店に帰ると、平野さんが既にレジ締めまでしてくれていた。 　お礼もそこそこに、高ぶった気持ちのまま、今日の会議のことを伝えると、「よかったな」と笑って喜んでくれた。 　本当に、同期って尊い。 「お互いしんどいことも多いけどさ。次、休み合ったら、飲みに行こう。愚痴大会しようぜ」 　『休みが合ったら』、なんていう奇跡は起きないままで、平野さんと飲みに行けた試しはない。が、その言葉が嬉しい。「はい」と力一杯、頷いた。いやもう、本当にいつか、きっと、いや、近々、できたらいいなあ、愚痴大会。 「ところでさ、今日一緒だったバイトくん。噂のオメガなんだろ」 「須賀くん？　そうですよ」 「なんか感じ悪いよな」 「そんなことないと思いますけど。ああもう、平野さん、何かしたんじゃないでしょうね。須賀くんが可愛いからってもう」 「バカ、してねぇよ！」 　思いの外、大きな声で返され、驚いた。 「すいません……、冗談のつもりで」 「あ、ああ。わかってる。じゃあ、またな、岡」 　弾んでいた気持ちが一気に沈んでしまった。平野さんに怒鳴られたのは初めてだった。何か悪いことを言ったんだろうか。会議で少し、ほんの少しだけ、佐々木店長に褒められたからって調子に乗ってしまった。 　深々と反省をしながら、明日からの業務の確認をした後、店を出た。 　＊＊＊ 「おはよう。今日もよろしくね」 「はい、よろしくお願いします」 「あ、神野くん、これ、お礼っていうか。たいしたものじゃないんだけど、よかったら」 「え」 　昨晩、悶々と考えながら淡々と作ったマフィンだ。部屋中に漂う、できたてのお菓子の甘い香りは、不思議と俺を癒やしてくれて、その後、すぐに、心地よい疲労感のもと、眠ることができた。夢も見なかった。 「ケーキじゃなくて悪いんだけど。この間のお礼っていうか」 　紙袋を受け取ってた神野くんは、目を大きく見開いたまま、中を見、俺を見、もう一度、「え」と零した。 　やばい。やっぱり、あれ、冗談だったんだろうか。アルファ様ジョーク。男の作ったお菓子なんて、いらないよな。こいつ、いい大人のくせに本気にしやがった、ぷぷぷ。とか、思われてるんじゃ。 「ごめん。やっぱり、返し」 「だ！　だだ！」 「だ？」 「だめです！　もう俺のです！　返しません！」 　神野くんは、紙袋を自分の頭上に持ち上げた。それだけでも十分、俺の背では届かないのに、更につま先立ちまでされる始末。いやいや、届かないし、無理にとろうとも思ってないから。 　神野くんは、お菓子をとられまいと必死なようで、顔は真っ赤で目は真剣だった。普段、まるで隙がないだけに、こういう姿を見ると、年下なんだなあとか、かわいく見える。アルファ様相手に怒られそうだから口にはしないけど。 　思わず、笑ってしまった。 「はは。いや、受け取ってもらえるなら、その方が嬉しいんだ」 「受け取りますよ！　当たり前じゃないですか！　けど、まさか、本当につくってもらえるなんて思ってなくて。うわあ」 「や、そんないいものじゃないからね。神野くんが普段食べてる菓子のが絶対上等で、おいしいよ」 「そんなこと、ないですよ」 　急に、神野くんは、しゅんと項垂れた。お菓子をロッカーにしまい、黙々と制服に着替え始める。その姿に、俺まで落ち込んできた。 　昨日から、俺、なんかだめだな。余計なこと、しゃべりすぎてるんだろうな。なんかだめだ。 「――で、いつになったらデート、してくれるんですか」 　と、思ったら、これだ。ほんと、アルファ様ってわからない。 　既に着替え終わったらしい神野くんの目線が痛くて、背中を向けてから服を脱いでいく。早く開店準備に取りかからなくては。 「どこか行きたいところがあるの？　神野くんとデートしたい人なんてたくさんいるでしょ」 「岡さんがいいんです！　ああ、あの日、俺すごい心配したのになあ」 「う」 「慣れない業務を１人で頑張ったのになあ」 「うう」 　確かにあの日はすごい助かった。おかげで、病院にも行けたし、薬ももらえて、胃痛も少し和らいでいる気がする。何より昨日の会議のことがある。あれは、神野くんからもらってた言葉のおかげだ。 　本気なのか冗談なのかはわからないけど、真剣なのはわかる。神野くんが何を考えているのかはわからないけど、行きたいところがあるなら一緒に行ってあげたくもあるようなないような 　 「けど、俺がお休みの日、神野くんにシフト入ってもらってて。ごめん」 　他のパートの方も都合が悪い日らしく、須賀くんは大丈夫らしいけど、月に２回も、よく知らない人と勤務してもらうのは気が引ける。昨日の平野さんの様子からも、あまりうまく関われなかったようだし。 「だから、ごめ」 「店長のお休みいつですか？　その日までに俺の友達、一通り業務こなせるように仕上げとくので代わりに使って下さい」 　そう言った神野くんは、即座に携帯でその友達とやらに電話をし、「オッケーです」と親指を立てた。 「で、いつですか？　お休み」 「え、あ」 「デート、しましょう」 　背中から、圧を感じる。すんごい見られてる。貧相だなあとか思われてたらどうしよう。てか、男同士でもあんまり見ないで欲しい。 「岡さん」 　恥ずかしいのと、無言の圧が怖いのとで、頭がごちゃごちゃしてきた。 「わ、わかったから！　来週の火曜日！　行こう、デ、デート！　ほら、前出て、開店準備！」 「はい！」 　神野くんは満面の笑顔を俺に向けた後、表に飛び出していった。 　デート？　神野くんとデート？　アルファ様とデート？　てか、まともなデート自体、初めてでは？ 　答えてしまってから、後悔が始まる。 　けど、あの様子だと、今更取り消しもできそうにない。 「来週、か」 　チクチクとまた胃のあたりが痛み出す。神野くんとデート。いやいや、デートじゃないから。お礼をするだけだから。勘違いするなよ、自分。 　ちょっとだけ、本当にちょっとだけ楽しみだとか、だめだろ、自分。