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第5話

 ケーキが並ぶショーケースの後ろに、お客様の購入品を包んだり準備したりするための広いテーブルがある。俺は、その傍に立ち、ぼんやりと外を眺めていた。  中心線を挟んで車が左右に行き交っている。 「今、通りに飛び出したら、会議に行かなくてもいいのかなあ」 「てっ店長?」 「須賀くん。今日は、平野さんていう、ヘルプの従業員さんが来てくれることになってるけど、他のエリアの店舗の店長さんで、俺より2つ上だけど、一応、同期。いい人だから、心配しないでね。できるだけ、早く帰るからね」 「はい、わかりました」 「じゃあ、俺、行ってくるね」 「はい、あ、店長」 「はい」  須賀くんは今日もかわいい。最近笑顔が増えてきて、特にかわいい。  この笑顔目当てのお客さんが、老若男女問わず増えた。 「スーツ姿、かっこいいです」 「ありがとう」  入職するときに、スーツ屋さんで、3点セットおいくらで買った安物で、微妙にサイズも合っておらず大きい。会議のときくらいし着ないからいいんだけど、これでかっこいいと言わせるのは、さすがに申し訳ない。  気を遣わせてごめんね。涙が出そう。いかんいかん、めちゃくちゃ心が弱っている。    「岡、久しぶり」  裏口から、ひょっこり現れた男の姿に、須賀くんが肩を強ばらせ緊張するのがわかった。須賀くん、俺と同じで人見知りなのに、知らない人と一緒に働くの嫌だよね。本当に申し訳ない。人手がなくて申し訳ない。 「今日はすいません。よろしくお願いします」 「ああ、頑張ってこいよ」  そう言ってくれた平野さんの目の下にもうっすらと隈があり、日頃の苦労が偲ばれる。お互い肩をたたき合い、抱きしめ合った。  同期って、尊い。 「じゃあ、よろしく」  2人を紹介し合った後、店を出た。出たくないけど、出た。出てしまった。あとは心を無にして、歩くしかない。  エリア会議は、そのエリアの中で一番大きな店舗で行われる。市電に乗って3駅。市内の中心部にあるこのお店がそうだ。表からちらっと見た様子だと、午前中なのに、お客さんがたくさん入っていた。忙しそうだ。 裏口から入って、更に奥。会議室に集められたのは、俺を含めて6人、俺はその中でも一番若いし、一番売り上げも悪いしで肩身が狭い。 帰りたい。 「じゃあ、早速だけど、この間配った売り上げ表について各店舗から意見をお願いします。特に、売り上げが伸びていない店舗はその対策案まであげてください」  進行は1人上座に座るエリア長だ。目線が痛い。プレッシャーが重い。胃が痛い。  色々色々考えたけれど、全部が全部自分のせいだという結論に至ってしまった。全部、俺が悪い。いや、そんな主観的すぎる意見じゃだめだろうと、頭を捻り続けたが、エリア長の怒鳴り声が何度も頭の中に蘇り、集中できなかった。会議が進んでいく。  よりによって、最後に発表する流れのようだ。いや、いつも通りなのだけど。  他の店舗の店長さん達が、新作が評判で売り上げもいいとか、従業員さん達の接客態度が評判でとか前向きな意見を話しているのに、俺がこれから話すのはただの自己反省文だ。恥ずかしい。いや、これもいつも通りなのだけど。  毎回こうだ。俺だってどうにかしようと思ってるし、実践だってしてる。けど、売り上げは横ばいのままで、なかなか伸びない。他の店長さんは、俺がまだ、ただのバイトだった頃を知っている。「いつまで経ってもバイト気分で」って言われてるの聞いたことあるし、「まぁ、岡くんは仕方がないよね」って笑われてるのも知っている。いつも、会議のとき、呆れたような顔で見られて辛い。 「では、岡店長お願いします」 「はい」  紙を片手に立ち上がる。もう何回も読み直したのだから、覚えてもいいはずなのに、顔を上げる勇気もなく、それを読み上げる。  プラスの品をおすすめできないとか、新商品のアピールがうまくできていないだとか、要するに俺の接客が至らないせいで、売り上げが上がりません。申し訳ありません。そういった内容だ。エリア長は、それを聞いていつも満足そうにしている。 「まったく、岡店長はいつもそうですが、もっと店長としての自覚を持って下さい」 「はい。申し訳ありません」  よかった。機嫌良さそうだ。なんてほっとしてしまうのは、おかしいんだろう。  深く頭を下げ、とりあえずは終わったと椅子に座ろうとしたとき、別の方向から声がかかった。 「岡くんはいつも、同じような反省ばかりですが、逆に店舗としての強みはないのですか」 「え」 「あそこは、うちがまだ町の小さなケーキ屋さんでしかなかった頃からある県内でも古い店舗です。私も思い入れが深い。その店舗をいつまでも、岡くんのようななあなあな態度の若者に任せておくのはどうなのでしょう」  この店の、佐々木店長だ。バイト時代も厳しくて、けど、すごくお世話になった。真面目で、ケーキ作りも手慣れていて、こっそり憧れていた。顔が熱くなる。そんな人からも、『なあなあな態度の若者』って思われてるんだ。  なんで俺、こうなんだろう。  一生懸命やっているはずなのに、全部うまくいっていない。  俺、この仕事、本当に向いていない。情けない。大人なのに、泣きそうになってる。  ため息が聞こえてきた。エリア長が「まあまあ」と弾んだ声で、店長さん達を宥めている。  黙ってちゃだめだ。  何か、何か言わないと。 『店長のケーキの飾りも人気ですよね。繊細で丁寧で。俺も好きです』  あ。 「うっ、うちは。先ほど佐々木店長が仰られたとおり、古くからある店舗で。そのため、昔からのリピートの、お客様が多く、贈答品等で数を多く買われていきます。また、小さい店舗ですので、ケーキの飾り自体も、お客様のご意見を多く反映させられて、ご好評頂いています。最近では、若いお客様も増えているので、写真写りのいいケーキ飾りや、焼き菓子の詰め合わせも考えていきたいと思っています」  言ってから、赤面した。  うわあ、ペラペラと求められていないことを話してしまった。エリア長に怒られる。 「そういう前向きな意見はいいですね」  佐々木店長は、微笑んでくれていた。  目頭がまた熱くなる。  そうだ。このお店でバイトをしているとき、店長さんは本当に怖かったけど、ちゃんと仕事ができたら褒めてくれていた。   「は、あ、ありがとうございます」 「私も、前に、岡くんのお店に伺ったとき、同じように思いました。特にケーキ飾りに関しては、上からのマニュアル通りではなく、独自のアレンジが加えられていて、うちではなかなかそこまで手が回らないのでうらやましく思いました」  何度も頭を下げながら着席する。膝の上で握った拳が震えている。佐々木店長、フォローしてくれたんだ。 「では、次の議題に移ります」  それからのエリア長は、機嫌が悪く、チクチク言われたけれど、完全に気持ちが浮ついていて、あまりダメージをうけずにすんだ。  帰り際に、店長さんが、背中をそっと叩いてくれた。嬉しい。嬉しすぎる。  外に出ると、もう空が赤くなっていた。  まともに空を見たのも、夕日をきれいだなんて思ったことも久しぶりだった。  これは! 早く帰って平野さんに報告しなくては! あと!  あんなに喋れたのは、神野くんが前にお店のことを褒めてくれたからだ。   「ケーキ、つくってみようかな」  会議前とは正反対の気持ちで、市電に飛び乗った。

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