49 / 49
ss②
食べ終わると2人で食器を洗う。
「はい。」
いつも通り満腹で少しうとうととしている テオに、洗い終えた皿を渡していく。彼は皿を拭いて、食器棚に戻す係。
バターを敷いたフライパンは汚れが落ちづらい、と言ったのを覚えていたのか、隣でフライパンに水を張り火にかけてくれている。
2、3度で大体の工程を覚えることができるのは、すごいなと素直に感心した。
そのまま続けていると、いきなりがちゃ、という音がした。そちらの方を見ると、テオが皿を床に落とし、皿が割れている。
咄嗟にそこから動かないようにと注意しようとしたが、遅かった。動揺した彼は立て続けに隣のフライパンに手を触れひっくり返し、熱湯が少し手にかかっている。
「動かないで。」
怯える彼をなだめるようになるべく優しい声で言ったつもりだが、慌てていたため少しかたくなってしまう。
それを聞いて怯えたのか、彼はぴたっと、硬直してしまった。
しかしとりあえず冷やさなくては。
固まっている彼を皿の破片を踏まないように気を付けつつ抱き上げ、テーブルまで移動させ座らせる。そして大きめのボウルに水を張り、熱湯を被った方の手をその中に入れた。
靴についた破片をふき取ると、そのまま手を入れておくように言ってから床を片付ける。
片付けてからぬるくなった水をもう一回取り替えていると、テオがまだ固まって震えていることに気づいた。
…先ほどの声で怯えさせてしまっただろうか。
「怒ってないよ。少しびっくりしただけ。ちゃんとみてなかった俺もよくなかった。」
そう。大体そんなことがないからと安心していたが、まだ子供だ。失敗しないわけがない。
弱い力で優しく抱きしめながら、言葉でなだめていくと、次第に硬直はとけ、彼は首を左右に振り始めた。悪いのは僕です、というように。
「違うよ。誰にでもあることだから、悪くない。」
そう言い聞かせると、彼はこちらを振り向き、じっと目をのぞいてきた。驚いたようにもともと大きな目をより大きく見開いている。
もう怯えていない。何か言いたげな声。
「何か書くものを持ってくるね。」
手を離して紙とペンを取りに行こうとすると、何かに袖が引っかかる。
なんだろうと振り返ると、どこからかかすかに何かが聞こえてきた。
「…がと… 」
小さな手がしっかりと俺の袖を握っている。
彼の口が動いているのが見え、それが彼の発した言葉だとわかると、思わず二度見する。
「え、今、… 」
「ありがとう。」
今度はちゃんと聞こえた。
掠れた声でもたついているけれど、確かにありがとうと聞こえる。
まだ声変わりしきっていない、少し高めの声。
「うん。」
今自分はどんな顔をしているのだろう。少し油断したら泣きそうだ。初めて発してくれた言葉が、ありがとう。こちらが感謝したいくらい。
彼の頭を撫でていく。
「こちらこそありがとうね。」
その日の晩は一睡もできず、ずっとそのありがとうを脳内で反芻していた。
今でも覚えている。幸せな夜だった。
「って言う記念日。」
「…よく覚えてるね。そこまで。」
「嬉しかったから。」
あの出来事を思い出すだけで、胸がいっぱいになる。
「あと、大変だったのに、ここまで育ててくれて、ありがとう。」
ふと、テオが真剣な表情になり、こちらの目を見てそう言った。
…そう、実際大変だった。テオが仕事に行っている間にいなくなっていないか、家事で危険な目に遭っていないか、など、不安でたまらなかった。
仕事から帰ってきて彼が無言で駆け寄ってくるのに、毎回とても安心していたのを覚えている。
それに、最初はどう接していいのかわからずに、ただ自分の与えられる限りの愛を注ぐことしかできなかった。
それでも今思い返してみれば、そんな大変だった記憶さえも愛おしい。彼と過ごした記憶の全てがかけがえのない思い出になった。
そして今も。
「その言葉だけでもう泣きそう。」
頭を撫でると、くすぐったそうにする。こんなに無邪気な顔をするようになってくれたことも、嬉しくて。
彼が初めて料理を1人で作ってくれた時、初めて笑った時、初めて玄関まで出迎えてくれた時…
それを思い出す度に、必ず言いたくなる言葉がある。
「ありがとう。」
~Fin~
※過去編はep14のテオのセリフに少しだけ出ていたシーンです
ともだちにシェアしよう!