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 壮代枩吏。  青年実業家であり、容姿端麗。  メディアへの露出も多く、実業家でいながら多くのファンを持っていた。高校はさる事情で点々としたものの、現在は名門国立大に在学。政界にも精通し、今もっとも勢いのあるαとして知られていたが、パーティーで脱走した猛獣に襲われ、瀕死の重傷を負った。  手術で持ち直したかのように思われたが、術後三日して容態が急変。  半日後に息を引き取った。  それが、一年前にニュースで取り上げられた内容だ。  隠された事実のひとつは、あのパーティーで倉本家の不興を買った壮代家は立場を失い、たった数日でゆかりの者は降格や左遷などの憂き目にあっていること。  これは仕方がなかった。この世界で出世を目指すβにはつきまとうしがらみだ。力があろうと所詮はβの家柄。αであった息子の舵取りに失敗した段階で壮代家の没落は目に見えていた。  もうひとつは、壮代枩吏を襲った猛獣の正体。これは僕が圧力をかけ、獣人だと言うことは伏せた。そうでもしなければ、社会が崩壊しかねない事件だったからこれも仕方がない。  そして、今、僕は表沙汰になっていないあの事件の最後の事実の最終確認のため、護衛の周防(すおう)に車を運転させている。  周防はいつも通り、無表情でハンドルを握り、助手席の僕がその顔を覗き込んでも前を見つめて車を走らせている。つまらない男だ。 「真葵(まき)は車が嫌なんだから、仕方がないでしょう? いつまでむすっとしているつもりだい」 「むすっとなんてしていません」  真葵は周防の妹だった。今はほとんどの時間を僕の恋人兼ペットとして過ごしている。  二人は父子家庭で育ったが、父親が金に困り、息子の周防を倉本家に売り、娘の真葵に売春を命じた。  僕が周防と親しくなり、彼の願いを聞いて真葵を引き取った。だが、もうすでに彼女は精神的にぎりぎりで、僕がどれだけ気持ちを傾けても、兄の周防がどれだけそばにいても、真葵が自殺しようとするのを止められなかった。  何も考えたくないと言う真葵の尻尾を切ったのは、周防だった。  尻尾を切ってからしばらくは大変だった。  荒療治ではあったし、実際にはなんの解決でもない。それでも、真葵は笑うようになった。  忘れて楽になれるのならそれで構わない。  今、多分真葵にとって僕は恋人でもなんでもなく、周防は兄でもない。僕らは真葵にとって主人と、食事番だった。  それでも僕らは真葵を愛している。  彼女は車酔いをするので、山道を行く今日は連れてきてやることができなかった。まあ、今頃は屋敷の庭で蝶を追いかけたり、尻尾を追いかけたり、本を読んだり……とにかく、自由きままに過ごしているだろう。  シスコンの周防は未だに僕に真葵を任せるのが不安らしい。いつも主人と食事番を交換したがっている。 「今日はそこまで手間取らないで帰る予定だからさ」 「本当ですね?」 「うん」  僕自身、そこまで暇をしていない。  それからさらに車を一時間走らせ、山間部にこぢんまりとある町に到着した。田舎らしく道路は細くて、工事が悪いのかぼこぼこしている。  国道から奥へ入り、坂道を上る。道がなくなったところで路肩に車を停めて、車内に周防を待たせたまま、僕は山の斜面に作られた鳥居をくぐり、石段を登った。  五分ほどかけて神社の境内にたどり着く。  建て直された神社が木漏れ日を受けて光っているように見えた。  登りきった位置から下を見ると、狭い町が一望できる。  いつ見てもこれは絶景だ。  下を見ながらそんなことを考えていると「早かったな」と言う声がして振り向いた。 「やあ。夜一」  壮代枩吏を噛み殺した猛獣だ。  凶悪なほど美しい姿をしている。  この山の深くに群れを率いて住む野生の獣人で、αだった。 「一人かい」 「いや。そろそろ」  そう夜一が言うと、神社が背にしている山の斜面を器用に駆け降りてくる青年がいた。  夜一がそれを見てふっと笑った。 