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 下校中、月懐の家へ行く前に寄り道をして、近所の犬を触りに行く。  大人しくて大きい、ごわごわした手触りの犬を撫でていると月懐がするっと隣にしゃがみこんだ。  いつもは怖がって遠くから見ているだけなのに珍しい。 「大人しいから怖くないぞ」 「僕も大人しいよ」  月懐がこてんと、頭を俺の肩に預けた。 「犬が羨ましかったんだ、本当は」 「え」 「撫でて」  言われるがままに、月懐を撫でてやると、月懐は嬉しそうに笑って、俺に抱きついてきた。木漏れ日の中で押し倒されて、秘密基地にいることに気がついた。 「ここ、一番好きだった」 「俺も一番好き」  月懐が俺の胸元にぐりぐり頭を擦り付け、パッと起き上がった。 「嘘つき。今はもう、もっと好きな場所ができたくせに」 「もっと好きな場所?」 「ここよりずっと深い、緑の中」  そう言われて濃い草のにおいと、水の音や冷たさを思い出す。そうだ。俺には、恋しくて仕方がない場所がある。  起き上がると、月懐が俺を見上げていた。 「ね、枩吏」 「月懐……」  月懐に呼び掛けた自分の声が幼くないことに気づき、同時にこれが現実ではないとわかってしまって、つらくなる。 「月懐、俺」 「枩吏が泣くと僕も泣きたくなる」  幼い月懐の手が俺の頬を撫でて、涙をすくい取った。  それでも、涙は後から後から流れてきて、月懐が困ったように笑った。 「枩吏の泣き虫」 「お前に会いたかった、ずっと、謝りたくて、俺、ごめん、本当に」 「枩吏だけが悪かったわけじゃないでしょ。僕だって卑怯だったんだから、おあいこだよ」  月懐が「ごめんね」と手を差し出してきた。  その細い手を取り握手をすると、背中に温かいものを感じた。  そして、振り向いたら月懐は消える。直感がそう言っていた。  俺は目に焼きつけるように月懐を見つめた。 「そんなに見なくても、ちゃんと覚えてるでしょ」 「……確かに」 「あの人が待ってるよ」 「わかってる」  手の力を緩めると、月懐は「枩吏」と噛み締めるように俺を呼んだ。 「なに、月懐」  答えるように名を呼び返すと、月懐は顔の横で小さく手を振り「またね」と笑った。 「また……」 「うん。ゆっくり会いに来て。ずっとゆっくり」 「……わかった」  俺も月懐に手を振った。 「またな」  背中が温かい。振り向くと、深い深い森が広がっていた。  そちら側へ一歩を踏み出すと、真っ白な光に包まれた。

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