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2.
「どうかしてるのは獅子原の方だろ。こんな天気の良い放課後に、ぼっち決め込んでるんだから」
「余計なお世話だ」
「ああ違うか。決め込んでるんじゃなく、決め込むしかないのか。獅子原の場合は」
深く吸い込んだ煙を宙に吐き出した男は、リカへと顔を寄せる。一〇センチほどのところで止まり、じぃっと見つめること数秒。軽く頷いた。
「うん、やっぱりお前の顔いいね。俺、結構な面食いなんだけど、獅子原の顔は今まで見てきた中で一番だな。特にその目、真っ黒でキラキラしてて、でも何にも興味ありませんって感じの瞳がいい」
あまりにもストレートな物言いに、リカは呆気に取られて唇を開く。その僅かな隙間に自分の吸っていた煙草を突っ込んだ男は、にっこりと笑った。
「俺さぁ、無駄に勉強できる上に運動も得意で、それに要領もいいから自然と周りに人が寄って来るんだよ。初めは適当に相手してたんだけど、さすがに一ヶ月も続くと面倒くさくて。こうして好きな時に煙草も吸えないし」
「は……?」
「でも獅子原は何か違うじゃん。俺の名前も顔も知らなかったし、今だって聞き出そうとしないし」
それは聞くタイミングがなかったからで、リカは特に意識してではなかった。けれど、どうしてもこの男の名前が気になるかと問われれば、そうでもない気もする。変わった男。それがリカが彼に抱いた印象で、そこで止まる。その先は必要ない。
「獅子原はさ、何て言うか……自分の価値を活かせてないんだよ。お前が嫌いな自分は、お前の武器になるのに」
「はあ……武器って物騒だな」
「そうやって嫌な顔せず、どんどん使っていかないと。だから、俺がその使い道を教えてやろうかなって」
「頼んでないんだけど」
無理に受け取らされた煙草を、リカは吸う。妙な展開になってきたことに内心戸惑いながら、それをごまかすために紫煙を取り込む。
「お前に余計な心配してもらわなくても、使い道なら知ってる。十分使いこなしてるよ」
「あんな化粧の濃い女を侍らせて? 獅子原ってあんなのが好みなの? 趣味悪いな」
「……何で知ってんの?」
「この前見かけたから。だってお前、目立つんだもん」
リカがつい数日前まで付き合っていたのは、どこかの大学に通う年上の女だった。やたらと自分を連れて歩きたがる彼女に辟易しながらの交際は、たった二週間で終わったが。
「こう言っちゃ何だけど、あの女の人はオススメしないなぁ」
「お前には関係ない」
「それ。獅子原って懐かないネコみたいだよな。俺の家、弟が動物アレルギーでさぁ……飼いたくても飼えないんだよ。可哀想じゃない?」
男の手が伸びてリカの髪を撫でる。その手つきはやけに優しく、自分を見る瞳もやけに温かい。言われた内容は失礼極まりないのに、悪意を感じないのだ。
「うん、可愛い。やっぱりお前可愛いわ、リカちゃん」
「――は?」
「え? 名前。お前の名前ってリカだろ?」
「違う。俺の名前は、アキヨシ」
毎回のように間違われるそれをリカが指摘すると、男は一瞬だけ思案した後、ふわっと笑った。
「えぇ……似合わない。リカの方がネコっぽくていい」
「リカでもないしネコでもない」
「やめろよ。リカがネコって言うと別の意味に聞こえる。ここ、男子校なんだから」
「ああ、そういうことなら確実にネコではないな……」
生真面目に返したリカに、男は吹き出した。腹を抱えて笑い、目尻に浮かんだ涙を指で拭う。
「やっぱりいいわ、お前。その顔で天然って」
「顔と関係あるか? それに俺は天然でもない」
「あー……久しぶりに素で笑った。ありがと、リカちゃん」
だからリカじゃない。そう言い返した時には、既に男は笑うのをやめていた。また穏やかな目でリカを見つめる。
「俺と一緒にいると楽しいよ、リカちゃん」
「すげぇ自信だな」
「うん。だって、俺は騙すことはあっても嘘はつかないから」
どういう意味だと訊ねたリカの声は、あっけなく無視された。目を眇めた男はリカの咥える煙草を指さし、言う。
「それ含めて、諸々の後処理はしっかりな、リカちゃん。俺、面倒なこと大嫌いだから」
有無を言わさない口調で言い捨てて言った背中。最後まで意味のわからない彼を見て、リカは気づく。そう言えば、自分が吸っているこの煙草は、あいつの吸いかけだったことに。
獅子原理佳は軽い潔癖症で、人と物を共有するのが苦手だ。回し飲みも、食べ物をシェアすることも嫌いだ。その自分が勢いに負けたとはいえ、無意識に受け入れてしまっていた。
彼女と称す相手との口づけには嫌悪感しかないのに。その後に続くセックスの為に、嫌々ながらも我慢しているだけなのに。それなのに、唇に感じるあの男の名残は平気だなんて、どうかしている。
「面倒くせぇ」
呟いたリカは最後の一服を決め、吸い殻を携帯していた灰皿で握りつぶす。落ちていた物もしっかり拾った後は、代わりにスマホを手に取った。
諸々ということは、煙草だけではなく他のことも指すのだろう。それが何のことかなんて、考えなくてもわかる。
画面に乗せた指を動かし、順に削除していく電話番号。そこにある名前と顔が合致しない自分に、リカは失笑した。そして最後の一人を消し終えた時、残った連絡先の数に驚いた。
父と母、たった二人だけ。あまりにも悲惨な現状に、呆れ笑いすら出ない。
この時に出会った男の名前を、リカはすぐに知ることになる。ついでに言うと、彼の名前を知ったと同時に、リカの連絡先には新たな番号が増えた。その時の出来事は、今のリカにとっては屈辱以外の何物でもないものだった。
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