「まだまだだな、松風」  汗を流し、ほうほうの体で駆けつけた青年に夜一が言う。  短く悪態をつき、呼吸を整える。 「久しぶりだな、枩吏」 「死んで以来か」  汗を手で拭いながら松風と呼ばれた彼が僕を見て不敵に笑う。  そう。  最後の真実は壮代枩吏の死が偽装であったこと。  僕と枩吏の二人で考えた計画だが、両家共に快諾した。壮代家にしてみれば厄介払いだのような話だったし、僕の父からすれば獣人を擁護する権力者には辟易している。  枩吏は誰の手にも余るαだから、ここが妥協点だろう。死んだことにしてやるから後は勝手にしろ、というような。  松風と名を変え、今は夜一と群れにいる。  野生の群れに入るにはかなり苦労しただろう。明らかに一年前より体つきがたくましくなっている。 「群れでの生活は慣れたか」 「まだ全然。今までは夜一が加減して走ってたんだって痛感する」 「こちら側に戻るなら戸籍を用意してやるぞ」 「馬鹿言うなよ」  未だに僕を信用していないらしく、こっちに鋭い視線を送る夜一を、枩吏は甘い顔で見つめた。  見つめられているとこに気づいた夜一も、僕には決して向けないだろう、柔らかな目をする。  枩吏は夜一の肩に頭を乗せて僕の方に向き直る。 「ここが家だ」  それを聞けて安心した。そうでなければ、今日、僕がここまで来た意味がなくなる。 「約束通り、ここ一帯の山の管理者と連絡をつけた。これから麓近くは見回りの人間が多くなる」 「ああ」  あのパーティーで、野生の獣人の存在を知った人間のαが何人もいる。珍品として彼らを捕まえようとする者も出るだろう。  それを防ぐために、表向きは自然保護と言う名目で、地元住民に協力を依頼した。僕の配下からも人員は派遣するつもりだった。  一年前、ずっと秘密にしていて真葵のことを教えるとやっと枩吏の信頼を得られた。  昔の枩吏なら、それでも理解してくれなかっただろう。  僕らの世界で暮らす獣人には管理下でしか、本当の自由が得られない。鈴をつけた猫が野生で生きてはいけないように。長らく、人間と同じ生活をして便利な薬を得て、道具を得て来た獣人はもう、野生では生きられないし、それを心から望むこともない。  僕は彼らが彼ららしくいられる場所を作ろうとしている。  枩吏は共感してくれたが、野生の獣人である夜一をつがいに選んだ段階で、僕と共同戦線を張ることはできなくなった。  それでも、構いやしない。 「もっと奥へ行くのかい」  夜一に聞いてみると「ああ」と枩吏の腰を抱いた。  枩吏は腰に回された夜一の手に自分の手を重ねる。 「おかげで助かった。俺一人じゃ、多分どうしようもなかったし」 「君をもっと早く同志にできたら、僕も楽できたんだけど」 「悪いな、俺は頭が固いから」  枩吏の会社や、繋がりのある団体は僕が引き継いだ。お陰で色々、ごたついているが、頭が固い彼を口説き落とす力は僕にはなかったのだから仕方がない。 「平気か?」  枩吏が問いかけてくる。 「やってやるさ」  目を閉じて思い出すのは真葵の笑顔。  あの笑顔を守るためなら、なんでもできる。  枩吏は少し、何かに耐えるようにぎこちなく微笑んだ。 「そろそろ行くよ」  枩吏は僕が手を振ると、背中を向けた。  タン、タンと軽い足取りで神社の後ろの森へ向かって走り始め、あっという間に、それこそ風のように僕の前から姿を消した。  夜一はそれを見てから、僕に向き直り静かに頭を下げる。  そして僕に背を向けて走り出し、森に入る瞬間、大きな獣の姿になって木々の間を駆け上がり、やはりすぐ見えなくなった。  枩吏を見ていると、いつも思うことがあった。αがどれだけ優遇され、褒め称えられても、所詮は未熟なのだと。悩み、苦しみ、時には逃げを打つ。  それでも立ち向かうことで、未熟な青いにおいをさせながら花開く。  石段に向かって足を踏み出した時、山から風が吹いた。  風に乗ってあの二人の笑い声が聞こえた気がした。

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