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【七十七億分の一のプロポーズ】圭琴子

 帰宅部の俺は、一分一秒でも早く帰って、オンラインゲームがしたかった。現実の俺は冴えないけれど、ゲームの中ではみんなから頼りにされる、攻撃系の黒魔術師だ。名前は無駄に長くて、ディレミーントゥートゥ。ディルと呼んで貰っている。長身、切れ長の碧眼、琥珀色の肌、白い長髪、黒いローブ、クリスタルトップの曲がりくねった杖。オマケに、悪魔の黒翼と天使の白翼という、中二病まっしぐらのキャラクターだった。やる時は、とことんやる方が良い、というポリシーの俺が、中二病を十二分に自覚しながら作ったキャラクターだった。  あ~、ウィンシィちゃん、今日は来てるかな。妄想雲に、綿飴みたいにふわふわのピンクの髪に、肌の露出が極端に少ない白いローブを纏った癒やし系の笑顔がぽわんと浮かぶ。同じ仲間一行(パーティ)内に、一体何処を守っているのか分からないような、やたらと露出の多い鎧の女戦士も居たけれど、気が強くて好みじゃなかった。ウィンシィちゃんくらい慎ましやかで、ピンチの時には後列から支援魔法や回復魔法を飛ばしてくれる、気が利いて尽くすタイプの白衣の天使が好きだった。  そんなことを考えていたら自然、歩調はゆっくりになっていたらしい。いつもならギリギリ間に合う筈のバスが、あと五十メートルのところで、ウインカーを出してゆっくりと動き出すのが見えた。 「あっ! ちょっ!」  田舎のスクールバスは、四十五分に一本ほど。これを逃してしまうと、恐ろしく暇な上に毎日ログインしているゲームへの参加が遅れる。俺は思わず、喚きながら、バス停まで走ってバスを追いかけた。だけどもちろん走り出したバスの運転手に聞こえる筈もなく、バス停の前で俺はゼイゼイと膝に手を当て喘いでいた。 「ちく……しょう……ウィンシィちゃん……」 「バス、行っちゃったか」 「あ?」  振り返ると、何となく見覚えのある顔が、鞄を肩に担いでバス停に歩いてくるところだった。ストレートの黒髪に、涼しげな奥二重。俺が憧れる切れ長の瞳を持ったこの男は、同じ制服を着て同じくらいの身長なのに、まるで俺と正反対だった。俺は茶色っぽい癖のある猫っ毛に、ドングリみたいに大きな瞳。自毛証明書を出している。  キー! モテるんだろうな。同じクラスになったことはないけど……同学年の奴だ。名前、何だっけか。 「暇だな」 「ああ」  乗り遅れたら、校舎に入って涼みながら次のバスを待つのがいつものことだったけど、意外な提案が待っていた。 「暑いな。アイスでも食うか」 「えっ」  買い食いは、禁止とまではいかなくても、推奨されていなかった。菓子パンなら「腹が減っていた」という言い訳が通用するが、アイスではそうはいかない。完全に嗜好品だ。真面目そうな見かけによらず大胆なことを言う奴に、何だかちょっと好感を持った。 「初めて話すな。俺、風見海(かざみかい)。三年A組」 「俺は……」 「ああ、知ってる。C組のキムタクだろ」 「はぁ……やっぱ知ってるか」  俺はガックリと肩を落とす。俺の名前は、木村拓哉(きむらたくや)だった。母さんが某アイドルグループの大ファンで、父さんの反対を猛然と押し切って、この名前になったらしい。父さんは正解だった。俺は行く先々で「キムタク」と呼ばれ、からかわれ、誰も俺個人の名前と認識する奴は居なかった。物怖じしない性格のお陰で苛められこそしなかったけれど、本家とは全く違う子どもっぽいヴィジュアルに、陰口をいう女子は常に居た。 「俺絶対、婿養子に入って、改名する」  その呟きが聞こえたか聞こえないのか、あっけらかんと語られる。 「風見って呼んでくれよ。俺も、木村って呼ぶから」 「えっ」  俺はビックリして顔を上げた。俺を『キムタク』と呼ばない奴を、初めて見たからだ。思わず返事をしそびれていると、風見は困ったように眉尻を下げた。 「駄目か? やっぱ、キムタクが良いのか?」 