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第1話

 『アルファ』だとか『オメガ』だとかは、『ベータ』である俺とは別世界の、決して踏み込んではいけない領域だ。 嘘つきベータ  『オメガ』を雇うことは、無駄なリスクを負うことだ。『オメガ保護法』とやらが適応され、何らかの優遇が受けられる大企業ならともかく、俺は、大手ケーキ屋の小さな支店を任された、ただの雇われ店長だ。この店での雇用関係を任されてはいるが、バイトとはいえ、『オメガ』を雇っていいものか迷っていた。  理由は3つ。 第一に、『オメガ』には、発情期というものが存在し、定期的に『ヒート』と呼ばれる発情期状態になる。今は発情抑制剤というものも出てはいるが、その効果も安定しないと聞く。その間は、当然お休みしてもらうことになるけれど、その間を埋めるだけの人員が、今、この店にはない。 第二に、『オメガ』はトラブルの元になりやすい。もし万が一、働いてもらっている最中に『ヒート』状態になられた場合、『ベータ』である俺は耐えられたとしても、店の周囲に『アルファ』がいた場合、『オメガ』のフェロモンに誘発されて、こちらも『ヒート』状態になる可能性がある。そうなったとき、俺だけで、彼を守れるかどうか自信がない。 第三に、つい先日、『アルファ』のバイトを雇ってしまった。その『アルファ』は、この店の近くの有名な国立大学に通っている学生さんだ。何故、輝かしい将来が確約されている『アルファ』が、こんな小さなケーキ屋でアルバイトなんかをしようと思ったのか。そう尋ねると、「社会勉強」と答えられた。断る理由もなく、人手不足で喘いでいた俺は、寝ぼけた頭でオッケーと親指を立ててしまった、らしい。記憶がない。 優秀な『アルファ』との種が欲しいと願い、『アルファ』に執着をする『オメガ』もいれば、『アルファ』との間に何らかのトラブルを経験して、『アルファ』を苦手とする『オメガ』もいる。 須賀 智(すが さとる)くん、高校を卒業したばかりだというこの子は、どうやら後者らしい。俯き、何度もどもりながら、懸命に話してくれた。前の就職先で、『アルファ』に散々なセクハラやらパワハラを受けたらしい。ここへの志望動機は、「ケーキが好きで」という単純なものだったが、恐らくは、こんな小さなケーキ屋に『アルファ』がいるわけないとも思ったんじゃないだろうか。 「本当に申し訳ないんだけど、うち、『アルファ』のバイトさんがいて」  そう切り出すと、須賀くんは、びくっと肩を震わせた。 そうだよね、怖いよね。せっかく『アルファ』から逃げてきたのに、嫌だよね。 「一緒の勤務にならないよう調整するから、うちで働いてみる?」  須賀くんは、パッと顔を上げた。舞い上がった長い前髪の隙間から見えた顔は、『オメガ』らしく、モデルさんみたいに整っていて、かわいらしかった。青ざめていた頬が、ほのかに紅潮している。 「い、いいんですか」 「須賀くんが、うちでよければ。ただ、少しでも体調が悪いときは、言ってね。発情抑制剤は飲んでる? じゃあ、飲み忘れには注意をして。無理はしないようにね」 「え、あ、あの」 「制服が届くのに3日くらいかかるから、届いたら連絡するね。一応、今の段階で、出れる日がわかれば、教えてもらっていいかな」 「あの!」  須賀くんの面接を始めてから、一番大きな声だった。ちょっと驚いて、言葉を止める。須賀くんは、ますます顔を赤くして、椅子から立ち上がり、詰め寄ってきた。 「あの! いいんですか! 僕、オ、オメガですよ!」 「う、うん」 「ご迷惑、で、は」  『オメガ』は、なかなかやとってもらえず、『ヒート』を逆に売りにした身体を使った仕事をして食べていくことも多いらしい。そんな中、須賀くんはたくさん頑張ってきたんだろう。たくさん苦労して、たくさん辛い目にあってきたんだろ。 テーブルの上で、小さな拳が震えている。痛々しかった。   「人手不足だから、助かるよ」  そう努めてにっこり笑えば、ようやく安心してくれたようで、椅子に戻り、かすかに微笑んでくれた。これは、かわいい。  彼が『ヒート』のときは、俺が働けばいいし、もし何かあったら、……そうだ、防犯用のカラーボール、あれを買っておこう。  須賀くんは、何度も頭を下げながら、店を出て行った。  1人になり、長くため息を吐く。 できるだけ、『アルファ』や『オメガ』には、近づかないようにしていたのに、最近、どうしたんだろう。 胃のあたりを擦る。鈍く痛い。

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