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からからに乾いてしまった喉で、ひとつ呼吸を飲み込んだ。 ちゃんと、言わなきゃ。泣いてばかりじゃ、逃げてばかりじゃ、この人の隣にいられない。 「しー...あのね...ぼく、ね...」 大きな背中を抱きしめるには短すぎる腕で、麗は獅琉にしがみつく。名前を呼んでも返事はない。けれど、間違いなくその耳はこちらの話を聞いている。 「あの、ね...ぼく...しーの...うさぎさん、っだから」 「うん?」 「だから...しーと...いっしょ...ぼくの全部...しーのもの...」 何も持っていない僕だけど、貴方が望んでくれるなら貴方といつまでも一緒にいたい。 だからそんなに悲しい顔をしないで。 途切れ途切れで、嗚咽混じりの言葉を獅琉は最後までしっかり聞き届けてくれた。 「...あぁ。ずっと一緒だ...」 やっと聞こえた大好きなその声は、どこか震えている気がした。 しー、僕はもうどこにも行かないよ。 やっぱり僕はしーのものでいたい... 全部あげるから、だから...いらなくなったら...どうか、どうか僕を殺して... 「麗、顔上げろ」 暫く獅琉の胸に体を預けていた麗の背中を、獅琉が優しく撫でる。顔を上げると、すっかりいつも通りの端整な表情に戻った獅琉がこちらをじっと見下ろしていた。 「んー?なぁに?」 こてんと首を傾げて聞くと目を大きな手で覆われた。 「ひゃあっ、しー??」 「目、閉じてろよ」 「ん...」 言われたとおり大人しく目を閉じると、唇に柔らかい感触。 「んぅ...っ」 びっくりした麗は体を離そうとするが、大きな手のひらで頭を押さえられて逃げられない。 状況が掴めず混乱している間に、その唇に触れている温かい何かは離れてく。目を覆われていた手も離れ、ゆっくり目を開けるとすぐ近くに獅琉の顔があった。 「ぅ...しー...?」 「ふは...っ...何ぽかんとしてんだよ」 獅琉はぼーっとしている麗の顔を見て笑う。 「ん...なに?いまの...」 「いや、何っつうか...」 可笑しそうに口角を上げながら、獅琉はもう一度麗に顔を近づけて桃色の唇をぺろりと舐めた。 「んんっ...」 「美味そうだったから」 そう言って自分の唇を舐める彼の瞳は、いつもより熱を帯びているように見える。そんな視線を向けられたら、なんだかお腹の奥がムズムズするような、落ち着かない気持ちになる。 耳まで真っ赤になった麗を見つめて、獅琉が優しく目を細めた。その目が決して他者に向けられることがないことを、麗は知らない。 数分間か、数十分か二人で戯れるように触れ合っていると、だんだん瞼が重たくなってきた。考えてみれば今日は、色んなことがあった。人生の多くを室内で過ごしてきた生粋のもやしっ子の麗にとっては大冒険と言って差し支えないほどの出来事だったのだ。体力が底を尽きているのも無理はない。だけどまだ彼とこの時間を共有していたい。現実と夢の狭間で格闘していると、暖かな体温が離れ行ってしまって意識が覚醒した。目を瞬かせればベッドを下りようとしている背中が目に入る。慌てて麗が追いかけようとするのと、獅琉が振り返るのはほぼ同時だった。 「今、目が腫れないようにタオル温めて持ってくるから待ってろ。どうせお前そろそろ疲れて寝るんだろ」 やはりこの人相手には、隠し事なんてできないらしい。 こくりと頷いて伸ばしかけていた手を下ろそうとしたが、それは叶わなかった。男らしい手に指をからめとられ、あっという間もない。血管が透けて見えるほど白い腕がそのまま獅琉の口元へと運ばれる。がぶりと効果音が聞こえそうなほどにはっきりと、白い歯が手首に突き立てられた。 「くれぐれも脱走すんなよ。次脱走したら首輪着けるからな。」 それは低い、低い声だった。他者を従え、己の手で状況を覆していく権力者の声。これはきっと冗談などではない。次間違えれば、彼は必ずその通りにするだろう。 「...はい。」 自分の手首にはっきりと残った歯形を見下ろし、麗は柔らかなベッドへと再びその身を沈めた。

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