「いっ! いや!! 木村って呼んでくれよ!!!」  前のめりに大声を出す俺を、不思議そうに眺めてから、風見はちょっと噴き出した。 「ああ、よろしく。木村」  そうして俺たちは二人して、高校前の個人商店で、アイスを買った。コンビニなんて高尚なものはない。俺はソーダ味、風見はコーヒー味だった。  ――キシキシキシキシ。ジーワ、ジーワ、ジーワ。  バス停の前、歩道と空き地を隔てるガードレールに座って、しばし無言でアイスを味わう。空き地には鬱蒼(うっそう)とした雑草と何本かの木があって、バッタやらセミやらの声だけが充満していた。無言なのは、あまりの暑さに、早く食べないと溶けてしまうからだ。 「木村、オタクなのか?」 「ブッ」  俺は溶けたアイスを噴き出すところだった。仮にそう思ったとしたって、ストレートに訊く奴がいるだろうか。風見……こいつは、規格外の奴かもしれない。 「何で?」 「さっき、ファンタジーっぽい名前を呟いてたから」 「ああ。ウィンシィちゃん?」 「それそれ」  仲の良いダチはアニメオタクやアイドルオタクで、オンラインゲームの話が出来るダチの居なかった俺は、引かれないように探り探り話し始めた。 「俺は、ゲームオタクだよ。オンラインゲーム。ドラゴン・ラプソディって知ってる?」  テレビでCMもしてたから、やってなくても名前は知ってるって奴は多い。風見もそうみたいだった。 「CMやってるやつ?」 「そう。興味ある?」 「ああ。詳しい奴とやったら、面白そうだな」 「ウィンシィちゃんってのは、俺のパーティの白魔術師だ。回復系の魔術師。ふわふわのほわほわで、すっごく可愛いんだ」 「惚れてんのか」 「ゴフッ」  俺は今度は、溶けたアイスを飲み込み損ねて、ケンケンと咳をする。質問がストレート過ぎんだろ! 「惚れてんだな」 「うっせーな……どうせオタクだよ」 「別に責めてない。二次元しか愛せない奴なんて、腐るほど居るからな」  だけどその言葉には、俺はハッキリ反論する。 「二次元じゃない! 二.五次元だ! キャラクターの向こうには、プレイヤーの女の子が居る!」 「つまり、プレイヤー込みで好きだと?」 「そうだ!」  食べ終わったアイスの棒をかじりながら、風見は興味深そうに俺を見た。実験動物になったような気がして、ケツがムズムズした。 「じゃあ、告白してみれば? オンラインゲームがきっかけで結婚した、なんて話もよくあるぞ」     *    *    *  その日俺は、ひとつの決意を胸に、ドラゴン・ラプソディにログインした。昨日の深夜ログアウト(おちる)時に、今度は拠点の近くに新しく出来た村を探検しようとみんなに提案していた。何となく俺がリーダーみたいな立ち位置だったから、ログインして新しい村に行くと、バラバラとみんなが駆け寄ってくる。 『ディル! 待ってたよ』 『この村、結構広いようじゃの』 『あっちのおうちのお庭が、お花いっぱいで綺麗でした~』  露出度の高い女戦士、妖精(エルフ)の老精霊使い、ふわふわのウィンシィちゃんの順に話しかけてくる。俺は前髪をかき上げるいつものポーズを決めてから、キーボードを軽快に叩いた。 『待たせたな。教会はあったか?』 『あっちにあったよ』 『そう言えば、まだ入ってないのう』 『きっと、ステンドグラスがキラキラです~』 『行ってみよう』  すると近くをウロウロしていた小人(ドワーフ)の白魔術師が、話しかけてきた。 『すまないが、小鬼(ゴブリン)を倒すクエストをクリアしたい。一時的にパーティに入れてくれないか?』 『初心者か? 酒場に行くと良いよ』  女戦士が、すかさずアドバイスする。だけどドワーフは譲らない。 『レベル上げのコツが訊きたいんだ。少しで良い、付き合ってくれないか?』 『ふむ。報酬は?』  老精霊使いは現実的だ。 『レベルが20になるまで付き合ってくれたら、その時の有り金を全部譲り渡す』 『乗った』 『わしも』  女戦士と老精霊使いは、あまり使いもしないのに次々と強い武器や装飾品を集めるコレクターで、いつも金がない。