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第7話
電車に乗って約30分程、神野くんが希望したのは、思いの外近くて、定番のお出かけスポット、水族館だった。
水族館は好きだ。バイト時代は、今よりもう少しお休みもあって、学校もお休みの日は、よく出かけていた。
自分までもが真っ青に染まる、まるで水の中に立っているかのような錯覚をさせてくれる大水槽の前で時間を過ごすのが、俺の癒やしだった。
優雅に泳ぐ魚達を眺めていると、バイト先であった嫌なことや、学校での苦労も、溶けていった。
「喜んでもらえてよかったです」
何も言わなかったのに、神野くんは、にこりと笑ってひとり頷いていた。そんなにわかりやすく顔に出ていたかな。掌で頬を揉む。
夏休み期間中だけあって、水族館は混み合っていた。
「岡さん、もうチケット買ってあるんで入りましょう」
「え」
神野くんは俺の手をとり、入り口に向かった。いつの間にそんなシステムになっていたのか、スマホの画面のQRコードを扉にかざすとピッという電子音とともに、扉が開いた。確かに久しぶりに来たけど、こんなふうになっていたなんて驚きだ。俺の知らない間にも時間は流れているんだなとか、少し寂しく思えた。
「あ、お金」
「いいですよ。バイト代入ったんで」
「って、それ、うちで働いてくれた分でしょ。いいよ、払うよ」
「じゃあ、昼飯は岡さんが奢って下さい」
「う、じゃあ、それで」
どうやら水族館は一度改装されたらしい。俺の記憶とはまるで違っていた。水面が映されたトンネルをくぐると、水の音と、少しだけ生臭い、あの水族館特有の匂いがした。
まずは、川魚のコーナーから、それから、甲殻類、くらげと続く。それにしても人が多くて前に進むのも難しい。もはや、魚を見に来たのか、人混みに揉まれにくたのかわからなくなってきた。
背の高い神野くんがうまいこと、人を避けながら、俺の手を引いてくれなければ、はぐれていただろう。
なんか俺、子供みたいだな。こんなはずじゃなかったのに。
「岡さん、ほら、前」
「わあ!」
反省したすぐ後なのに、また子供みたいな歓声をあげてしまった。
大水槽だった。
ここだけは、昔の記憶のままだ。
大きなエイがひらひらと舞っている。小魚が群れをつくって泳いでいる、時々、それを別の魚が切り裂くように泳いでいくのがおもしろい。波にゆらゆらと海藻が揺れている。
「ゆっくり見ましょうか。もうすぐイルカショーがあるみたいだから、人も捌けると思いますよ。ほら、こっち」
そう言って、神野くんは、大水槽の前、高い段差のある部分まで連れて行ってくれた。並んで座る。子供の泣き声や、歓声、いろんな声が聞こえてくるのに、不思議と静かに感じる。ゆらゆら、絨毯に水で歪んだ光が揺れている。きれいだな。
「神野くんは、ここ、よく来るの?」
「初めて来ましたよ。俺、県外出身ですし」
「水族館が好きとか」
「魚は見るより、食べる派ですね」
「じゃあ、なんで水族館なんて」
お礼なんだから、買い物でも、映画でも、遠方でも、神野くんの希望する場所に付き合う気でいたし、将来はともかく、今は俺の方が社会人で稼いでいるはずだから、支払いは全部俺が持つつもりだった。
それが、どうだ。学生の身分である、神野くんに奢られているし、行き先はむしろ俺が好きな場所だ。
「デートですから。岡さんが喜んでくれるような場所に行くのは当然でしょう」
「わあ」
照れる。
「毎日、お疲れ様です。人も多いですけど、ゆっくりしていきましょう」
普通に嬉しい。
だめだだめだ。相手はアルファ様だぞ。
「ほんと、神野くんは、アルファなのに優しいよね」
言ってしまってから、しまったと思った。やらかした。これで2度目だ。神野くんの顔も強ばっている。こんなに人が多いところで、というか、『アルファ』だからとか『オメガ』だからとか、『ベータ』である俺が口出ししちゃだめだ。
「ご、ごめ」
「前にもそんなこと言ってましたよね。何かアルファに嫌な思い出でもあるんですか」
「や、本当にごめん」
さすがに温厚な神野くんも怒っているよね。真顔で、怖い。いくら、穏やかだからって、優しくしてくれているからって、神野くんは『アルファ』だ。なんでだろう。わかっていたはずなのに、それをまた、急に思い出した。
「話して下さい」
「神野くん、ごめん。俺が悪い。嫌な気分にさせてごめん」
神野くんの掌が、近づいてくる。
避ける間もなく、頭を掴まれた。
「え」
「話して下さい」
ぐらり、めまいがした。
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