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 高校に入学して一ヶ月が経った頃。大型連休も終わり、新しい生活にも慣れつつある。けれどそれは周りの話であって、自分には当てはまらないと獅子原理佳は思った。  リカ本人は至って普通にしているつもりなのに、教室にいても誰も話しかけてこない。たまに視線を感じることがあって振り向いても、すぐに顔を背けられる。今の状況を端的かつ的確に言い表すなら『ぼっち』だ。  その理由をリカは知っていた。自分でこんなことを言うなんて何様だと思われるかもしれないが、それ以外に候補は一つも挙がらない。だから敢えてリカは口にする。  週末の金曜日、煩わしい授業が終わった放課後。他の生徒たちが楽しそうに笑い、遊びに出たり部活動に励む中、たった一人で屋上に佇みながら。 「やっぱりこの顔、だよな……」  昔から顔を褒められることが多かった。本人は特別それが整っているとは思っていないが、どこにいても、誰といても、いつも外見を褒められる。寧ろ褒められるのは外見ばかりだ。  黒く艶めく髪は頼んでもいないのに柔く揺れ、瞳は左右対称の綺麗な二重。その間に通る鼻筋は高く、唇は薄い。潔癖がちの性格も相まって綺麗に磨かれた歯は虫歯などなく、遺伝なのか十六年間にニキビができたことはない。  美容に気をつけているわけではないのに、全てが自然と整う。リカ自身はどちらかと言うと無頓着な方で、だからこそ嫌味に思われるのかもしれない。とにかく同性には嫌われ、その代わり異性にはやたらとモテた。同世代から大人の女まで、この年齢で既に、相手に苦労したことはない。  だからこそ、高校は男子高校を選んだ。もうあの煩わしい色恋沙汰から解放されたくて、学生らしい友達付き合いを求めて。それなのに何故……男相手にまた顔で困らなければならないのか。  思い悩むリカからため息が零れる。 「俺だって、好きでこんな顔に生まれたわけじゃないのに」  人並みでいい。良いところもあれば、悪いところもある。そんな風貌で良かったのに、とリカは思う。ここまで整ってしまえば、この顔はリカにとってコンプレックスだ。  せめて少しでも隠れればいいと、高校に上がってから伸ばしている前髪を手に取る。目元に掛かるほどのそれを一束掴み、指に巻き付けて遊ぶ。そうして耽ること数分、一向に晴れない気を紛らわせるべく、リカは履いているスラックスのポケットに手を伸ばした。  取り出した煙草に火を点け、紫煙を肺に吸い込む。ゆっくりと身体を巡るニコチンに、少しだけ憂さを忘れる。こうして屋上で空を眺め、一人でいるなんて数ヶ月前の自分は想像もしていなかった。高校に上がれば楽しい毎日が待っていると、疑ってもいなかった。  けれど現実はこうだ。リカは失笑を零し、フェンスに身体を預けた。そして瞼を軽く閉じ、黄昏れていたその時――。 「なあ。何か浸ってるところ悪いけど、ライター貸してくれよ」  リカの肩が跳ねた。突然にかけられた声の先を向くと、少し離れた所に見知らぬ男の姿。自分と同じ制服に身を包み、軽く首を傾げてリカを見る。 「一年二組の獅子原君、どうも」 「誰」 「うわ、マジか。お前もう一ヶ月も経つのに、クラスメイトの顔も覚えてないの? 俺、これでも新入生代表までした有名人なんだけどな」  ヘラリ。緩く笑ったその男は、やはり緩い足取りでリカの隣まで歩いて行った。並んだ二人の身長差に、男が眉を顰める。 「獅子原って身長どのぐらい?」 「身長? 百七〇……六か、七とか? 覚えてない」 「何それ、ずるい」  何がずるいのか、リカは視線で男に訊ねる。けれど教えるつもりはないのだろう。彼は差し出した手を軽く振り、催促をしただけだった。 「何、その手」  訊ねたリカに、彼は手を振ることをやめず答える。 「だからライター貸してくれって。こんなの先生に頼めないだろ?」 「ああ、そういうこと」  僅かに広げられた男のポケットに、自分とは別の銘柄の煙草を見つけたリカは、持っていたライターを貸してやった。手のひらに乗せられたそれを見て、彼の眉尻が微かに動く。 「高そうなジッポ。なぁ、これって誰かからのプレゼント?」 「ノーコメント」 「ははっ。そう言うってことは正解なんだ? 分かりやすいやつ」  男が咥えた煙草に火を点ける。すぅ、と息を吸いこみ煙が身体に入ってきたのを確認すると、何を告げることもなく投げ捨てた。  リカのジッポライターを。許可をとることも、宣言することもせず突然、フェンスの向こうの大空へ投げたのだ。 「は⁈」  これにはリカも驚き、声を上げる。指に挟んでいた吸いかけの煙草が、その手から滑り落ちる。 「お前、いきなり何してんだよ!」 「いやぁ、手が勝手に動いて」 「そんなことあるか。どうしてくれるんだよ……この後どうやって煙草吸えばいいんだ」 「え、そっちなの? 俺はてっきり、勝手に捨てたことを怒ってるのかと思ったのに」  きょとんとした顔をして、その後に笑う。男のその様子は、口にした言葉とは正反対のようにリカは思った。きっとこいつは、自分がこのライターに愛着などないことを、瞬時に見抜いたのだと分かった。 「お前……どうかしてる」  リカは男から目をそらした。それは変なやつに関わりたくないという気持ちと、これ以上何かを見透かされるのが嫌だったからだ。その何かが何なのか、当人ですら曖昧ではあったけれど。

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