こうなるのは、目に見えていた。 『じゃあ、しばらくふた手に分かれよう。俺は金には興味がないし、白魔術師は足りてるから、俺とウィンシィは別行動する』 『あいよ! またな』 『しばしの別れじゃ』 『ウィンシィ寂しいです~。お気を付けて~』  そして俺とウィンシィちゃんは、二人きりになった。 『ウィンシィ、教会を見に行こう』 『はいです~、ちょっと寂しいけど、きっと綺麗です~』  村の北の外れに、教会はあった。この世界には、沢山神が居る。そこは、戦いを司る戦乙女(ヴァルキリー)を祭った教会だった。俺はそれぞれの神に合わせて考えていた中から、ヴァルキリーの台詞を選び取る。ウィンシィちゃんは、ステンドグラスにはしゃいで小さく跳ねていた。 『ウィンシィ』 『はぁい?』 『教会に来たのには、訳がある。話を聞いてくれ』 『何ですか~?』  キーボードを叩く手が震えて、タイプミスをしながら何とか指先で言葉を紡ぐ。 『俺は、君を守る為に戦っている。ウィンシィは俺にとっての、ヴァルキリーだ。君が居なければ戦う理由もないし、君の後方支援のお陰で戦えている』 『……え?』 『ウィンシィ、ずっと前から愛していた。どうか今ここで、結婚式を挙げてはくれないか』  俺の台詞に気が付いた数人が、『ヒューヒュー』などとはやし立てている。ウィンシィちゃんは、しばらく黙った。画面の向こうで、プレイヤーが迷っているのだろう。俺は駄目押しに跪いた。 『これを』  アイテムを渡す。ウィンシィちゃんの誕生石パールの『婚約指輪』と、ダイヤモンドの『結婚指輪』だった。これを買うのに、高価な装飾品を三つ売った。そしてみんなと合流する前に、密かに買っておいたものだった。 『ウィンシィ、イエスと言ってくれ』 『ヒューヒュー』 『よっ、お二人さん!』 『……』  ウィンシィちゃんは無言で、右に左に小刻みにたたらを踏んでいる。迷っているとも、照れているとも、困っているとも取れる動きだった。 『ウィンシィ、どうか結婚してくれ』 『…………はいっ。これからも、よろしくお願いします~!////』  そうしてそのまま教会で、俺たちは神に結婚を誓い式を挙げた。教会のウェディングベルが鳴らされて、その音を聞きつけたキャラクターたちも次々と教会に入ってきて、祝福してくれた。彼女居ない歴=年齢の俺は、とてつもなく幸せだった。     *    *    *  次の日俺は、いつものバスに乗れるにも関わらず、見送ってガードレールに腰かけ待っていた。風見を。俺を見付けても、風見は急いだりせずにのんびりと歩み寄ってきた。やっぱコイツ、大物だ。 「よぉ、木村。どうだった?」 「昨日はさんきゅ! 上手くいった!」  俺たちは目を見交わして笑い合う。昨日俺とウィンシィちゃんを二人きりにしてくれたドワーフの白魔術師は、風見の作ったキャラクターだった。俺たちは、企てたのだ。結婚計画を。俺は晴れやかにノロケる。 「結婚式挙げてよ。今度、プレイヤー同士会おうって話になった。俺たち、リアルでも恋人になろうって約束したんだ」 「良かったな」 「マジで風見には感謝してる! アイスおごるよ」 「そんじゃ、遠慮なく」  そして、昨日と同じ構図になった。俺はソーダ味、風見は今日はバニラ味を食べている。    ――キシキシキシキシ。ジーワ、ジーワ、ジーワ。  青空には羊雲。空き地には虫の声。今日は、昨日よりも三度高い、三十六度。舐めても舐めても、アイスは見る見る内に溶けていく。 「わっ」 「勿体ねぇーっ。せっかくおごってやったのに」  風見は食べ方が悪かったのか、バニラアイスの半分ほどをスラックスの上に落としてしまった。股間に。白い液体。 「何か、やらしいな」 「勿体ないなら、舐めるか?」 「阿呆!」  男同士、下ネタで盛り上がるのは誰も同じで。俺はぎゃははと声を上げた。そして訊かれるまま、また盛大にノロケる。 「ウィンシィ、何て言ってた?」 