「良かった」和樹は涼矢のこめかみに触れる。「でも、敬語は禁止、な」
「……昔みたい、で……しんどい」
そう呟きながら涼矢は和樹の上で身悶える。
「昔みたい、は、しんどいの?」和樹は涼矢の言葉を繰り返した。
「だって」泣く寸前のように顔をゆがめる涼矢。そんな表情は久しく見ていない。「戻れな……」
和樹は下から突き上げた。涼矢は背中を弓なりにしならせ、「ああっ」と喘ぐ。
「思い出せよ」
「やっ、かず……あっ、そんなっ……」
「二人の時ぐらい」突き上げながら、涼矢のペニスも扱きだす。
「やめっ……両方、したら」
「気持ちいい?」
「んっ、あ、あ、ああっ」返事なのか喘ぎなのか分からない声を上げて、涼矢は快感に浸る。「あ、和樹、一緒に……一緒にイキた……」
「いいよ、イキそう?」
「うん、イク、あっ……あ、あ」喘ぎの間隔が短くなっていく。「イク、和樹、あっ」
「俺も」
「汚しちゃいないけど、そのまま、また着る気か?」和樹は事後の始末をしながら、汗だくの涼矢に言う。自分も大差ない状態だ。
「無理、だな」涼矢は苦笑した。
「……その顔、久しぶりに見たわ」
「え?」
「最近は澄ました顔ばっかしてるから。そんな風に自然に笑うの、久々」
和樹の言葉を聞いた途端に、涼矢は再び無表情になる。和樹はそれを見て困ったように眉を下げた。「だから、そんな顔するなって。二人きりの時ぐらい、昔みたいにさ」
「……命令だとしても、それはできないよ」
「なんで?」
「そんな風に切り替えたりできない」
「じゃあ、切り替えなくていい。ずっと対等モードでいればいい」
涼矢は眼鏡をクイッと上げた。「それは無理です」和樹の言葉とは裏腹に敬語に戻る。
「どうして。俺が良いって言ってる」
「いつか……そんなに遠くないいつか、あなたにもパートナーができて、私はその方を奥様と呼び、あなたと同様に仕えることになるでしょう。今だって和樹様だなんて、お坊ちゃま時代の呼び方のまま失礼していますけれど、その時にはあなたのことも旦那様と呼ぶようにしないといけません。対等なんて……無理です」
「涼矢」
「それもそろそろ直しませんと。田崎と呼んでください。他の者に示しがつきませんし」
「チンコもケツも丸出しで何言ってんだよ」和樹は下品に罵った。「涼矢は涼矢だろ。呼び方なんてどうでも」
その口を塞ぐように、涼矢は和樹に口づけた。「私を怒らせたいんですか? そうすれば本音を言うとでも思ってらっしゃるんですか?」
和樹は涼矢を睨みつけ、「つまり、本音は別にあるってことだな?」と言うとニヤリと笑った。それから涼矢の顔をグイと引き寄せて、自分からもキスをした。涼矢は反射的に和樹を押しのける。
「……ご承知のこととは思いますが、こういうことをするのも、ご結婚するまでの遊びです。ちゃんとわきまえていただきたい」
そう言い捨てて、涼矢は和樹から離れた。クローゼットから着替えを出すと、自室に備えてあるシャワールームに消えた。
――こんな会話を何回交わしたことか。
和樹はだらりと横たわったまま考える。
――成人するまで。大学を出るまで。親の跡を継ぐまで。そして今は結婚するまで。そうやって条件を付け続けながらも、あいつは俺から離れない。見合い写真があいつのところで滞って溜まっているのだって知ってる。
『好きです。あなただけが』
涼矢の愛の告白なら何度も聞いた。その声もすぐに思い出せる。熱い唇も舌も、指先の感触も、身体を貫いていくものも、すべて、知ってる。それらを求めれば、すぐに手に入ることも知ってる。
――いいかげん認めればいいのに。
――もう一生離れないって素直に言えばいいのに。
和樹はのっそりと起き上がり、シャワールームの扉越しに涼矢に言った。
「なあ、出たら、燕尾服着て、食堂に来い」
「燕尾?」
聞き返す涼矢には答えずに、和樹は自分の部屋に戻る。ウォークインクローゼットの奥から、滅多に着る機会のない正装の箱を出す。
涼矢と同じようにシャワーをしてから、自分の燕尾服に袖を通した。食堂に向かう廊下の途中で、花瓶から百合と薔薇を一輪ずつ引き抜いた。茎を手折りながら、薔薇のほうを自分の胸ポケットに差す。
「いったい、何です? 今日の会食はそこまでフォーマルではないですよ。指揮者ごっこですか?」燕尾服を着て来いなどという指示の意味が理解できず、涼矢は苛立ち紛れに言葉を重ねた。
「そんなに結婚させたきゃするぞ、結婚式」和樹は百合の花を涼矢の胸元に飾った。
「……え?」
和樹はワインセラーからシャンパンとフルートグラスを持ってくると、景気づけのように一口だけ含み、おもむろに言い出した。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、涼矢を愛することを誓います」
「かず……」
「おまえは?」
「え……」
「言って」
「健やかなる……すみません、覚えてません」
「どんな時も、でいいよ」
「どんな時も。いつでも、あなたを」
「ちゃんと名前言って。あ、様はナシな」
「和樹を」
「うん」
「愛することを」
「……うん」和樹は涼矢をじっと見つめた。「その先言うかどうかは、おまえに任せる」
涼矢は和樹を見つめ返した。迷っているはずが、唇が自然に動いた。「……誓います」
和樹はホッとしたように笑い、「じゃあ、誓いのキス」と言って目をつぶった。なのに、なかなかキスをしてこない涼矢にしびれを切らせて、結局和樹のほうからキスをした。
目を開けると、意外なほどに真っ赤になって照れる涼矢の姿が見えた。
「……ごっこ、ですよね?」
和樹はフッ、と笑う。「そうだな。ごっこだよ」
心なしか涼矢が落胆の表情を浮かべる。そんな涼矢に、和樹は言った。「俺がおまえに飽きて、もうおしまいって言うまで、ごっこの相手をしてもらうからな?」
涼矢は目を見開く。
「愛してるよ、涼矢」
知らぬ間に腕が和樹を抱き締めていた。「……俺もだよ、和樹」
(終)
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