「俺のことずっと、カッコイイって思ってたって」 「キャラクターがだろ? あの中二病の」 「キャラクターも込みで俺だよ」 「ウィンシィも、どんな姿でも愛してくれるかって訊いてなかったか?」 「え? うん」 「愛して貰えるか自信ないって言ったら、お前は絶対大丈夫って言ってたよな」 「う? うん?」  あれ? 何で、風見は知ってるんだ……?   アイスを食べ終わって何気なく左手でガードレールを掴もうとしたら、風見の右手を握ってしまって焦る。だけど風見は、引こうとする俺の手を恋人繋ぎに握ってきた。 「繋いだ手は、一生離さないって、約束したよな?」 「か、風、見っ……!?」  ――ドサッ。  迫り来る風見の迫力に押されて後退ったら、ガードレールから落ちて後ろの空き地に倒れ込んだ。ムッとする草いきれ。五十センチ以上高さのある雑草で、地面に倒れた俺たちは、スッポリと隠れてしまう。 「んっ」  近付く顔。キスされる! そう思った俺は、思わず固く目をつむった。 「……ん?」  うっすら目を開けると、間近で風見が微笑んでた。 「話を聞いてくれ」 「な、何だ?」 「木村、ずっと前から愛してた。どうか今ここで、結婚式を挙げてくれないか」 「お前、それ……!」  それは昨日、俺がウィンシィちゃんに言った台詞。からかわれているんだと思って、顔を真っ赤にして唾を飛ばす勢いで怒鳴り立てた。 「やめろよ! 何の嫌がらせだよ!!」 「シッ」  長い人差し指が、唇に当てられる。ぐ、と思わず黙った。 「これを」  顔と顔の隙間に摘まんで差し出されたのは、俺の誕生石アメジストの『婚約指輪』と、ダイヤモンドの『結婚指輪』だった。いや、高校生にそんなものが買えるとは思えないから、イミテーションかもしれない。 「木村、イエスと言ってくれ」 「……」  俺は昨日のウィンシィちゃんみたいに、黙り込んで混乱してた。何だコレ!? 何なんだ、コレ!? 「木村、どうか結婚してくれ……そうすれば、キムタクじゃなくなるぜ」  初めて、風見のオリジナルの台詞が付け加えられる。爽やか奥二重のイケメンだと思ってたのに、その表情は勝ち気に笑ってた。 「お前……ドSかよ」 「お前はドMだから、丁度良いんじゃないか?」 「ドMじゃねぇよ!」  また顔が近付く。 「んっ」  また目をつむる。またキスは降りてこなくて、目を開けると風見が俺の肩口に顔をうずめて笑っていた。 「くくく……な?」 「テメェ! ひとで遊ぶんじゃねぇ!」 「遊びじゃない。本気だよ。木村」 「ア……」  耳たぶを甘く噛まれて、声が掠れ上がる。そのまま、耳元で風見は話し始めた。 「ウィンシィは、俺の姉ちゃんが作ったキャラクターだった。でも途中で飽きてやめたんだ。だから俺が、引き継いでプレイした」  ちゅ、と頬にキスされて固まってしまう。嫌なら殴ってでも拒否れば良いのに、何故だか身体が動かない。 「そしたら、中二病のリーダーが、ウィンシィに気があるってすぐ分かった。初めは面白半分だったけど……その内俺も、リーダーが好きになった。いつ告白しよう、ってずっと思ってた。なあ……付き合ってくれよ。木村」  『木村』。風見にそう呼ばれるのが、何だか心地良くなっていた。だけど俺は視線をキッと強くして、風見の顔を睨み上げる。 「付き合うだけで、良いのか?」 「え?」 「俺をキムタクの呪いから、解放してくれるんじゃないのかよ」  勝ち気だった風見の表情が、フッと優しくほころんだ。 「ああ。もちろん、結婚を前提に」  俺は押し倒されたまま目を逸らして、ポツリと言った。 「幸せにしろよ」 「ああ!」  キスじゃなくて、頬擦りされた。  ――キシキシキシキシ。ジーワ、ジーワ、ジーワ。  虫たちの愛の囁きと、風見の愛の囁きが重なった。お日様と土の香り。夏の匂いが、俺の最初で最後の恋の想い出だった。四年後俺は、『キムタク』から卒業して、『風見拓哉』になるのだった。 End.

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